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徳川家康のルーツ 松平東照宮・そうでしょ家康・はじまりは松平郷・高月院

2024-05-05 06:50:52 | 徳川家康

徳川家康のルーツ 松平東照宮・そうでしょ家康・はじまりは松平郷・高月院

 

家康はなぜ松平から徳川になったかについて、愛知県豊田市のHPに下記のように記載されてます。

「家康が姓を『徳川』に変えたのは三河を治める『三河守』という官職を朝廷から任される為であったと言われています。 こうした官職は源氏や平氏、藤原氏など限られた氏族にのみ認められるものでした。 その為に許可が下りず頭を抱えていた家康は、祖先の系譜を調べ『かつて得川郷(群馬県)に住んでいた祖先から、源氏と藤原氏に分かれた』という史実を見つけます。 そして、松平から藤原氏系統の徳川に姓を戻すという苦肉の策を考え、三河守を叙任されました。 又、『得』の字を縁起の良い『徳』の字に変えて『徳川』を名乗ることになったのです。」 とあります。 一方、群馬県太田市のHPでは、 「本市は“太田市徳川町”の地名にもあるとおり、戦乱の世を治めた300年の太平の世の礎を築いた徳川家康公が「わが遠祖は、上野国新田の一族徳川氏である」として、徳川郷を祖先の地としています。 徳川氏の祖は上野国新田郡一円を支配していた源氏の嫡流新田氏であるとされています。 平安時代末期の「後三年の役」の内乱を鎮定した源義家は、東国にその基盤を築き、義家の子義国は関東に下り、その長子義重が「新田の庄」を開き、新田氏の祖となりました。 新田義季は上野国新田郡世良田荘徳川郷(現在の群馬県太田市尾島町)に住んで徳川(または得川)を称し、徳川義季と名乗りました。 これが徳川氏発祥の始まりと言われています。 その後、義季の子孫である親氏は、父有親とともに諸国を放浪し、のち三河松平郷(愛知県豊田市)に住んで松平を称し、松平親氏と名乗りました。 その松平親氏の子孫である松平家康は、後にふたたび徳川氏を名乗り徳川家康となります。」 と記載されています。 又一方で、下記のように異なる見解もあるようです。 「松平氏の始祖は松平親氏であり、徳川将軍家によれば親氏は源氏の嫡流であるという。 しかし、これは家康が三河国を平定して松平から徳川に改姓したときに、系図を操作したとみられており、実際には松平氏は西三河の土豪にすぎなかったというのが正しい見解のようである。このためか、松平の系図や歴史には多くの混乱がある。」 とのことです。 やはり、官職を朝廷から任される為の苦肉の策とみるのが自然なのでしょうか??


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