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愛知県を築いた古代豪族の正体!天皇家より格上だった尾張氏の隠された真実

2025-07-22 07:14:55 | 郷土の歴史

愛知県を築いた古代豪族の正体!天皇家より格上だった尾張氏の隠された真実

愛知県を築いた古代豪族の正体!天皇家より格上だった尾張氏の隠された真実 第1章 愛知県民が知らない衝撃の真実 愛知県にお住まいの皆さん、そして愛知県出身の皆さんに質問です。 あなたの故郷である愛知県が、実は古代豪族によって築かれた地域だということをご存知でしょうか。 その古代豪族の名前は尾張氏。 今回は、現代の愛知県に今も残る尾張氏の驚くべき痕跡をご紹介します。 ■愛知の由来 まず、愛知県という名前の由来から見ていきましょう。 愛知県は、もともと「あゆち」という名前で呼ばれていました。 古代には年魚市潟、つまりあゆちがたという海域がありました。 また、日本書紀には吾湯市村という記載も見つかります。 これらすべて「あゆち」という音が共通しています。 その後、律令制度のもとで愛知郡という郡名になり、現在の愛知県へと続いています。 つまり、1000年以上前の古代の地名が、現代まで受け継がれているのです。 では、この「あゆち」を支配していたのは一体誰だったのでしょうか。


このYouTubeの歴史チャンネルでは、愛知県の古代の豪族である尾張氏に焦点を当てています。古事記や日本書紀ではその存在がほとんど語られない饒速日命(ニギハヤヒノミコト)という神が、実は尾張氏や物部氏の祖先であり、天皇家の祖先とされるニニギノミコトよりも古い血筋の、本来の天孫であったという説を提示しています。チャンネルは、藤原不比等による歴史の改ざんによって、この重要な事実が隠蔽されてきたと主張し、熱田神宮の異常性や巨大古墳、そして壬申の乱における尾張氏の決定的な役割など、現代に残る数々の痕跡を根拠に、尾張氏の絶大な影響力と、改ざんされた古代史の真実を明らかにしようとしています。


Q 愛知県の古代支配と現代への影響について、尾張氏の役割は何だったのか?

A 愛知県の古代支配とその現代への影響において、尾張氏は極めて重要な役割を担っていました。彼らは古代から現代に至るまで、その影響力を保持し続けた稀有な氏族です。
以下に尾張氏の役割とその現代への影響を詳述します。
• 愛知県の古代支配と地名の由来
    ◦ 愛知県は元々「あうち」と呼ばれており、古代には「あち方(あちがた)」という海域が存在しました。この地域は現在の愛知県中心部に当たり、尾張氏が支配する重要な本拠地でした。
    ◦ 「愛知」という地名そのものが、尾張氏が古代からこの地を支配していたことを示す貴重な証拠とされています。この古代の地名は、1000年以上経った現在も受け継がれています。
• 主要神社における権威の保持
    ◦ 熱田神宮(あつたじんぐう):熱田神宮の摂社(本社より格下とされる神社)の中には、最高格式の明神大社や式内社が複数含まれており、これは極めて異例なことです。これらの摂社に祀られている人物(高倉結び巫女神社の高倉寺、上知我麻神社の乎止与命、下知我麻神社の乎止与命、氷上姉子神社の宮簀媛)はすべて尾張氏に関連する人物です。これらの神社は熱田神宮が創建される以前から存在しており、尾張氏は草薙剣を祭祀した後も、独自の強力な権威を保持し続けていたことを示しています。
    ◦ 真清田神社(ますみだじんじゃ):愛知県一宮市にある真清田神社は、「尾張の国一宮」であり、尾張の国で最高の格式を持つ神社です。一宮市という地名も、この真清田神社の社格に由来しています。これは尾張氏が現代まで続く絶対的な権威を持っていたことを物語っています。
• 「隠された神」賑早日(にぎはやひ)との繋がり
    ◦ 尾張氏の祖先は神・賑早日であるとされています。しかし、『古事記』や『日本書紀』といった正史では、賑早日の重要性についてほとんど語られていません。これは極めて不自然であり、賑早日は古代日本最大級の豪族である物部氏と尾張氏の共通の祖先とされているからです。
    ◦ 一方で、『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』という史書では、賑早日が極めて重要な存在として詳細に記録されています。この書物によると、賑早日は本来の天孫(天照大御神の孫)であり、天孫の印である**十種神宝(とくさのかんだから)**を授けられました。また、天皇の魂を鎮める最も重要な儀式である鎮魂祭で唱えられる「布瑠の言(ふるのこと)」も賑早日に由来するとされています。
    ◦ 賑早日の子である**天香山(あめのかぐやま)が尾張氏の祖先とされており、彼は後に神武天皇の東征の際に、権威の象徴である布都御魂の剣(ふつのみたまのつるぎ)**を神武天皇に授けたと記されています。このことは、天香山(ひいては賑早日系勢力)が神武天皇より上位の存在であり、神武天皇の大和入りが賑早日系の勢力によって「お膳立てされた出来事」であったことを示唆しています。真清田神社の伝承も、天香山が大和の国からこの地に移り住んだと伝えており、尾張の地に賑早日・天香山の系統が古くから根付いていたことを裏付けています。
• 藤原氏による歴史改ざん
    ◦ このような重要な事実が隠されたのは、奈良時代に行われた**藤原不比等(ふじわらのふひと)**による壮大な歴史改ざんが原因とされています。不比等は『日本書紀』の編纂を主導し、古代史を藤原氏に都合よく改変しました。
    ◦ その手法は巧妙で、賑早日を完全に削除するのではなく、その重要性を徹底的に軽視しました。例えば、『古事記』では、賑早日は神武天皇の東征の際にわずかに登場するだけで、長子としての地位や十種神宝の所有については一切触れられていません。
    ◦ さらに、賑早日の孫であり、尾張氏の系譜で重要な位置を占めていた**天村雲(あめのむらくも)**という人物は、『古事記』には一切登場せず、完全に抹消されたとされています。また、人名を山の名前や刀剣の名前に変えることで、その人物の存在を曖昧にしました。例えば、天香山は香具山という山の名前になり、天村雲は「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」、つまり草薙剣の別名とされました。
    ◦ この改ざんの目的は、賑早日系の方が古い血筋であり、神武天皇を迎え入れた側であったという事実が広まれば、天皇家(ひいては藤原氏が外戚として接近した皇統)の権威が根底から揺らぐためでした。この隠蔽工作は1300年間維持されてきたとされています。
• 現代に残る痕跡と政治的影響力
    ◦ 断夫山古墳(だんぷさんこふん):名古屋市熱田区にある全長151mの巨大な前方後円墳である断夫山古墳は、6世紀前半に築造されたと推定され、当時の尾張氏が絶大な権力を持っていたことを物語っています。
    ◦ 壬申の乱(じんしんのらん)での決定的な役割:672年の壬申の乱において、尾張氏は大海人皇子(後の天武天皇)を全面的に支援し、その勝利に決定的な貢献をしました。天武天皇の即位は尾張氏の支援なしには実現しなかったとされており、これは7世紀後半においても尾張氏が天皇の即位を左右するほどの強大な力を保持していたことを意味します。
    ◦ 現代の地名:愛知県や一宮市といった現代の地名も、尾張氏の古代からの支配に由来しており、1000年以上にわたって変わることなく受け継がれています。
このように、尾張氏は古代から中世、そして現代に至るまで、愛知の地において政治的、宗教的に多大な影響力を持ち続けました。その歴史は、私たちが学校で学んだ歴史には隠された重要な真実が存在し、歴史が勝者によって作られるものであることを示唆しています。


Q 歴史書におけるニギハヤヒの扱いの違いは、古代の権力構造をどう示すのか?

A 歴史書におけるニギハヤヒの扱いの違いは、古代の権力構造に関して重要な真実を示唆しています。


『古事記』『日本書紀』(記紀)におけるニギハヤヒの扱い
• 記紀では、ニギハヤヒは神武天皇の東征の際にわずかに登場するだけで、その重要性はほとんど語られていません。
• これは極めて不自然な扱いだと指摘されています。なぜなら、ニギハヤヒは、古代日本最大の豪族の一つである物部氏と尾張氏の共通の祖先とされているからです。
• 記紀は天孫降臨の主役をニニギとして強調し、ニギハヤヒの重要性を意図的に隠しているとされます。聴子としての地位や、天孫の印である十種の神宝の所有についても一切触れられていません。
『先代旧事本紀』におけるニギハヤヒの扱い
• 一方、『先代旧事本紀』では、ニギハヤヒは極めて重要な存在として詳細に記録されています。
• この書物によると、ニギハヤヒはニニギの兄であり、本来の天孫であったと記されています。つまり、皇室の祖先とされるニニギは実は次男だったことになります。
• ニギハヤヒは天孫の印である十種の神宝(病気を治す力があるとされた10種類の神宝)を授けられました。
• 彼はこの神宝を振りながら唱える「布留の言」を教え、これが天皇の魂を鎮める最も重要な儀式である鎮魂祭の起源とされています。
• また、『先代旧事本紀』は、ニギハヤヒが物部氏の祖先であるウマシマジ、そして尾張氏の祖先であるアメノカグヤマをもうけたと明記しています。これにより、物部氏と尾張氏という古代日本の二大豪族が、ともにニギハヤヒの血筋であることが示されます。
これらの違いが示す古代の権力構造
1. 皇室の権威の確立と藤原氏による歴史改ざん:
    ◦ 記紀と『先代旧事本紀』の記述の相違は明らかであり、記紀がニニギを強調し、ニギハヤヒの重要性を意図的に隠蔽していることは、皇室の正当性を確立・強化するための政治的な改ざんであったとされています。
    ◦ この歴史改ざんの主犯は、奈良時代に朝廷の実権を握った藤原不比等であると説明されています。彼は、壬申の乱を経て天皇の正統性が問われる中で、日本書紀の編纂を主導し、藤原氏に都合の良いように古代史を改変しました。
    ◦ ニギハヤヒの重要性を軽視し、彼の孫であるアメノムラクモのような重要人物は歴史から完全に抹消されました。さらに、人名を山や刀剣の名前に変えることで、その人物の存在を曖昧にする巧妙な手法も用いられました(例:アメノカグヤマを香具山に、アメノムラクモを天叢雲剣に)。
    ◦ もしニギハヤヒ系の方が古い血筋で、神武天皇を迎え入れた側だったという事実が広まれば、天皇家の権威が根底から揺らぐため、この改ざんは1300年間維持されてきました。
2. 神武天皇の「大和入り」と権力関係の逆転:
    ◦ 記紀では神武天皇が東征の際に毒気に当たって倒れた際、ニギハヤヒの子であるアメノカグヤマ(高倉下と同一人物)が「布都御魂の剣」を神武天皇に渡し、救ったとされています。
    ◦ この「布都御魂の剣」は権威の象徴であり、古代において剣を所有することは最高権力者である証拠でした。
    ◦ 常識的に考えれば、真剣を所有し、それを授ける側が上位者であるはずです。この出来事は、アメノカグヤマの方が神武天皇よりも上位の存在であったことを意味し、神武天皇の大和入りは、すでに権力を握っていたニギハヤヒ系の勢力によって「お膳立て」されたものであった可能性を示唆しています。つまり、神武天皇は既存の勢力に迎え入れられた存在だった、ということです。
3. 尾張氏の継続的な権威と支配:
    ◦ 尾張氏は、ニギハヤヒの血筋を引く有力な豪族であり、古代から現代に至るまでその影響力を保持し続けてきた極めて稀な存在です。
    ◦ 愛知県の中心部である「あいち(阿内)」地域は、古代から尾張氏の本拠地でした。
    ◦ 愛知県という県名や一宮市という市名は、尾張氏が古くからこの地域を支配していた証拠であり、彼らの絶対的な権威を物語っています。
    ◦ 熱田神宮の摂社には、通常本社より格下の摂社でありながら、本社と同格かそれ以上に古い歴史を持つ神社が複数含まれています。これらの神社に祀られている人物はすべて尾張氏に関連する人物であり、尾張氏が草薙剣を祀るようになる以前から独自の強大な権威を持っていたことを示唆しています。
    ◦ 愛知県一宮市にある真清田神社は「尾張の国一宮」、つまり尾張の国で最高の格式を誇る神社であり、その祭神はニギハヤヒと同一人物であることが判明しているアメノホアカリです。これは、尾張の地にニギハヤヒ・アメノカグヤマの系統が古くから根付いていたことを示しています。
    ◦ 6世紀前半に築造された断夫山古墳(全長151mの東海地方最大級の前方後円墳)の存在は、6世紀においても尾張氏が絶大な権力を保持していたことを物語っています。
    ◦ 672年の壬申の乱において、尾張氏が大海人皇子(後の天武天皇)に全面的な支援を提供し、その勝利に決定的な貢献をしたことは、7世紀後半においても尾張氏が天皇の即位を左右するほどの強大な力を持っていたことを意味します。
これらの情報は、日本の古代史が、学校で教わるような単純なものではなく、勝者によって都合よく改ざんされた歴史が存在し、真実が意図的に隠蔽されてきたことを示しています。しかし、同時に、その真実は地名や神社、そして別の史料の中に痕跡として残り、探求する者にその姿を現すとも述べられています。


Q 藤原氏による歴史改ざんは、天皇家と尾張氏の関係にどう影響したのか?

A 藤原氏による歴史改ざんは、天皇家と尾張氏の関係に大きな影響を与えました。この改ざんは、天皇家の権威を確立・強化するために行われ、尾張氏の祖先とされる神、饒速日(ニギハヤヒ)の重要性を意図的に隠蔽することを目的としていました。
具体的な影響と改ざんの手法は以下の通りです。
• 饒速日の地位の隠蔽
    ◦ 『古事記』や『日本書紀』といった正史では、饒速日は神武天皇の東征の際に少し登場するだけで、その重要性はほとんど語られていません。天孫降臨の主役は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)とされています。
    ◦ しかし、『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』によると、饒速日は天照大神の孫である天忍穂耳命(アメノオシホミミ)の長子であり、本来の天孫だったとされています。また、病気を治す力を持つ10種類の神宝「十種神宝(とくさのかんだから)」を授けられ、現代の鎮魂祭にも繋がる「布留の言(ふるのこと)」の起源ともされています。
    ◦ さらに、饒速日は古代日本最大級の豪族である物部氏と、尾張氏の共通の祖先とされています。尾張氏の祖先とされる天香山(アメノカグヤマ)は饒速日の子にあたります。藤原氏は、このような重要人物であり、皇室よりも古い血筋を持つ可能性のある饒速日の存在とその詳細を、正史から意図的に隠しました。
• 権力関係の逆転の隠蔽
    ◦ 『日本書紀』には、饒速日の子である天香山(高倉下と同人物)が、毒気にあたって倒れた神武天皇に「布都御魂の剣(ふつのみたまのつるぎ)」を渡し、神武天皇の大和入りを助けたと記されています。
    ◦ この剣は権威の象徴であり、古代において剣を所有することは最高権力者の証でした。剣を渡す側と受け取る側では、渡す側が上位者であると考えるのが常識的です。
    ◦ つまり、天香山が神武天皇に真剣を渡したという事実は、饒速日系の勢力(尾張氏の祖先を含む)が神武天皇よりも上位の存在であり、神武天皇の大和入りは彼らによって「お膳立てされ、迎え入れられた」出来事であったことを示唆します。
    ◦ 藤原不比等による歴史改ざんは、この「迎え入れた側」と「迎え入れられた側」という本来の権力関係を逆転させ、天皇が最初から絶対的な権威を持っていたかのように見せることを目的としていました。
• 巧妙な隠蔽手法
    ◦ 藤原不比等は、饒速日を完全に削除するのではなく、その重要性を徹底的に軽視しました。
    ◦ さらに巧妙だったのは、饒速日の孫であり、尾張氏の系譜で重要な位置を占める天村雲(アメノムラクモ)という人物を『古事記』から完全に抹消したことです。これは組織的な隠蔽工作の証拠とされています。
    ◦ また、不比等は人名を山の名前や刀剣の名前に変えることで、その人物の存在を曖昧にしました。例えば、天香山は「香具山(かぐやま)」という山の名前に、天村雲は草薙の剣の別名である「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」とされ、人々は実在の人物であったことを忘れ去っていったのです。
これらの改ざんは、もし饒速日系が天皇より古い血筋で、神武天皇を迎え入れた側だったという事実が広まれば、天皇家の権威が根底から揺らぐことを防ぐために行われました。この歴史改ざん工作は見事に成功し、1300年もの間、その隠蔽は維持されてきたとされています。
結果として、藤原氏の歴史改ざんは、尾張氏が本来持っていた古代における強力な権威や、天皇よりも上位であった可能性のある歴史的地位を曖昧にし、天皇家の絶対的な正当性を確立する上で決定的な役割を果たしました。


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