5月7日は新聞休刊日。
昨日のコラムを見てみましょう。
朝日新聞
「サザエさん症候群」なる言葉を初めて耳にしたのは随分前だが、今でも使われているらしい。日曜の夜6時半から人気アニメ「サザエさん」が放送される。その主題歌を聴くと翌日からの仕事を思って気分がふさぐ、という心理作用を言うそうだ
▼実際にそんな現象があって、言葉が生まれたのかどうかは知らない。ただ、休みも終わりの「日曜の夜」に「月曜の朝」が忍び寄ってくるあの感覚は、勤め人の一人として分かる。淡水と海水の混じり合う、汽水域のような時間である
▼さて、旗日の並びに恵まれた黄金週間も今日で終わる。深呼吸をして、明日からまた出社の新入社員もいるだろう。少しは慣れたか、まだ緊張がとけないか。ともあれオフからオンへ、上手に気分を切り替えてほしいものだ
▼ひと頃の流行語だった「五月病」の影が、昨今は薄くなってきたという。結構なことと思ったら、そうでもない。5月に限らず通年化しているらしい。仕事の現実を前に、期待との落差にへこむ人は多いと聞く
▼当たり前だが、授業料を払って学ぶのと、給料をもらって働くのは違う。いきなり面白く、「自分に合った」仕事などまずない。酸っぱいものがいつの間にか熟れるように、時間をかけて、仕事の味は深まっていくのだと思う
▼〈麗しき春の七曜(しちよう)またはじまる〉山口誓子。暦はもう夏だが、週の始まりをフレッシュな気分で迎えられる人は幸いだ。名句の香を胸いっぱいに吸って、明日からの新人諸氏にエールを送る。
読売新聞
豊山、清国、大麒麟、大受、魁傑――懐かしい四(し)股名(こな)が並ぶ。江戸勧進相撲発祥の地、東京・深川にある富岡八幡宮の鳥居をくぐるとすぐ、右に立つのが「大関力士碑」だ
◆無論いずれも名だたる力士ながら、刻まれるのは綱に手の届かなかった大関である。さらに奥へ進むと本殿の脇に、ずっと大きな「横綱力士碑」があった。両碑の距離は100メートルほどだが案外遠い
◆頑強な体と才能に恵まれた上に、並の百倍も努力を積んで、ようやく一握りの力士のみたどり着けるのが大関の座である。そこから先は、おそらく人知を超えた要素が絡む。横綱碑までの距離が長く思える理由だろう
◆きょうから夏場所。東西合わせて6人も大関がそろうのは、大相撲の歴史で初めてという。この中から奥の碑に名を刻む者が出るか。一人横綱を張り続ける白鵬以来、刻名式近しの期待は高まる
◆現実には6大関の大半あるいは全員が、綱をつかめぬまま土俵を去り、手前の碑に名前を連ねるのかもしれない。それもまた大相撲のドラマであり、観(み)る人の胸に何かを残すだろう。横綱碑よりも大関碑の前で長くたたずむ人がいる。
毎日新聞
「生きもの 円いぞ かどがない/まあるく すんなり 細長い/円満 円相 円柱形」と歌うのは生物学者の本川(もとかわ)達雄さんである。自ら作詞・作曲した「円柱なかま」の一節で、生物学の面白さを教えてくれる。円相とは、禅僧が人の心に本来備わる悟りの象徴として描く円をいう
▲生物の多様性こそ地球の豊かさにほかならない。それぞれの違いを認めつつ共通点を探れば「円柱形」に行きつくそうだ。「わたしの 手脚は 円柱形/子犬の 胴もしっぽも 円柱形/木のみき 茎も根も 円柱形/けものも 草木も ぼくたちも」。歌詞につられ、うなずく人もあろう
▲しなやかな「まるさ」は生物の形だけでなく、暮らしに根付いた方言にもいえよう。東京に生まれた詩人の島田陽子さんは大阪ことばの「まるさ」にひかれ、共通語と使い分けた。大阪万博のテーマ曲「世界の国からこんにちは」で知られた詩人は大阪ことばのやわらかな響きに乗せて、はつらつとした子どもの心を表現した
▲その子どもたちの受難に歯止めがかからない。昨年1年間に全国の警察に寄せられた児童虐待に関する相談が前年比6.8%増の3694件に上った。過去最多という
▲さらに、住民票を残し1年以上も行方不明で、学校などが居場所をつかめない小中学生も少なくない。文部科学省の調べでは全国で1200人近い消息が分からないという
▲「わたしが失ったのは たいしたものではない/親や大人に無法にうばわれた/子どもたちのいのち/そのくやしさにくらべれば」。島田さんが亡くなって1年余り。残された詩の一節を改めてかみしめている。
日本経済新聞
米ロサンゼルス郡の検事として日本側とともに「ロス疑惑」などの捜査にあたったルイス・イトウさんに、自国の陪審制をどう評価するか尋ねたことがある。苦笑しながらの答えは、「ラスベガスでポーカーをするようなもの」だった。
▼陪審員にどういう人種や立場の人が選ばれるかによって結果が大きく異なる。やってみないと分からない。そこがギャンブルに似ているという。黒人のアメリカンフットボール選手が被告になった裁判は、黒人が多いダウンタウンの裁判所で開かれたため陪審員も多くが黒人となり、無罪評決が出たと話していた。
▼「一般の人はどうしても感情に左右される」と市民裁判への不満はさらに続いたが、印象深かったのは「それでは、市民が裁く制度は考え直すべきか」と尋ねたとき。イトウさんは間髪入れず、「とんでもありません。それでも米国民には、市民から選ばれた陪審員に裁かれる権利があるんですよ」と言い切った。
▼確かにお国柄や裁判の仕組みはまったく違う。だが、司法は国民のものであり、裁判の主役は市民自身であるとの強い思いが伝わってくる。日本の裁判員裁判は今月下旬に、導入から3年を迎える。負担も課題もあるけれど、「当然、必要に決まってます」と胸を張って答えられる制度に育てていきたい。
産経新聞
昭和38年に完成した黒部ダムの建設を描いた木本正次氏の『黒部の太陽』を読んでいて、思わず首をかしげた部分があった。建設主の関西電力副社長がダムの必要性を説く。これから電力は火力が主、水力は従の時代になる。だから大きな水力ダムが必要だというのだ。
▼この「火主水従」の見通しは正しく、昭和37年には供給電力の50%以上を火力が占めている。それなら水力ダムなどもう時代遅れ、ムダではないかと素人は考えた。だがそれでも水力が必要だというのは、火力発電の特性からだった。
▼火力は燃料をたくので、コンスタントに運転している方が効率がいい。しかしそれでは、急に需要が増えた場合には対応できない。その点、水力は水をしっかりためておけば、瞬時に発電量を増やせる。火力よりも「小回り」がきくからだという。
▼その後は高度経済成長による急激な需要増で、水力が火力を補うのは限界となり、原子力がその役割を担うことになった。だが黒四ダムの建設には、片時たりとも電力を切らしてはならないという、当時の電力事業者の真摯(しんし)な思いがこめられていた。そんな証しであることは間違いない。
▼その原子力発電が稼働ゼロの時を迎えた。後は火力に頼るしかないが、このまま猛暑の夏になると、全国平均で0・4%、関西で15%前後の電力不足が見込まれる。しかも火力の特性を考えると、需要急増に対応できるのか、経済界も家庭も不安にさいなまれる。
▼むろん「原発ゼロ」を想定してこなかった電力会社の責任は大きい。だがこんな事態になっても、再稼働に指導力を発揮しようとしない民主党政権も異常である。「黒四」時代の人々の真剣さに見習うことは多い。
中日新聞
日本の登山史上、最大級の遭難といわれるのは、五十年前に大雪山で北海道学芸大函館分校の山岳部が合宿中に遭難した事故だ。部員十人が死亡、生還したのはリーダー一人だった
▼長年の沈黙を破った当時のリーダー野呂幸司さんを取材した川嶋康男さんの『いのちの代償』は、強烈な吹雪の中、疲弊して倒れていく部員の姿や遺体発見の状況、遺族の苦しみを再現し、事故の全貌を伝えている
▼「おれは死ぬまで“黒い十字架”を背負って生きなければならないと覚悟しているよ。棺桶(かんおけ)に身体を入れられるまでな」と野呂さんは、重い代償を一生引き受ける覚悟を告白していた
▼北アルプスできのう、中高年登山者の遭難が相次ぎ、六、七十代の男女八人が亡くなった。白馬岳の近くで死亡した男性六人は、全員軽装で防寒具は身に着けていなかった
▼春山の優しい顔は一瞬で鬼の形相に変わった。悠々自適の世代が、体温を奪われ、折り重なるように倒れてゆく姿を想像するのはつらい。なぜ軽装で登ったのだろうか
▼中高年世代の登山ブームを反映し、一昨年の遭難者は五十五歳以上が全体の六割近くを占めた。二〇〇九年夏、大雪山系で起きた遭難事故で、中高年ら八人が亡くなった時、野呂さんは「以前から問題はあったはずで、起こるべくして起こったことだろう」と語っていた。もう悲劇を繰り返したくない。
※ どれも味わい深い名文です。
限られた文字数、わかりやすさ、そして内容の深さ・・・
コラムは、社説以上に筆力が必要なことがわかります。
昨日のコラムを見てみましょう。
朝日新聞
「サザエさん症候群」なる言葉を初めて耳にしたのは随分前だが、今でも使われているらしい。日曜の夜6時半から人気アニメ「サザエさん」が放送される。その主題歌を聴くと翌日からの仕事を思って気分がふさぐ、という心理作用を言うそうだ
▼実際にそんな現象があって、言葉が生まれたのかどうかは知らない。ただ、休みも終わりの「日曜の夜」に「月曜の朝」が忍び寄ってくるあの感覚は、勤め人の一人として分かる。淡水と海水の混じり合う、汽水域のような時間である
▼さて、旗日の並びに恵まれた黄金週間も今日で終わる。深呼吸をして、明日からまた出社の新入社員もいるだろう。少しは慣れたか、まだ緊張がとけないか。ともあれオフからオンへ、上手に気分を切り替えてほしいものだ
▼ひと頃の流行語だった「五月病」の影が、昨今は薄くなってきたという。結構なことと思ったら、そうでもない。5月に限らず通年化しているらしい。仕事の現実を前に、期待との落差にへこむ人は多いと聞く
▼当たり前だが、授業料を払って学ぶのと、給料をもらって働くのは違う。いきなり面白く、「自分に合った」仕事などまずない。酸っぱいものがいつの間にか熟れるように、時間をかけて、仕事の味は深まっていくのだと思う
▼〈麗しき春の七曜(しちよう)またはじまる〉山口誓子。暦はもう夏だが、週の始まりをフレッシュな気分で迎えられる人は幸いだ。名句の香を胸いっぱいに吸って、明日からの新人諸氏にエールを送る。
読売新聞
豊山、清国、大麒麟、大受、魁傑――懐かしい四(し)股名(こな)が並ぶ。江戸勧進相撲発祥の地、東京・深川にある富岡八幡宮の鳥居をくぐるとすぐ、右に立つのが「大関力士碑」だ
◆無論いずれも名だたる力士ながら、刻まれるのは綱に手の届かなかった大関である。さらに奥へ進むと本殿の脇に、ずっと大きな「横綱力士碑」があった。両碑の距離は100メートルほどだが案外遠い
◆頑強な体と才能に恵まれた上に、並の百倍も努力を積んで、ようやく一握りの力士のみたどり着けるのが大関の座である。そこから先は、おそらく人知を超えた要素が絡む。横綱碑までの距離が長く思える理由だろう
◆きょうから夏場所。東西合わせて6人も大関がそろうのは、大相撲の歴史で初めてという。この中から奥の碑に名を刻む者が出るか。一人横綱を張り続ける白鵬以来、刻名式近しの期待は高まる
◆現実には6大関の大半あるいは全員が、綱をつかめぬまま土俵を去り、手前の碑に名前を連ねるのかもしれない。それもまた大相撲のドラマであり、観(み)る人の胸に何かを残すだろう。横綱碑よりも大関碑の前で長くたたずむ人がいる。
毎日新聞
「生きもの 円いぞ かどがない/まあるく すんなり 細長い/円満 円相 円柱形」と歌うのは生物学者の本川(もとかわ)達雄さんである。自ら作詞・作曲した「円柱なかま」の一節で、生物学の面白さを教えてくれる。円相とは、禅僧が人の心に本来備わる悟りの象徴として描く円をいう
▲生物の多様性こそ地球の豊かさにほかならない。それぞれの違いを認めつつ共通点を探れば「円柱形」に行きつくそうだ。「わたしの 手脚は 円柱形/子犬の 胴もしっぽも 円柱形/木のみき 茎も根も 円柱形/けものも 草木も ぼくたちも」。歌詞につられ、うなずく人もあろう
▲しなやかな「まるさ」は生物の形だけでなく、暮らしに根付いた方言にもいえよう。東京に生まれた詩人の島田陽子さんは大阪ことばの「まるさ」にひかれ、共通語と使い分けた。大阪万博のテーマ曲「世界の国からこんにちは」で知られた詩人は大阪ことばのやわらかな響きに乗せて、はつらつとした子どもの心を表現した
▲その子どもたちの受難に歯止めがかからない。昨年1年間に全国の警察に寄せられた児童虐待に関する相談が前年比6.8%増の3694件に上った。過去最多という
▲さらに、住民票を残し1年以上も行方不明で、学校などが居場所をつかめない小中学生も少なくない。文部科学省の調べでは全国で1200人近い消息が分からないという
▲「わたしが失ったのは たいしたものではない/親や大人に無法にうばわれた/子どもたちのいのち/そのくやしさにくらべれば」。島田さんが亡くなって1年余り。残された詩の一節を改めてかみしめている。
日本経済新聞
米ロサンゼルス郡の検事として日本側とともに「ロス疑惑」などの捜査にあたったルイス・イトウさんに、自国の陪審制をどう評価するか尋ねたことがある。苦笑しながらの答えは、「ラスベガスでポーカーをするようなもの」だった。
▼陪審員にどういう人種や立場の人が選ばれるかによって結果が大きく異なる。やってみないと分からない。そこがギャンブルに似ているという。黒人のアメリカンフットボール選手が被告になった裁判は、黒人が多いダウンタウンの裁判所で開かれたため陪審員も多くが黒人となり、無罪評決が出たと話していた。
▼「一般の人はどうしても感情に左右される」と市民裁判への不満はさらに続いたが、印象深かったのは「それでは、市民が裁く制度は考え直すべきか」と尋ねたとき。イトウさんは間髪入れず、「とんでもありません。それでも米国民には、市民から選ばれた陪審員に裁かれる権利があるんですよ」と言い切った。
▼確かにお国柄や裁判の仕組みはまったく違う。だが、司法は国民のものであり、裁判の主役は市民自身であるとの強い思いが伝わってくる。日本の裁判員裁判は今月下旬に、導入から3年を迎える。負担も課題もあるけれど、「当然、必要に決まってます」と胸を張って答えられる制度に育てていきたい。
産経新聞
昭和38年に完成した黒部ダムの建設を描いた木本正次氏の『黒部の太陽』を読んでいて、思わず首をかしげた部分があった。建設主の関西電力副社長がダムの必要性を説く。これから電力は火力が主、水力は従の時代になる。だから大きな水力ダムが必要だというのだ。
▼この「火主水従」の見通しは正しく、昭和37年には供給電力の50%以上を火力が占めている。それなら水力ダムなどもう時代遅れ、ムダではないかと素人は考えた。だがそれでも水力が必要だというのは、火力発電の特性からだった。
▼火力は燃料をたくので、コンスタントに運転している方が効率がいい。しかしそれでは、急に需要が増えた場合には対応できない。その点、水力は水をしっかりためておけば、瞬時に発電量を増やせる。火力よりも「小回り」がきくからだという。
▼その後は高度経済成長による急激な需要増で、水力が火力を補うのは限界となり、原子力がその役割を担うことになった。だが黒四ダムの建設には、片時たりとも電力を切らしてはならないという、当時の電力事業者の真摯(しんし)な思いがこめられていた。そんな証しであることは間違いない。
▼その原子力発電が稼働ゼロの時を迎えた。後は火力に頼るしかないが、このまま猛暑の夏になると、全国平均で0・4%、関西で15%前後の電力不足が見込まれる。しかも火力の特性を考えると、需要急増に対応できるのか、経済界も家庭も不安にさいなまれる。
▼むろん「原発ゼロ」を想定してこなかった電力会社の責任は大きい。だがこんな事態になっても、再稼働に指導力を発揮しようとしない民主党政権も異常である。「黒四」時代の人々の真剣さに見習うことは多い。
中日新聞
日本の登山史上、最大級の遭難といわれるのは、五十年前に大雪山で北海道学芸大函館分校の山岳部が合宿中に遭難した事故だ。部員十人が死亡、生還したのはリーダー一人だった
▼長年の沈黙を破った当時のリーダー野呂幸司さんを取材した川嶋康男さんの『いのちの代償』は、強烈な吹雪の中、疲弊して倒れていく部員の姿や遺体発見の状況、遺族の苦しみを再現し、事故の全貌を伝えている
▼「おれは死ぬまで“黒い十字架”を背負って生きなければならないと覚悟しているよ。棺桶(かんおけ)に身体を入れられるまでな」と野呂さんは、重い代償を一生引き受ける覚悟を告白していた
▼北アルプスできのう、中高年登山者の遭難が相次ぎ、六、七十代の男女八人が亡くなった。白馬岳の近くで死亡した男性六人は、全員軽装で防寒具は身に着けていなかった
▼春山の優しい顔は一瞬で鬼の形相に変わった。悠々自適の世代が、体温を奪われ、折り重なるように倒れてゆく姿を想像するのはつらい。なぜ軽装で登ったのだろうか
▼中高年世代の登山ブームを反映し、一昨年の遭難者は五十五歳以上が全体の六割近くを占めた。二〇〇九年夏、大雪山系で起きた遭難事故で、中高年ら八人が亡くなった時、野呂さんは「以前から問題はあったはずで、起こるべくして起こったことだろう」と語っていた。もう悲劇を繰り返したくない。
※ どれも味わい深い名文です。
限られた文字数、わかりやすさ、そして内容の深さ・・・
コラムは、社説以上に筆力が必要なことがわかります。