日本をタテ社会、欧米をヨコ社会として対比的に論じるのは、中根千枝の『タテ社会の人間関係』だけでなく、ルース・ベネディクトの『菊と刀』にも共通する主題で、日本文化論における定番のテーマである。しかし、客観的にはこれほどまでに事実と合致しない主張もないと言えるほどに実際の事実とは違っている。
江戸時代の終わりから明治時代の始めにかけてアメリカに行った日本人が、アメリカでは初代大統領ワシントンの子孫が何をしているか知らないで、それが日本の天皇制や徳川幕府の世襲制と対極的で、日本の身分制とアメリカの自由との格差に驚いたという話は有名である。しかし、現実にはそのころのアメリカは奴隷制を採用しており日本とは比べ物にならないほどの格差と差別が支配する身分制社会であった。これは、ヨーロッパにおいてはさらに酷く、植民地の労働者と本国、そして本国内での身分的な格差が社会を支配していた。
実は、欧米がヨコ社会で日本がタテ社会であるというのは、欧米というのは支配階級と被支配階級に別れ、一定数の支配階級には同じように選挙権のような権利が与えられ、その支配階級が被支配階級を絶対的に支配するということを意味しているに過ぎない。つまり、欧米においては一番上の天皇家や徳川家の権力は強くはないが、階級間の差は日本よりもはるかに大きな社会である。こう考えると、なぜアメリカに行った日本人がアメリカを絶賛し、日本を否定したかが分かる。貧しい武士階級の出身者にとっては、市民に同じ権利を与え、奴隷を絶対的に支配する権利を与える社会に憧れを抱き、そのような権利を支配階級の武士に与えない江戸幕府を憎悪したのだ。
このような思考回路の最大の問題点は、一般の庶民を比べれば日本の方がちゃんとした権利を与えられたヨコ社会であり、欧米の方がはるかに酷いタテ社会であったということである。だから、このような思考回路の結果として江戸時代暗黒史観というものが生まれてきたのだが、最近の研究によって完全に否定されている。同じように天皇制と日本のタテ社会を結ぶつける議論もあるが、当然のことんがらナンセンスであるとしか、言いようがない。このような客観的な事実に基づいた文化論がそろそろ必要なのではないだろうか。