誤解だらけの日露戦争の真実|小名木善行
このYouTube動画は、日本の陸軍大将である乃木希典に焦点を当て、彼の人物像と日露戦争における功績について、一般的な誤解を正すことを目的としています。 戦後の小説『坂の上の雲』によって広まった「無能な将軍」というイメージに対し、動画では彼の兵士への深い配慮や、自らの資産を投じて開発した機能性義手など、その高潔な人柄と先見性を強調しています。 特に、旅順要塞攻略における「白襷隊」の壮絶な突撃が、乃木将軍の人徳によって支えられたものであったと解説。 また、日露戦争が世界に与えた影響、特に東洋の国が西洋列強に勝利したことの意義についても触れ、乃木希典の功績が国際的にも高く評価されていた事実を紹介しています。 動画は、乃木将軍を正しく後世に伝えることの重要性を訴え、彼の多角的な側面を掘り下げています。
Q 乃木将軍の評価が戦前と戦後でどのように変化したのか、その背景にある社会的な要因は何か?
A 戦前と戦後で乃木将軍の評価は大きく変化しました。
• 戦前・戦中の評価:
◦ 乃木希典大将は、戦前・戦中には我が国で最も尊敬されるエリートであり、中学・高校・大学生のほとんどが「最も尊敬する日本人」として彼の名を挙げていました。
◦ 彼は陸軍大将として最高位の勲章を受け、日露戦争では旅順要塞攻防戦の指揮官を務めました。
◦ 明治天皇から絶大な信頼を得ており、第10代学習院長に任命され、当時の学習院が天皇陛下を教育する機関であったことから、その信頼の厚さがうかがえます。
◦ 後の昭和天皇となる迪宮裕仁親王の教育係も務めました。
◦ 明治天皇の死後、殉死したことでも有名です。
• 戦後の評価の変化と背景:
◦ 戦後になると、乃木将軍を尊敬する人物のナンバーワンに挙げる人はほとんどいなくなりました。
◦ この評価の変化の背景には、小説**「坂の上の雲」の爆発的な大ベストセラー化**があります。
◦ この小説の中で乃木将軍は、「全く無能で能力のない将軍」「戦えば負けてばかりで、多くの部下の命を失わせた」「生涯泣き顔で、そもそも全く強くなく、人間的にも大将の器ではない」といった内容で描かれました。
◦ この小説が発売された当時、乃木将軍を尊敬していた世代が社会の中心にいたため、「自分たちが尊敬していた人物がそんな人物だったのか」と驚き、小説を読んで広まっていったことで、彼の評価が大きく変わったとされています。
この動画では、「坂の上の雲」に描かれた乃木将軍像が、実際の乃木将軍の人物像を映し出したものとは全く別の問題である可能性を指摘し、彼の真の功績や人柄に焦点を当てて論じています。
Q 乃木将軍の人柄や行動が、いかにして兵士たちの献身と、国際的な日本の評価に繋がったのか?
A 乃木将軍の人柄と行動は、兵士たちの並々ならぬ献身と、国際的な日本の評価に深く繋がりました。
乃木将軍の人柄と兵士の献身への影響
乃木将軍は、かつては戦前から戦中にかけ、日本で最も尊敬される人物の一人でした。戦後の小説「坂の上の雲」では無能な将軍として描かれましたが、これは実像とは異なるとされています。彼の人柄と行動は、以下のように兵士たちの献身を引き出しました。
• 人間的魅力と部下への配慮: 乃木将軍は非常に優しい人物であり、一人ひとりの兵士の顔と名前をきちんと覚えていました。兵士たちは、このような大将のもとであれば「いつ死んでも構わない」と思えるほどの深い人間的魅力を彼に感じていたとされます。
• 白襷隊の突撃: 日露戦争の旅順要塞攻略において、乃木将軍は白襷隊(しろだすきたい)という決死隊に突撃を指示しました。彼らは胸に白い襷(たすき)をかけ、敵の機関銃の標的となりながらも前進を続けました。胸を撃ち抜かれても、人間の脳は15秒間活動できるという特性を利用し、その間に約50メートル走り、敵のトーチカを破壊する戦術でした。この作戦は、参加した兵士がほぼ全員戦死する覚悟を要するものでした。
• 「この大将のためなら」という信頼: 乃木将軍が「白襷を胸にして特攻してもらえないか」「もはやこれ以外に作戦はない」「我と思う者は一歩前へ出てもらいたい」と語りかけた時、「はい、大将のためだったらやります」と応じる兵士が多数現れました。これは、乃木将軍が部下を命懸けの任務に送り出す際、彼らが自らの命を捧げることを厭わないほどの信頼と尊敬を彼に寄せていた証拠です。
• 戦死者への弔いと遺族への配慮: 乃木将軍は、日露戦争で犠牲になった兵士たちの一軒一軒の家を訪ね歩き、彼らの名前が刻まれた忠魂碑(ちゅうこんひ)を全国各地の神社に建立しました。これは、彼が「君たち一人ひとりのことを絶対に忘れないぞ」という約束を果たしたものであり、そのために自身の私財も投じたとされます。
• 負傷兵への支援: 戦争で手足を失った兵士のために、乃木将軍は自身の年金を担保に借金をして、機能性義手(ぎし)の開発と普及に尽力しました。この義手は、指を失った兵士でも食事や喫煙、文字を書くことができ、当時の世界では主流だった見た目を重視する義手とは異なり、生活の質を高めることを目的とした画期的なものでした。これを無償で兵士たちに提供したことは、障害を負った兵士たちにとって「神様のような存在」に思えるほどであったと述べられています。
これらの行動や人柄が、兵士たちに「この人のためなら命もいらない」と思わせるほどの深い絆と献身を生み出したのです。
国際的な日本の評価への繋がり
乃木将軍の指揮下の旅順要塞攻略は、日本が日露戦争で勝利する上で重要な局面でした。この勝利は、国際社会において日本の評価を大きく変えるきっかけとなりました。
• 有色人種の白人国家に対する初勝利: 日露戦争は、有色人種である日本が白人国家であるロシアに勝利した初めての戦争でした。この事実は、世界中の多くの人々に大きな影響を与えました。
• 「旅順戦記 肉弾」の世界的ベストセラー: 乃木将軍率いる部隊の活躍を記した桜井忠温の「旅順戦記 肉弾」は、世界40カ国語に翻訳され、世界的ベストセラーとなりました。この本に書かれた「国の名誉のために命を捨てることは名誉なことである」という思想は、世界中で大きな反響を呼びました。
• レバノンの教科書に掲載された詩: レバノンの教科書には、「日本の乙女」という詩が掲載され、旅順要塞の攻防戦における日本の看護師たちの献身を称え、日本が「大国」となり「西の国々も日を張りたり」と表現されるほど、日本を見習うべき存在として描写されていました。これはレバノンが大変な親日国であったことを示しています。
• イランの有名詩「ミカド・ナーメ」: イランでは「天皇の書」を意味する「ミカド・ナーメ」という詩が非常に有名で、イランの兵士たちは皆これを暗唱できるほどでした。この詩は、「東の果てから太陽が昇る 文明の夜明けが日本から広がった時 この昇る太陽で全世界が明るく照らし出される」と謳っており、日本の勝利が世界に文明の光をもたらすものと認識されていたことを示しています。
これらの国際的な評価は、日本が白人国家に勝利できた理由が、乃木将軍のような偉大な指導者の存在と、その指導のもとで命を惜しまず戦った白襷隊のような兵士たちの存在にあったと認識されたことによるものです。乃木将軍は、学習院の院長を務め、後の昭和天皇の教育係も務めるなど、国の未来を担う人材の育成にも尽力しました。彼の存在は、日露戦争の勝利を通じて、日本の国際的な地位と評価を大きく引き上げる要因となりました。
Q 戦後の歴史解釈において、乃木将軍の功績がなぜ過小評価され、その影響は今日どう表れているのか?
A 戦後の歴史解釈において、乃木将軍の功績が過小評価されるようになった主な要因は、小説『坂の上の雲』の爆発的な大ベストセラー化にあります。
過小評価の背景と具体的な功績の軽視:
• 『坂の上の雲』によるイメージの固定化:
◦ 戦前・戦中には「最も尊敬する日本人」としてほとんどの中学・高校・大学生が乃木希典陸軍大将の名を挙げていましたが、戦後、『坂の上の雲』がベストセラーになったことで、彼の評価は大きく変わりました。
◦ この小説の中で乃木将軍は「全く無能で能力のない将軍」「戦えば負けてばかりで、多くの部下の命を失わせた」「生涯泣き顔で、そもそも全く強くなく、人間的にも決して大将の器ではない」といった内容で描かれました。
◦ 当時の現役世代(乃木将軍を尊敬していた教育を受けた人々)がこの描写に驚き、小説の流布によって乃木将軍のイメージが大きく転換しました。
• 軍事的功績の誤解・軽視:
◦ 日露戦争における旅順要塞攻防戦で、乃木将軍は「極めて少ない兵力の損耗で(わずかな期間で)旅順要塞を陥落させた」と評価されています。
◦ 『坂の上の雲』では、この陥落のきっかけが20センチ砲によるものと書かれていますが、実際には白襷隊(しろたすきたい)の活躍によるものであり、これはロシア側の記録にも明確に記されています。白襷隊は胸に白い襷をつけて敵の銃弾を引き付け、心臓を撃ち抜かれても脳が15秒間活動できる間にもう一歩でも敵陣に肉迫するという、極めて勇敢で効果的な戦術を実行しました。彼らの突撃はロシア兵に恐怖を与え、旅順要塞陥落につながりました。
◦ 乃木将軍は、この白襷隊の隊員が「死んでも構わない」と思わせるほどの人間的な深い魅力を持っていたとされています。
• 人間的魅力と部下への配慮の軽視:
◦ 乃木将軍は、日露戦争で犠牲になった兵士たちの一軒一軒の家を訪ね歩き、彼らの遺族の困り事を聞き、時には借金を肩代わりするなどして、一人一人の**「みたま(御霊)」を弔う**ことに努めました。
◦ 彼は、戦場で腕を失った兵士たちのために、自らの年金を担保に借金をして機能性義手(義肢)を開発し、全員に無償で配布しました。この義手は、当時ヨーロッパで主流だった「本物そっくりに見える義手」とは異なり、「物を掴んだり、食事をしたり、文字を書いたりできる」という実用性を重視したもので、世界に先駆けて普及させたものです。障害を負った兵士たちからすれば、乃木将軍は「神様のような存在」であっただろうと評されています。
◦ また、乃木将軍は戦没兵士の名前を刻んだ「忠魂碑(ちゅうこうひ)」の建立にも関わり、自らも筆を執りました。GHQ占領期には取り壊しや撤去の対象となりましたが、地元の人々が地中に埋めて守り、独立後に再び建立されたというエピソードも残されています。これは、乃木将軍が「お前たちのことは忘れない」「お前たちの名前は未来永劫残していく」という約束を果たすべく、私財を投げ打って行った行為だったとされています。
現代における影響:
• 乃木将軍の功績は、依然として一般的には「坂の上の雲」の描写の影響を強く受けて、本来の姿とは異なるイメージで認識されがちです。
• 彼の優れた業績を示す具体的な証拠が、公的な展示物から撤去されるという形で表れています。例えば、彼が開発・普及させた機能性義手は、かつて東京・九段下の「しょうけい館」(厚生労働省運営)に展示され、体験もできる目玉展示物でしたが、現在では完全に撤去され、「見えなくされ」てしまっています。これは「素晴らしい事実をなかったことにしよう」とする、非常に残念な状態であると指摘されています。
• このような状況は、日本が「素晴らしいところをちゃんと語り継ぐことができるような日本」を取り戻すべきだという思いにつながっています。