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経営とエージェンシー問題

2009年05月21日 | 経済学

少し前の記事になるが、読売新聞の山崎元さんのコラムが面白かったので紹介と少しコメントをしたい。内容的には、山崎氏が日頃主張していることの繰り返しが多いのだが、現在の企業の問題を考える場合に、資本家と労働者という対立軸よりも、株主と経営者・従業員とのエージェンシー問題という視点から考えた方が有用な場合が多いのではないかと思う。

金融危機を巡る情勢は目まぐるしく変化しているが、最近の動きの中で、筆者が大いに「あきれた」のは、米国の複数の大手金融機関が公的資金を早期に返済したい意向を示したことだ。

これまでに報じられていて、筆者が知っている限りで、ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー、それに先年メリル・リンチを吸収したバンク・オブ・アメリカが、こうした意向を示している。お気づきになると思うが、いずれも、かつては投資銀行であったか、かつての投資銀行を現在抱えている金融機関だ。

サブプライム問題のダメージが相対的に軽かったといわれているゴールドマン・サックスが公的資金を返済したいというのはいくらか分かるが、三菱東京UFJから出資を仰いだモルガン・スタンレーや、米政府から巨額の資本注入と不良資産の損失保証という救済を受けたバンク・オブ・アメリカまでが「公的資金返済」というのには、驚くしかない。彼らは、損失とリスクに耐えるための資本が不足していたのではなかったのか。

彼ら自身がこのような理由説明をしているわけではないから、以下は、筆者の推測だとお断りしておくが、割合自信のある推測だ。

彼らが公的資金を早期に返済したい理由は、経営者も含めてだが、社員に対するボーナス(ストック・オプションなどによるものも含む)や退職金を自由に支払いたいからだろう。

先般、AIGの幹部社員に対する巨額のボーナス支払いが、アメリカで大きな社会問題となり、オバマ大統領にまで痛罵される事態になったことに対して、彼の国の金融マンたちは一種の恐怖を抱いたに違いない。彼らにとって「命の次に大切なボーナス」を十分もらうことができないのではないか、という恐怖だ。

AIGのケースを先例として見ると、公的資金が入っている金融機関が社員に大きな額のボーナスを支払おうとしていることが世間に露見すると、政府から指導が入ったり、世間から強烈な反発を受けたりして(AIGはこのケースだった)、結局ボーナスが支払えなくなったり、これを返上しなければならなくなったりする公算が大きい。

アメリカの大手金融機関の個々の金融マンの心情を(推測によって)代弁すると、彼らは、近い将来会社が潰れることがあっても構わないから、当面の自分へのボーナス支払いを自由にして欲しい、と思っているだろう(下品ではあるが、経済合理的だ!)。

一般にウォール街のボーナスが巨額であり、そこで働く金融マンにとってボーナスが重要であるということは分かる。

しかし、今回彼らが言っているような公的資金返済に問題があるとすれば、一つには、金融機関が公的資金を返上し、しかも将来、公的資金を入れられずに済ませようと行動する結果、彼らがリスクを取れなくなって、「アメリカ版の貸し渋り」的な状況が起こる可能性があることだ。

あるいは別の可能性として、最後は政府に救済されればいいと考えて、薄い資本を顧みずにできるだけ大きなリスクを取ろうとする行動も考え得る。どちらも金融システムにとって好ましいことではない。

振り返ってみると、今回の金融危機が生じた背景には、成功報酬型の巨額ボーナスを原動力とする彼の国の金融マン達の過剰なリスク・テイクがあった。成功報酬型のボーナスは個人の「稼ぎ」を原資産とする一種のコール・オプションだが、あらゆる金融派生商品の中で、「金融マンのボーナス」ほど恐ろしいものはなかった、というのが筆者の実感だ。

彼の国の金融マン達が、この仕組みの旨みを「全然諦めていない」ことは確実だ。

相変わらずよく聞く主張に労働分配率を上げることによって労働者の取り分を増やすべきだというのがあるが、現実問題としてはほとんど不可能だ。資本分配率には個人事業主の収入や、企業の税金等の分が含まれている他、最低限の資本のコスト(つまり銀行などから借りた場合などとの比較でのコスト)、株主に占める年金基金等の機関投資家の存在を考えると、資本家はほとんど存在していないも同然である。日本の場合、上位0、1パーセントの富裕層が所得に占める割合は2パーセントなので金持ちの取り分とはその程度の額である。つまり、資本家が搾取しているから貧困層がいたりするのではないのである。

だから、結局のところ資本家ではなく、労働者間の問題が議論の中心になるべきだろう。そのとき重要になってくるのが、企業におけるエージェンシー問題である。企業は株主が所有していることになっているが、実際の経営は経営陣が行っている。また、従業員がステークホルダーとして影響力を持ってもいる。日本においても、アメリカにおいても、このような現実の結果従業員や経営者が株主から有利すぎる条件を引き出し富を得ているという現実がある。

アメリカでは、山崎氏のコラムにもあるように経営者や経営幹部がボーナスなどによって多額の報酬を得ている。しかし、報酬が高いからといって成果も伴っている訳ではない。日本と、ヨーロッパ、アメリカを比べても報酬に見合った形で企業の成長率が違う訳ではない。また、アメリカ国内でも報酬が高いほど企業運営が上手くいっている訳ではない。こうなるのは、報酬が高くなる理由の一つがお手盛りで従順な取締役がいる結果であることがある。つまり、監視が緩く経営がちゃんと監督されていない方が報酬が高くなりやすいという問題がある。

日本においては、年功序列制度の結果能力や成果の低い中高年正社員の賃金が異常に高くなっているという現実がある。これもまた従業員が力を持ち、株主から有利すぎる条件を引き出している事例である。そしてこのことが現在の日本の経済停滞の重要な要因になっていることは明らかだろう。

つまり、現実問題としては力の強い経営者や労働組合が過剰な待遇を手にすることによって株主から搾取しているという現実がある。そして、そのような現実の方が資本家などよりもはるかに大きな比重を占めていることがわかる。日本においては金持ちの所得に占める割合が2パーセントで、正社員と非正社員との賃金格差の平均が2倍以上という現実を考えるとどこが本当の問題であるかは明らかだろう。アメリカにおいては経営幹部の高収入が格差拡大の一因になっているが、経営陣も資本家ではないので、資本家や資本主義が格差を拡大していると言うのは意味不明な主張だろう。現実には、高所得の既得権層が、低所得者層から搾取しているのである。

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