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田沼意次の経済政策【貨幣史⑨】日本史テーマ史

2025-07-30 06:50:06 | 田沼意次・伊能忠敬・浮世絵

田沼意次の経済政策【貨幣史⑨】日本史テーマ史

ユーテラ授業チャンネル【YouTubeの寺子屋】」の動画「田沼意次の経済政策【貨幣史⑨】日本史テーマ史」は、江戸時代中後期の主要な経済政策と貨幣制度に焦点を当てています。具体的には、田沼意次が推進した経済改革、特に株仲間の奨励や専売制度の拡大印旛沼・手賀沼の干拓、そして長崎貿易の拡大といった多岐にわたる政策を詳細に解説しています。さらに、画期的な銀貨である南鐐二朱銀の発行とその目的、すなわち貨幣単位の統一と東西に分かれていた流通圏の統合にも注目し、江戸を中心とする経済圏への集中を図った田沼意次の先見性ある経済観を浮き彫りにしています。この動画は、当時の財政状況や経済背景をふまえ、歴史上の重要人物の経済政策がもたらした影響と意図を学ぶ上で役立ちます。


Q 田沼意次の経済政策が、当時の経済状況とどのように連携していたのか?

A 田沼意次の経済政策は、当時の幕府が直面していた厳しい財政状況や経済の変化に深く連携していました。
彼の主要な経済政策と、それらが当時の経済状況とどのように結びついていたかは以下の通りです。
• 株仲間の積極的な公認
    ◦ 目的と背景:
        ▪ 幕府は17世紀後半以降、財政が常に火の車でした。この政策の第一の目的は、株仲間から徴収する営業税(運上・冥加)を増収することでした。
        ▪ もう一つの目的は、新興商人(在郷商人)の掌握でした。17世紀後半になると、江戸や大阪の商人だけでなく、各地で力をつけてきた在郷商人が現れていました。田沼は、これからの経済を考えた時、これらの在郷商人たちもしっかり掌握し、株仲間に組み込む必要があると考え、彼らからも運上・冥加を徴収しようとしました。
• 専売制度の拡大
    ◦ 目的と背景: 銅、朝鮮人参、真鍮座などの品目において、幕府が生産や販売を独占的に行う専売制度を拡大しました。これは、流通に幕府が直接介入することで、収入を増やし、財政を立て直すことを目的としていました。
• 印旛沼・手賀沼の干拓
    ◦ 目的と背景: 関東地方の課題であった利根川の氾濫による水害を克服し、水田を増やすために、印旛沼と手賀沼の干拓を計画しました。この事業は過去にも幕府が手掛けていましたが、田沼はこれを豪商の請負で実施しようとしました。これは、幕府の財政負担を減らしつつ、民間の資本と技術を活用する試みであり、当時の豪商の経済力を認識していた証拠と言えます。
• 長崎貿易の拡大と蝦夷地開発
    ◦ 目的と背景:
        ▪ 金銀山(佐渡金山、石見銀山など)の産出量が減少しており、金銀の輸入を促進する必要がありました。そのため、いりこ(なまこ)、フカヒレ、干しあわびといった中国料理の高級食材となる俵物や、銅を主要な輸出品として貿易を拡大しようとしました。
        ▪ 俵物は主に北方漁場や蝦夷地近海で採れたため、蝦夷地の開発も行おうとしました。また、仙台藩医の工藤平助が提出した『赤蝦夷風説考』を受けて、ロシアとの貿易の可能性を探るなど、海外にも目を向けた先見性を持っていました。
• 南鐐二朱銀の発行
    ◦ 目的と背景:
        ▪ 南鐐二朱銀は、「南鐐(質の良い)」銀貨でありながら、「二朱」という金貨の単位を与えられた画期的な銀貨でした。これは、従来の銀貨が重さを測って使用する「称量貨幣」であったのに対し、金貨のように単位が決まっている「計数貨幣」として機能させ、取引の利便性を高めることを目指しました。
        ▪ 最大の狙いは、貨幣単位の一本化、そして流通圏の統一でした。当時、江戸を中心とする東日本では金貨(金遣い)、大阪を中心とする西日本では銀貨(銀遣い)が主要な貨幣となっており、東西間の取引では両替の手間や為替レートの変動によるリスクがありました。
        ▪ 特に重要なのは、金貨の単位を銀貨に与えることで、銀貨を金貨に合わせたという点です。これは、西日本の銀遣い経済圏を、東日本の金遣い経済圏に組み込もうとする意図がありました。18世紀になると、江戸近郊(江戸地回り)で商品作物の生産や工業生産が活発になり、経済の中心が大阪から江戸とその周囲へと移りつつあったため、江戸中心の経済圏に合わせて貨幣を統一することが合理的であると考えたのです。
田沼の経済政策は、賄賂政治といった負のイメージを持たれることもありますが、実際には、幕府の財政難を克服し、経済の変化に対応するための画期的で的を射た、先見の明のあるものでした。特に、当時の経済圏の重心が大阪から江戸へと移りつつある状況を見抜き、それに合わせた貨幣統一を図った点は、現代の視点から見ても非常に洞察力に富んでいたと言えます。


Q 南鐐二朱銀の発行は、日本の貨幣制度と経済圏にどのような影響を与えたのか?

A 南鐐二朱銀(なんりょうにしゅぎん)の発行は、日本の貨幣制度と経済圏に極めて画期的な影響を与えました。これは老中・田沼意次(たぬまおきつぐ)が、財政悪化に直面する幕府を立て直すための一連の経済政策の一環として、18世紀以降に発行した銀貨です。

南鐐二朱銀の発行が与えた影響は以下の通りです。
• 画期的な貨幣としての特性
    ◦ 「南鐐」とは「質の良い」という意味を持ち、上質な銀貨であることを示します。
    ◦ 最も注目すべき特徴は、銀貨でありながら金貨の単位である「二朱」が与えられた点にあります。これにより、**「金に二朱として通用する係数銀貨」**として流通しました。
    ◦ これまでの日本の貨幣制度では、金貨は額面が記載された「係数貨幣」として、銀貨は重さを量ってその重さが金額となる「精量貨幣」として扱われていました。南鐐二朱銀は、この慣習を破り、銀貨に金貨の単位を付与することで、**「重さを量って使う手間を省く」**という目的も持っていました。
    ◦ 実際には、南鐐二朱銀8枚で小判1両分(1両=16朱)に相当することが明記され、金貨との交換比率が明確にされました。
• 貨幣単位の一本化
    ◦ 南鐐二朱銀の最大の狙いの一つは、貨幣単位の一本化でした。
    ◦ 当時、江戸を中心とする東日本では金貨が主に使われる「金遣い」、大阪を中心とする西日本では銀貨が主に使われる「銀遣い」と、貨幣流通圏が二分されていました。
    ◦ 東西の商人が取引を行う際には、金貨と銀貨を交換する必要があり、その交換レートも固定されておらず変動したため、面倒で煩わしいだけでなく、リスクも伴いました。
    ◦ 南鐐二朱銀は、金貨の単位である「1両4分16朱」をどこでも使えるようにすることで、この二分された流通圏を統一しようとしました。
• 東西流通圏の統合と江戸経済圏の重視
    ◦ 貨幣単位の一本化は、単に貨幣を統一するだけでなく、二分された東西の流通圏を統合するという狙いがありました。
    ◦ 注目すべきは、この統一の仕方が、銀貨を金貨の単位に合わせる形で行われた点です。これは、大阪の銀遣い経済圏を江戸の金遣い経済圏に組み込んでいこうとする狙いがあったと考えられます。
    ◦ 18世紀になると、江戸近郊(関東地方)では商品作物や工業生産が活発になり、「江戸地回り」と呼ばれる経済圏が形成され、そのシェアを拡大しつつありました。元々「天下の台所」と呼ばれ経済の中心だった大阪のシェアが低下していく中で、田沼意次は大阪を江戸に合わせることで、今後さらに大きくなるであろう江戸経済圏を重視し、その発展を促進しようとしたのです。
このように、南鐐二朱銀の発行は、単なる新しい銀貨の導入に留まらず、貨幣制度の近代化と、江戸を中心とした新たな経済圏の形成を促進するという、田沼意次の先見の明と画期的な経済政策を象徴するものでした。



Q 江戸幕府の財政難に対し、田沼意次の経済政策はどのような解決策を提示したのか?

A 江戸幕府は17世紀後半以降、常に財政難に直面しており、その中で老中・田沼意次が実施した経済政策は、この困難な財政状況を立て直すための画期的な解決策を提示しました。一般的には賄賂政治といった負のイメージがつきまといますが、彼の経済政策は非常に的を射たものでした。


田沼意次の主な経済政策とそれが財政難にどう対応したかは以下の通りです。
• 株仲間の積極的公認
    ◦ 同業者組合である株仲間を積極的に公認しました。これは、これまで認められていなかった商人にも株仲間への参加を促すものでした。
    ◦ 目的1:営業税「運上冥加」の増収
        ▪ 新たな株仲間を認めることで、そこから徴収する営業税である運上冥加の増収を図りました。
    ◦ 目的2:新興商人の掌握
        ▪ 各地で力をつけていた在郷商人(新興商人)を株仲間に組み込むことで、幕府が彼らを掌握し、経済活動を管理しようとしました。これは、これからの経済を考えた際に、江戸や大阪の大商人だけでなく、各地で成長する商人を取り込む必要があるという田沼の考えに基づくものでした。
• 専売制度の拡大
    ◦ 幕府が特定の商品の生産や販売を独占的に行う専売制度を拡大しました。
    ◦ 銅、朝鮮人参、真鍮座などの品目が対象となり、これによって経済流通に幕府が直接関与し、収入を増やそうとしました。
• 印旛沼・手賀沼の干拓
    ◦ 関東平野の課題であった印旛沼や手賀沼の干拓を行い、水田化を目指しました。
    ◦ この事業は、幕府が何度か試みてはいましたが、田沼は有力な商人たち(三都商人)に請け負わせる形で実施しました。これは、民間の資本と技術を活用することで、開発による生産性向上とそれに伴う税収増を狙ったと考えられます。
• 長崎貿易の拡大
    ◦ 貿易を拡大して収入を増やすことを目指しました。
    ◦ 主要輸出品:「俵物」
        ▪ 輸出拡大の目玉として、いりこ(なまこ)、ふかのひれ(フカヒレ)、干し鮑といった海産物を加工した「俵物」を重視しました。これらは中華料理の高級食材であり、主に北の漁場である蝦夷地近海で採れるため、長崎を経て中国へ輸出されました。
        ▪ この俵物の輸出拡大は、佐渡金山や石見銀山などで減少しつつあった金銀の輸入を促進する狙いがありました。
        ▪ 専売品である銅も輸出を促進する品目でした。
    ◦ 蝦夷地の開発推進
        ▪ 俵物の主要な産地である蝦夷地の開発も行おうとしました。
        ▪ 仙台藩の工藤平助が提出した「赤蝦夷風説考」のように、北方からロシア人が交易を求めてくることに着目し、田沼は実際にロシアとの交易の可能性を探るなど、国際的な視野も持ち合わせていました。もし田沼が長く老中を務めていれば、この時に鎖国が終わっていたかもしれないと指摘されるほど、先見の明がある政策でした。
• 南鐐二朱銀の発行
    ◦ 「南鐐」とは質の良いという意味で、高品質な銀貨でした。
    ◦ 画期的な特徴:金貨の単位を銀貨に付与
        ▪ 南鐐二朱銀は銀貨でありながら、「二朱」という金貨の単位(一両=四分=十六朱)が与えられていました。これは、従来の銀貨が重さを測って使用する「秤量貨幣」であったのに対し、金貨のように額面が定められた「計数貨幣」として発行されたことを意味します。これにより、貨幣使用の利便性を高めました。
    ◦ 目的1:貨幣単位の一本化
        ▪ 金貨と銀貨が別々の単位で流通していた状況を統一し、貨幣のシステムを簡素化する狙いがありました。
    ◦ 目的2:東西流通圏の統一
        ▪ 江戸を中心とする東日本が金貨中心の「金遣い」、大阪を中心とする西日本が銀貨中心の「銀遣い」という形で流通圏が分かれており、商人間の取引において貨幣の交換や変動する交換レートが煩雑でリスクを伴う問題がありました。南鐐二朱銀の発行は、この東西に分かれた流通圏を金貨の単位で統一しようとするものでした。
        ▪ 統一の方向性:銀遣い圏の金遣い圏への組み込み
            • 特筆すべきは、金貨を銀貨に合わせるのではなく、銀貨を金貨の単位に合わせた点です。これは、大阪の銀遣い経済圏を、江戸とその周辺の「江戸地回り」と呼ばれる経済圏(商品作物生産や工工業生産が活発化していた地域)の金遣い経済圏に組み込もうとする狙いがありました。これは、将来的に江戸とその周辺の経済圏がより大きく成長すると見越した、田沼の先見の明を示すものでした。

このように、田沼意次の経済政策は、単なる財政収入の増加だけでなく、経済の流通システムを近代化し、国内外の経済動向を見据えた、非常に革新的なものでした。


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