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チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調 作品36 (スコア付き)

2024-05-11 06:30:09 | 音楽雑感&関連サイト

チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調 作品36 (スコア付き)

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー: 交響曲第4番ヘ短調 作品36 TH 27 (スコア付き) 作曲年代:1877~78年 指揮:エフゲニー・ムラヴィンスキー 管弦楽:レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団 00:00 第1楽章 Andante sostenuto - Moderato con anima (ヘ短調) 18:45 第2楽章 Andantino in modo di Canzona (変ロ短調) 28:04 第3楽章 Scherzo. Pizzicato ostinato. Allegro (ヘ長調) 33:53 第4楽章 Finale. Allegro con fuoco (ヘ長調) 《交響曲第4番ヘ短調 作品36》は、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが1877年から翌年にかけて作曲した交響曲である。この当時のチャイコフスキーは、富豪の未亡人ナジェジダ・フォン・メック夫人からの金銭的援助により、作曲活動に専念できる環境が整った時期であった。一方で、アントニナ・イワノヴナという人物に一方的に求婚され結婚するも、結婚生活はうまくいかずチャイコフスキーは自殺を図るなど、精神状態は芳しくなかった。そのような中で作曲されたこの交響曲は、他の交響曲にはない憂鬱な雰囲気がある。 初演は1878年2月10日にサンクトペテルブルクにて、ニコライ・ルビンシテインの指揮により行われた。献呈はメック夫人にされた。 この交響曲に関しては、チャイコフスキーがメック夫人に宛てた1878年3月1日付の手紙に、交響曲の詳細なプログラムの説明がある。以下は、 http://www.asahi-net.or.jp/~wg6m-mykw... からの引用である。 「私たちの交響曲」には標題があります。なんとか言葉で説明しようとすればできるのです。あなただけに、私は曲全体と各楽章の意味を説明しようと思います。もちろん、おおまかなものですが。 序奏 (00:05) は、交響曲全体の「種子」であり、疑いなく主要な楽想で、これは「運命」です。「運命」は幸福の達成をめざそうとする我々の衝動に立ち塞がる破滅的な力で、快適なくらしと安らぎとが一点の曇りなく成就することが決してないように嫉妬深く見張り、ダモクレスの剣のように我々の頭上にぶら下がり、絶え間なく魂に毒を盛り続けているのです。この力は揺るぎないもので誰も打ち勝つことができないのです。我々ができることはそれに身を任せ空しく嘆くだけなのです。 荒れすさみ希望を失った感情はますます強まり心を蝕んでいきます(第1主題 01:28)。現実から目をそらし空想に浸ってみるのがいいでしょう(第2主題 05:21)。なんという喜び!なにはともあれ、甘くほのぼのとした空想の世界が広がります。優しく晴れやかな人々が集いどこかへ手招きします (06:30)。 いいぞ!強迫観念のような最初のアレグロの主題はずっと遠くで鳴っています (09:05)。空想は徐々に魂を掌中におさめていきます。憂鬱で喜びのないものは忘れ去られます。そうです、ここに幸せがあるのです。いや、それは空想だったのです。運命は私たちを空想から呼び覚まします。 このように我々の人生は、厳しい現実とつかの間の夢や幸福の幻影の絶え間ない交錯から成り立っていて、そこには逃げ場はありません。人は皆この大海に浮かんでいて、最後は飲み込まれ、引き込まれてしまうのです。 第2楽章 (18:45) は憂愁の別の側面を表わしています。この憂うつな気持ちは、一日の仕事に疲れた夜、ひとり部屋の中で腰掛けているときに襲われるものです。本を読もうとして手に取ったら思わず手から滑り落ちてしまった折などにふと思い出がたくさん湧き上がってくることがあります。なにもかもがやって来ては過ぎ去っていくのは悲しいことですが、でも若い頃を思い出すのは楽しいものです。この楽章は過ぎ去ったよき日々への郷愁に満ちています。しかし、再び生きていこうと再出発することは望みません。人生に疲れきっているのです。休息したり人生を振り返ったりするのは心地よく、若い血がたぎって生活に満足していた楽しい時もあったのです。しかしつらい時もあり、取り返しのつかない多くのことを失ってきました。これらは今やすべてがどこか遠くに行ってしまったのです。過去に没頭するのは悲しくもあり、幾分心地よいものでもあるのです。 第3楽章 (28:04)、ここでは特定の感情は表現していません。気まぐれなアラベスクや、少々酒を飲んだときにほろ酔い加減で頭の中をひらひらと通り過ぎるぼんやりしたイメージから出来上がっています。陽気な気分でも悲しい気分でもありません。何も考えず、自分の想像を自由に羽ばたかせます。すると何かの拍子で奇妙な絵を描くことに取り組みます。その中には酒盛りをして騒ぐ農民や辻歌の情景もあります。やがてどこか遠くを軍隊が隊列を作って通り過ぎます。これらは寝ている時に脳裏を駆け巡る全く取るに足らない映像で、現実との共通点がなく奇妙で支離滅裂なものです。 第4楽章 (33:53)。もし自分自身の中に喜ぶ理由を見出せないのなら他の人を見なさい。普通の人々の中に入っていき、その人たちが喜びの感情のなすがままに任せるひと時を見なさい。この楽章は民衆がお祭りを楽しんでいるシーンです。あなたはどうにかこうにか自分を忘れようとして幸福そうな彼らにつられてはしゃいでいると、無慈悲な運命がまたしても顔を出して (38:44) その存在をあなたに誇示します。人々はあなたのことを忘れ、あなたがひとりぼっちで悲しんでいても振り向くことも目を留めることもしません。なんと彼らは愉快な時を過ごしているのでしょう!なんと彼らの感情は皆幸運にも無邪気で率直なんでしょう!自分を責めなさい、そしてこの世のすべてが悲しいと言ってはなりません。単純で力強い喜びはあるのです。人々の幸福を祝福しなさい。そう、それでこそ生きることができるのです。


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