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道徳形而上学原論|カント 紹介

2021-04-26 06:40:44 | 哲学の窓

哲学チャンネルより 道徳形而上学原論|カント 紹介を紹介します。

私が卒論でやろうと思っていたのですが断念した書です。

それをわかりや空く解説してくれています。

ここから https://www.youtube.com/watch?v=I7y9WVMz2eU

※関連した過去動画
【カント①】西洋哲学史解説【純粋理性批判】【認識論のコペルニクス的転回】 https://youtu.be/VjxGKSoU2qA
【カント②】西洋哲学史解説【二律背反】【純粋理性批判】 https://youtu.be/ElcqPEHDVxg
【カント③】西洋哲学史解説【理論理性】【ア・プリオリ】 https://youtu.be/k9k2Iv2iswY
【カント④】西洋哲学史解説【永遠平和のために】【実践理性】 https://youtu.be/XMdrJJyvjAE
※書籍 道徳形而上学原論 (岩波文庫) https://amzn.to/3qLMz8G とっつきづらい哲学や心理学の内容を、出来るだけわかりやすく完結に お伝えすることを目的としたチャンネルです。 チャンネル登録、高評価、拡散、ぜひぜひ宜しくお願いいたします。 Twitterもやっています。 色々企画も考えていますのでフォローのご協力お願いします。 https://twitter.com/tetsugaku_ch 動画の書き起こし版です。
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【道徳形而上学原論】または【人倫の形而上学の基礎づけ】は 1785年に出版されたイマヌエル・カントの著作です。 1788年に出版された【実践理性批判】は 『道徳哲学を打ち立てること』を目的に書かれたとされています。 その序論と位置づけられる本書においてもそれは同様です。 1781年に【純粋理性批判】を出版したカントは、 理性における限界をかなり厳しく批判し 人間は『もの自体』にたどり着けないと結論づけました。 それによって、理性で対応することが可能な科学と、 それ以外の思想である【形而上学】をはっきり分けたことにカントの功績があります。 【道徳形而上学】の目的は『道徳哲学を打ち立てること』でした。 つまりカントは道徳という概念は一般的な形而上学には含まれない 『理解できるもの』とカテゴライズしていたことがわかります。 実際に本書では 『道徳は経験や環境によって規定されるものではなく   先験的(アプリオリ)に備わっているものだ』としています。 カントはこの考えをベースに、普遍的な道徳哲学を構築しました。 その理論の序章が本書であると考えて問題ないです。 【道徳形而上学原論】にはこうあります。 『君の格率が、すべての人に妥当する普遍的法則になることを  欲するような格率に従って行為せよ』 カントは人間には先験的に善意志が備わっていると考えます。 善意志とは単純に善いことをしようとする意志と考えて良いです。 そして善意志が規定した【義務】は人間の行動指針になります。 人間がその義務に従って行動した場合、それ自体が善であり それがつまり道徳的行動であるというんですね。 これを端的に表したのが【仮言命法】と【定言命法】の概念です。 例えば、目の前に荷物が重くて困っている老人がいます。 このとき『荷物を持てばお礼してもらえるかもしれないから荷物を持て』と 命令するのが仮言命法です。 一方で『老人が困っているから荷物を持て』と命令するのが定言命法。 善い行いをするためには行動が手段になってはいけません。 行動はそれ自体が目的で、そのような行動はそれ自体が善なのです。 ちなみにカントは以上のような前提の元、 論理的に道徳を考察し『絶対にやってはいけないこと』を4つ挙げています。 『自殺』『返す当てのない借金』『才能があるのに発揮しないこと』 『困っている人を助けないこと』 これらは人間が先験的に備えている善意志に背いた行為だと考えたわけです。 行動が手段ではなく目的であるべきとしたのと同様に、 カントはこうも言っています。 『すべての理性的存在者は手段ではなく目的と同一である』 理性的存在者は人間と言い換えても良いですね。 つまり、人間は手段ではなくそれ自体が目的である。 実存主義ともつながる考え方です。 カントはこのように人が人のことを目的と認識して 定言命法に従って暮らす国を【目的の国】と表現し理想の国家として提示しました。 もう一度、カントの定言命法を見てみましょう。 『君の格率が、すべての人に妥当する普遍的法則になることを  欲するような格率に従って行為せよ』 人格を目的として捉え、自らの内にある善意志の命令に従って行動せよ。 自分の善意志のうちから湧き出た【定言命法】のうち、 客観的に見て、他の人間の法則にも当てはまる普遍的な道徳を実践せよ。 【道徳形而上学原論】の主張をざっくりまとめると以上のようになります。 近代倫理学は、カントのこの主張をベースに発展していきました。 しかし、平和は一向に訪れず、カントの思想に対する批判も多くあります。 個人的には、それでもカントの思想には価値があると思っています。 なぜならば、仮に新しい道徳哲学を構築するとしても、 やはりカントがスタートしたところに戻るしかないからです。 普遍的な道徳哲学を立ち上げるのならば、 人間の普遍性をベースにしなければなりません。 それ以外の『正義』『社会』『利害』をベースにしてしまうと そこには普遍性から外れた恣意性が生まれてしまうからです。 誰かにとっての正しい道徳は、誰かにとっての不合理になりかねません。 そういう意味で、カントの出発点は間違っていなかったのではないでしょうか。 一方で、人間に備わった先験的な道徳法則については いまだはっきりと解明されていません。 カントの思想をベースに、新しい道徳哲学が必要とされているのが 我々の時代なのだと感じます。 【道徳形而上学原論】は【実践理性批判】に比べ、非常にわかりやすいと言われます。 しかしそこはカント。 それでも相当難しい内容です。 しかし、何度も読み返せばカントが目指したものの輪郭を見ることはできますし なによりも彼の平和への意志を感じ取ることができます。 入門編の哲学書に慣れてきたら、ぜひチャレンジしてほしい一冊です。
 
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