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派遣規制の是非

2009年05月22日 | 経済学

今日は派遣規制の問題を他の話と絡めてしてみたいと思う。派遣規制の議論は、十九世紀の自由貿易に関する議論に似ているところがあるとよく感じる。自由貿易者たちは、政府が介入して貿易を規制したり、関税を勝手にかけたりすることによって貿易から生じる両国の利益が損なわれることに徹底的に反対した。その論法は、こうだ。貿易を行われるのは、その貿易が両国に取って利益になるからだ。だから、貿易を政府が規制することを許せば貿易の利益が失われる。だから、貿易に対する介入は許せない。そのような理屈で、アジアやラテンアメリカ諸国による貿易に対する介入に徹底的に反対しつつ、欧米諸国は暴力によって現地の産業を破壊したり、プランテーション経営者が現地民を奴隷化することを続けた。

しかしこの主張の問題は、両国が最大限の恩恵を貿易から受けるにはどうすればいいかという議論が抜け落ちていることである。貿易は何らかの利益をもたらすかも知れない。しかし、欧米諸国が恣意的に経済に介入したり、暴力によって産業を破壊したり、さらには条約によって都合のいい条件を強制することを許した状態は理想からはかけ離れているのではないだろうか。つまり、現地社会の介入に対しては貿易が損なわれて双方の利益が損なわれるから駄目だと言いながら、欧米諸国の介入によって貿易から得られるであろう、あるいは産業が現地にもららしたであろう利益の減少は無視するというのは本当に長期的に考えて効率的なのだろうか。

このような理由で、現地政府による介入の場合は貿易から得られる利益の減少を危惧して貿易からの利益を損なうようなことはしてはならないとされ、逆に欧米諸国が行ってきたことに対しては長期的な影響が無視された。結果、他の要因を考慮すると欧米諸国が現地に介入することに対しては徹底的に寛容にしておき、現地政府が介入することを徹底的に否定すれば貿易からの利益によって双方が潤うだろうということになった。結果としては、アフリカやラテンアメリカはひたすら貧しくなり、欧米諸国は発展したのだが、これは現在の途上国が無知蒙昧で怠惰で、欧米諸国が知的・精神的に優れていた結果なのだろうかと思う。

話を戻すと、派遣規制や貸金法改正についてもそうであるが、派遣がなくなるということや、貸し出しが減る、あるいは借りにくくなることが経済的な不利益をもたらすだろうが、それらの質という面を考えなくてもいいのだろうか。現在の日本の派遣制度は世界的に見ても必要な規制がされておらず、労働者がほとんど保護されておらず中間搾取が非常に多い状態にある。少し前の消費者金融に関しても違法な取立てや脅迫を平気で行う犯罪者集団であったことは多くの人が知っていることである。このような質が劣悪で多大な悪影響を社会に与えている状態にあったとしても、規制すると供給が減って不利益を受ける人がいるから絶対規制するべきではないという主張が正しいのだろうか。規制しないで野放しにしたら、質がさらに悪化しそのことによる悪影響がどんどん増すのではないだろうか。逆に、規制によって質が改善したり、劣悪なものが排除されるのであれば一旦規制することによって長期的にはより良い状態へと移行していけるのではないだろうか。

結局のところ、十九世紀の欧米諸国による自由貿易論や、現在の派遣規制や貸金法改正反対の議論というのは、貿易や派遣、貸し出しが減ることに対しては絶対的な影響があることを前提とし、それ以外のことに対してはまるで何の変化もないかのような前提を置いているからそのような結論が必然的に出てくるといっていいと思う。そのような前提を置いているのだからそのような結論が出るのは当然のことなのであるが、問題はそのような前提自体が本当に適切なのかどうかということだ。どのようなものであっても貿易や派遣、貸し出しがないよりはあったほうがいいのだから、内容の悪化は一切考えないでおこうという態度で望ましい結果にたどり着けるようには思えないのだが。

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