昨晩は犬山祭へ行ってきました。

19時19分、犬山駅西側の様子です。

犬山祭は、針綱神社の祭礼です。
1635年(寛永12年)犬山城主・成瀬隼人公の奨励で始まったといわれますが、当時は車山(やま)のない、小規模なものでした。
18世紀中頃までにどの町にもできたといわれていますので、おそらく1730年に第七代尾張藩主となった徳川宗春の積極経済の影響が考えられます。
それもそのはず。成瀬家は、尾張藩の御附家老だからです。
吉宗の緊縮財政政策に対する宗春の開放政策で、多くのからくり人形師等が尾張に集まってきたのです。
うんちくはさておき・・・
蘇登町の車山の出発です。


練屋町の「どんでん」です。
「どんでん」とは車山の向きを変えること。よくどんでん返しといいますね。
いつもは後ろから順に付くのに、今回は横から体勢に入りました。その間、一瞬です。
見事でした。

目の前に行われるので迫力です。

人を含めると5tにもなるそうです。

3台の車山が進んでいます。手前が練屋町。



蘇登町です。

中にも人が入って押しています。

唯一の舟形の車山は新町です。
昼はとても目を引くのですが、夜は提灯が少ないのが・・・。

本町の90度のどんでんです。
1mほど前で、怖いくらいの迫力でした。



手前の人に注目。大粒の雨粒が落ちて来ました。

提灯の火を消しています。



最後に、「並ぶ屋台」

「どんでん」の映像です。
前編 https://www.youtube.com/watch?v=HQpWoriRHv8
後編 https://www.youtube.com/watch?v=wnYdAK-4Kbc
夜の車山です。
https://www.youtube.com/watch?v=qNCZCdHN5iY
ど迫力でした!!

19時19分、犬山駅西側の様子です。

犬山祭は、針綱神社の祭礼です。
1635年(寛永12年)犬山城主・成瀬隼人公の奨励で始まったといわれますが、当時は車山(やま)のない、小規模なものでした。
18世紀中頃までにどの町にもできたといわれていますので、おそらく1730年に第七代尾張藩主となった徳川宗春の積極経済の影響が考えられます。
それもそのはず。成瀬家は、尾張藩の御附家老だからです。
吉宗の緊縮財政政策に対する宗春の開放政策で、多くのからくり人形師等が尾張に集まってきたのです。
うんちくはさておき・・・
蘇登町の車山の出発です。


練屋町の「どんでん」です。
「どんでん」とは車山の向きを変えること。よくどんでん返しといいますね。
いつもは後ろから順に付くのに、今回は横から体勢に入りました。その間、一瞬です。
見事でした。

目の前に行われるので迫力です。

人を含めると5tにもなるそうです。

3台の車山が進んでいます。手前が練屋町。



蘇登町です。

中にも人が入って押しています。

唯一の舟形の車山は新町です。
昼はとても目を引くのですが、夜は提灯が少ないのが・・・。

本町の90度のどんでんです。
1mほど前で、怖いくらいの迫力でした。



手前の人に注目。大粒の雨粒が落ちて来ました。

提灯の火を消しています。



最後に、「並ぶ屋台」

「どんでん」の映像です。
前編 https://www.youtube.com/watch?v=HQpWoriRHv8
後編 https://www.youtube.com/watch?v=wnYdAK-4Kbc
夜の車山です。
https://www.youtube.com/watch?v=qNCZCdHN5iY
ど迫力でした!!