池上彰と学ぶ日本の総理 10 大平正芳
好評のシリーズ第10弾は大平正芳。
大平首相といえば、「あ~、う~」
しかし、たいへん知的な人なのです。
最後は急死してしまいましたが、功績も大でした。
池上流3つのポイントは
1 屈指の知性派総理
2 活発な外政家
3 早すぎた消費税の話
本誌の内容です
[特集情報]
10号 大平正芳 香川県三豊群和田村(現在の観音寺市)出身 第79・80代総理大臣
[出版社情報]
【10号】大平正芳 アジア初東京サミットを開催
◆大平正芳総理誕生
◆プロフィール 大平正芳
◆大仕事 大一番 第1回東京サミット開催、石油輸入量めぐる攻防
◆交友交際図
◆追跡!総理554日
◆池上彰の5分でわかる政策 「環太平洋連帯構想」
◆人物伝 総理への道 大蔵省から終戦をへて、政治家の道を歩み出す
◆同僚 宮沢喜一
◆写真で見る世相 昭和53年(1978年) 日本全国 インベーダー・ゲームに夢中
◆男の引き際 運命の衆参同日選挙、総理在任のまま死去する
◆リーダーの魅力 大平正芳の名言・揮毫・人間力
◆派閥人脈 大平正芳を支えた主要メンバー
◆ファーストレディ秘話 大平志げ子さん
◆多芸余話 趣味と逸話で知る、総理の横顔
◆連載 総理の秘密 池上彰 「総理番」のしごと
ウィキペディアより
大平正芳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/13 04:56 UTC 版)
大平 正芳(おおひら まさよし、1910年(明治43年)3月12日 - 1980年(昭和55年)6月12日)は、日本の大蔵官僚、政治家。池田勇人の秘書官を経て政界に進出。宏池会会長として三角大福中の一角を占め、田中角栄内閣の外相として日中国交回復に貢献。四十日抗争やハプニング解散で消耗し、選挙中に首相在任のまま死去。「アーウー宰相」や「讃岐の鈍牛」の異名がある。位階は正二位。大勲位菊花大綬章受勲。