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日本人の勤勉性

2009年05月11日 | 文化論

今日の池田信夫blogの記事のテーマが勤勉革命だったのだが面白いテーマなので書いてみたい。

この不況で問われているのは、日本人の働き方だと思う。日本企業が戦後の一時期、成功を収めた一つの原因は、農村共同体が解体したあと、その行動様式を会社に持ち込んでコミュニティを再構築したことにある。その労働倫理の原型は明治期より古く、江戸時代に市場経済が農村に浸透したころに始まるといわれる。速水融氏は、これを産業革命(industrial revolution)をもじって勤勉革命(industrious revolution)とよんだ。

イギリスの産業革命では、市場経済によって農村が工業化され、資本集約的な産業が発達したのに対して、日本では同じころ逆に市場が農村に取り込まれ、品質の高い農産物をつくる労働集約的な農業が発達した。二毛作や棚田のように限られた農地で最大限に収量を上げる技術が発達し、長時間労働が日常化した。そのエネルギーになったのは、農村の中で時間と空間を共有し、家族や同胞のために限りなく働く勤勉の倫理だった。

日本が非西欧圏でまれな経済発展をとげた一つの理由が、この勤勉であることは疑いない。それを支えていたのは金銭的なインセンティブではなく、共同作業に喜びを見出すモチベーションだった。サラリーマンは命令されなくても深夜まで残業し、仕事が終わってからも果てしなく同僚と飲み歩いてコミュニケーションを求める。こうした濃密な人間関係によるコーディネーションの精度の高さが、多くの部品を組み合わせる自動車や家電で日本企業が成功した原因だった。

ということで、勤勉性が経済発展の原動力になった、或いは日本の経済発展の原因には日本人の勤勉性が深く関わっているという議論はよく聞く話だ。しかし、歴史的な事実を調べてみると分かるのだが、江戸時代の日本の一つの大きな特徴は祭日や休日の増加である。特に職人においては効率的に速く仕事を終わらせて残りの時間を他のことに使って過ごすことが優秀な職人の印だった。

だから、長時間労働を勤勉性として考え、それが江戸時代からの日本人の特徴だと考えるのは少し違うだろう。むしろ、農民や職人が生産の増加分を収入増として得られるようになったことが、モチベーションを高め経済を活性化したと考える方が適切だろう。このことは世界史的に見ても言えて、ヨーロッパの知識人は農民や植民地の現地人が怠惰で、怠けて働こうとしない。これでは、経済発展などしようがないと軽蔑していたが。現実には、最も長時間働いているのはそのような農民や、植民地の労働者や奴隷達であった。農民や奴隷は最も長時間働いていたが、生産した分は徹底的に上の方に搾取され手元には何も残らなかったので、労働意欲が湧かずひたすらヨーロッパ人が搾取し続けるだけだった。

つまり、勤勉性というのは長時間働くことが美徳とされるということよりも、ちゃんと働いた分の対価がそれぞれの人に分配されるという約束がもたらすモチベーションであると考える方がいいのではないだろうか。その意味で、ひたすら搾取しつつ、搾取されている者達を怠惰であると虚構の事実によって軽蔑したヨーロッパ人や、中高年よりも低賃金で長時間働いているワーキングプアを努力が足りないと非難し、日本人の勤勉の美徳が失われてきていると嘆いている人たちは、勤勉ということの意味をもう一度考え直し、いかにして公正な対価が払われる社会が実現可能かを考えてみる必要があるだろう。

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