雑学カンパニーよりおすすめ雑学を紹介します。
しばらくは【歴史雑学】より。
今回は50年だと…?徳川将軍の中で任期が一番長いのは誰?【江戸幕府】 です。
紹介文です。
徳川家康が天下統一を果たし、江戸幕府を開いたのが1603年。そこから1868年までの265年間に渡り、徳川家は国を治めていくことになる。近代へ向かって著しく発展を遂げていったこの時代に、興味をそそられる人は多いはずだ。
江戸幕府で任命された将軍は計15人…そのなかで特に長くリーダーを務めたのは誰なのか、気にならないだろうか。優れているかどうかの判断は難しいが、将軍を務めた年数は影響力のひとつの基準となる。
暴れん坊将軍の吉宗か? 最後の将軍、慶喜か? いやいや、どちらでもない。正解はある意味で快挙といえる記録を残したあの人だった!
目次です
- 【歴史雑学】徳川将軍の中で任期が一番長いのは誰?
- 【雑学解説】政治に疎かった徳川家斉が励んだ仕事は…子作り!?
- お家存続のため?53人の子どもを設けた家斉
- 家斉の盛んな子作りは、一橋家の勢力拡大のためという説も…
- 【追加雑学】徳川家斉の人格者な一面
- 【雑学解説】政治に疎かった徳川家斉が励んだ仕事は…子作り!?
- 雑学まとめ
この時期は、幕府の曲がり角。
松平、水野と、いわゆる三大改革といわれながら
満足のいく結果が出せず、相対的に町民が力をつけ
文化が広がった時代。
国芳の画ではありませんが、家斉が
文化を育てた陰の功労者かも・・・
その後には厳しい統制が始まりました。
徳川家の11代将軍・家斉の任期は最長の50年、さらに53人もの子どもを作った子作りキングだった! うーん…すごい記録ではあるが、たしかに歴史の授業では触れにくい内容かもしれない。
ただ名ばかり将軍だったとしても、彼が50年もその座に居続けられたのは、やはり寛容な人柄が家臣に愛されていたからではないか。優秀な政治手腕はなくても、ある意味リーダーには適任の資質である。
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