池田信夫blogの記事より。
まずきのうの記事で指摘した事実誤認について、さすがの小倉弁護士も撤回したことは諒としたい。彼にも、これぐらいの理性は残っていたということだろう。その次の記事については、私は労働法の専門家ではないので、専門家の見解を引用しておこう:
1975年には、日本食塩製造事件に関する最高裁判決が出されている。この「使用者の解雇権の行使も、それが客観的に合理的な理由を欠き社会通念上相当として是認することができない場合には、権利の濫用として無効になる」とする判例法理は、解雇制限にかかわる基本法理として広く参照されることになった。[・・・]
整理解雇に関する代表的な初期判例として引かれる1979年の東洋酸素事件に関する東京高裁判決は、特定の事業部門の閉鎖に伴う整理解雇が就業規則にいう「やむを得ない事業の都合による」ものといえるためには、三要件[略]を充足することが必要であり、かつそれをもって足りるという整理を与え、その後の整理解雇法理にとって重要な礎石となった。(『日本的雇用システム』pp.39-40)このように1975年の最高裁判例が「解雇権濫用法理」の一般論として引用されるのに対して、東洋酸素事件の高裁判決は「整理解雇の4要件」として整理され、両者は別個の法理として扱われるのが通例だ。ちなみに前者はその後、労働契約法16条として立法化されたが、後者は立法化されていない。
私の事件における公文の「通告」のような明白な契約違反は、労働法を持ち出さなくても、民法で簡単に違法だと判断できるが、整理解雇は一般にそのような明白な契約違反を含んでいない。したがって、それが「客観的に合理的な理由を欠く」かどうかの基準として整理解雇の4要件が参照される。大竹文雄氏や柳川範之氏のいう解雇規制も整理解雇をさしており、一般的な不当解雇をすべて自由にせよというものではない。私の過去の記事も同じである。
両者を混同して、私が「正当な理由があろうがなかろうが、およそ解雇は自由でなければならないと主張している」などとばかげた主張を行なうのは、小倉弁護士と天下り学者に共通の特徴である。このような虚偽にもとづいて、まともな議論をすることはできない。彼らは、まず私がそういう主張をしたことを具体的な引用で示してみよ。
いや、それにしても池田さんははっきり言うな。私も労務屋さんや上の天下り学者さんを批判しようと思っていたが途中でやめたことがあった。上の記事にあるように、無秩序な解雇容認と、解雇規制緩和はまったく違う話であるが、相変わらずこれをごっちゃにして意味不明な主張をする人がいるようだ。
今の日本において努力ややる気を活性化するのに一番必要なのは、能力や成果に比べて賃金が高すぎる労働者の賃金を下げられるようにすることだろう。平等も大事だろうが努力を推進することも必要だから、最底辺の労働者に対する保護をやめて、高賃金労働者に報いれば上手くいくはずだというのは意味不明な主張だ。平等の逆の政策を取っても上手くいきもしないし、高賃金の労働者が成果を上げている訳ではない。
市場競争と平等の議論が変な方向に行くのは、賃金の高い労働者が本当にその賃金に見合う仕事をしているのかどうかという最も肝心な問題を見ようとしないからだ。自由競争から格差を容認しましょう。平等だから年功序列で行きましょう。努力も大切だから弱者に対する保護を削減しましょう。こんなことやっていては、一番経済にとって負担になっている成果も上げず高賃金を得ている労働者を保護し、社会が不平等化しつつ活力が失われるだけだろう。賃金と成果との連動性を確保することをまず第一の目的にしていく必要がある。