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週刊 池上彰と学ぶ 日本の総理 鈴木善幸・竹下 登

2022-11-18 06:45:26 | 昭和以降史

週刊 池上彰と学ぶ 日本の総理 鈴木善幸・竹下 登

このシリーズも12回。懐かしい2人の登場です。



個人的な話ですが、私は大学3年生の時に、日本中を放浪?ではなく、積極的に(ヒッチハイクと野宿で)視察して回っていました。
ちょうど、鈴木善幸首相が総理に選ばれる頃、ちょうど私はその選挙区、岩手県山田町あたりをうろうろしていたのです。
鈴木善幸事務所の看板のあるところでは、記念写真も撮りました。
まさに、旬だったのです。

その山田町や、宮古から浄土ヶ浜など、見所はいっぱいでした。
海猫パンや、鮟鱇の取れたて刺身などもまだしっかりと覚えています。

その山田町も、震災で 死者数:600、行方不明者数:246、そのうち死亡認定者数:191という大被害が出ました。

一刻も早い復興を祈りたいと思います。


そして、竹下 登 首相。
記憶に残るのは、田中角栄から離れるためのクーデター?のような創世会の立ち上げです。
田中角栄の寿命は、これにより相当縮まったのではないかと思います。脳梗塞で倒れてしまいました。

また、ふるさと創生一億円も印象に残っています。

そしてなんといっても消費税。
懸案でしたが、ついにやり遂げました。


池上流3つのポイントは・・・

鈴木 善幸 総理

1 大平派(宏池会)の大番頭
2 地元三陸の振興に貢献
3 和の政治


竹下  登

1 消費税導入
2 ふるさと創世
3 政界の「おしん」



以下はネット情報です。

1 鈴木善幸・竹下 登総理誕生

2 鈴木善幸・竹下登はどんな政治家か

3 大仕事 大一番 鈴木善幸の業績
 増税なき財政再建で行政改革に挑む

4 追跡! 鈴木善幸総理864日
 
5 鈴木善幸人物伝 総理への道
 円満な善幸の人柄が総理の座を呼び込んだ

6 男の引き際
 「和」を重んじ、みずから退陣を決意

7 ファーストレディ秘話
 鈴木さちさん

8 交友交際図

9 大仕事 大一番 竹下 登の業績
 安定税収を見据えて消費税導入を断行!

10 追跡! 竹下 登総理576日

11 池上彰の5分でわかる政策
 「その後の消費税」

12 竹下 登人物伝 総理への道
 調整力と気配り術で巨大権力を掌中にする

13 派閥人脈 竹下派の主要メンバー

14 男の引き際
 消費税導入にリクルート事件が追い打ち
  -死の間際まで政治にかかわる

15 ファーストレディ秘話
  竹下直子さん

16 リーダーの魅力
  鈴木善幸・竹下 登の名言・揮毫・人間力

17 多芸余話 趣味と逸話で知る、総理の横顔

18 連載 総理の秘密(12) 池上彰
 「官房機密費」とは?

19 次号予告


日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鈴木善幸内閣
(1980.7.17~1982.11.27 昭和55~57)
1980年7月成立した自由民主党内閣。
「増税なき財政再建」を公約とし、1981年3月には臨時行政調査会を設置し行政改革を最大の課題とした。1981年1月鈴木首相が東南アジア諸国を歴訪、5月には日米首脳会談を開き日米「同盟関係」を明記し、西側陣営の一員としてアメリカの対ソ戦略に協力していく姿勢を明らかにした。
国内では自民党の絶対多数を背景に、軍事力増強、実質的な靖国(やすくに)神社公式参拝、参議院の比例代表制導入、人事院勧告凍結を実現した。
しかし1982年6月2兆円以上の歳入欠陥が明らかとなって「増税なき財政再建」は破綻(はたん)し、行政改革も自民党・官僚の抵抗で後退を余儀なくされた。さらに日米経済摩擦、日韓経済協力、教科書記述に対するアジア各国からの批判といった難問を適切に処理できず、内外ともに手詰まりの状態のなか、1982年10月12日突如退陣を表明した。鈴木政治は難問を先送りにして解決を図るといった消極的姿勢を特徴としていた。
また党幹事長に二階堂進を起用するなど田中角栄の影響力を強く受け「角影内閣」との異名をとった。



竹下登(1924―2000)

政治家。島根県生まれ。1947年(昭和22)早稲田(わせだ)大学を卒業し、島根県の中学校教師となる。青年団活動で政治基盤を築き、1951年島根県議会議員、1958年自民党衆議院議員となり、1971年第三次佐藤栄作内閣の官房長官で初入閣、得意な「根回し、気配り」で政策調整、国会対策に活躍。
1974年田中角栄(たなかかくえい)内閣で内閣官房長官、1978年大平正芳(おおひらまさよし)内閣の大蔵大臣、1982年中曽根康弘(なかそねやすひろ)内閣で大蔵大臣などを歴任した。
1985年田中派から独立して創政会を旗上げ、1986年創政会を解散、自民党幹事長となり、1987年竹下派「経世会」を結成し、自民党最大派閥となって党を支配、同年第12代自民党総裁、第74代、46人目の首相に就任。
ふるさと創生を目標に掲げたが、消費税導入による不人気、リクルート事件の疑惑で退陣した。のち宇野宗佑(うのそうすけ)、海部俊樹(かいふとしき)、宮沢喜一各政権づくりで影響力を発揮したが、1992年(平成4)には竹下派が小渕(おぶち)派と羽田(はた)派に分裂し影響力は大きく低下した。2000年政界を引退。


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