民主化活動家・王丹氏が本紙と単独インタビューが朝鮮日報で報道されました。
http://www.chosunonline.com/news/20110919000053より引用して紹介します。
「中国版の『ジャスミン革命(チュニジアで起きた市民革命)』の動きが見られた今年の状況は、1989年の天安門事件当時より深刻だ。中国政府が緊張するのも無理はない。天安門事件当時は『民主化』という理想主義的なテーマで学生が中心となりデモを行ったが、現在のデモは個人の利益が侵害されたことに不満を感じている一般国民や労働者が扇動しており、爆発力はさらに大きくなるだろう」
1989年の天安門事件でデモを主導した民主化活動家の王丹さん(42)が、台湾・台北市の喫茶店で韓国メディアとしては初めて、本紙の単独インタビューに応じた。王さんは事件当時、北京大歴史学科に通う1年だった。王さんは事件から22年がたった現在の中国について「米国とともに二大国と称されるほど発展したが、政治・社会的には依然として遅れから脱することができず、限界に達している」と指摘した。
以下はインタビューの一問一答。
―2月にインターネット上にジャスミン革命を求める書き込みが掲載されたことに対し、中国政府は敏感に反応した。
「天安門事件が起きた89年には、東欧の社会主義国で民主化デモが起きたが、今年には中東が民主化デモの震源地となった。中国では22年前と変わらず今も物価や失業率の上昇、公務員の腐敗が続いている状況だ。中国の社会的な不公平、貧富の格差はさらに拡大した。今中国人が抱いているのは個人の利益を侵害されたことに対する不満で、今後さらに爆発力が増していくだろう」
―中国は世界2位の経済大国に浮上したが、中国人としての誇りはないのか。
「今の中国は筋肉だけで頭脳を持たない人間のようだ。経済だけが成長し、政治・環境などほかの分野は後退している。人権を犠牲にし、社会的不公平という代価を払っているからだ。こんな成長がいつまで続くだろうか。成長の質も考えなければならない。物価は上昇を続け、内需も政府が望むほどすぐには拡大しておらず、銀行の不良債権問題も深刻だ。けん制や監視がないため、当然の結果だ」
―しかし、中国に対する世界経済の依存度は高い。
「短期的には良いのではないか。しかし、民主化なき経済成長は、結局は社会の矛盾と不安を生み、世界経済の災いの元になるだろう。スピードだけを強調する中国の未来は、7月に温州で起きた高速鉄道事故が象徴している。事故が起きるまで、乗客(国民)は自分がどれほど危険な状況に置かれているかを知らない」
―デモの主導者として、歴史学者として、天安門事件が持つ重要性は何だと思うか。
「死者を出し、民主化も実現できず、失敗だったとも言える。しかし、天安門事件は中国の市民社会が発展する契機となった点で、歴史的な意味が大きい。かつての中国では、国家と国民が直接接していた。しかし、天安門事件以降、国民に銃を向ける政府と国民の間には溝が広がり、市民社会が成立する余地ができた。個々人の力で市民社会が形成されれば、民主化の道も開ける」
―一部には、中国が天安門事件による混乱を早期に収拾できていなければ、現在のような発展はなかったとの主張もある。
「当時の中国は、政府がデモを強硬鎮圧しなくても急速に成長した。デモに参加した学生の主張は急進的なものではなく、政府と対話したいというものだった。当時武力による鎮圧がなければ、社会的不公平の問題は今ほど拡大せず、安定的に発展できたはずだ。当時中国政府は1949年の建国以来初めて、国民が自発的にデモを起こしたことで危機感を覚えた。89年には天安門で大量虐殺が起きたとされているが、学生が死んだ場所は主に長安街(天安門前につながる道路)だった。流血の事態に至った6月4日未明、大半の学生は広場から脱出しており、あえて発砲する必要がなかったにもかかわらず、戒厳軍は学生に向け発砲した」
―天安門事件はあなたの人生にどのような影響を与えたか。
「私の人生は、天安門事件以前とそれ以降に分かれる。天安門事件がなければ、今ごろは中国で講義をしていたはずだ。このインタビューを含め、今私がかかわっていることの大半は天安門事件に関することだ。天安門事件を機に私の人生の方向性は完全に変わった」
―最近中国の若者は、天安門事件についてよく知らないというが。
「政府が情報を規制しているため、20代以下の人が知るわけがない。しかし、民主化の熱望は89年の天安門事件時代の学生から現在の若い層へと受け継がれている。天安門事件を知らなければ民主化を成し遂げられないわけでもなく、全ての世代が同じ方向に向かって民主化を推進しなければならないわけでもない」
―現在の中国の指導層について、どのように評価するか。
「胡錦濤主席と温家宝首相は、歴代の指導部で最も平凡だと言える。何らかの出来事が起きても論争を起こさず、ただ失敗しまいという姿勢だ。次期指導部は今よりも活発に動くとみられるが、どのような方向に進むかは見当が付かない。
―今最も望むことは何か。
「帰国して両親に息子らしいことをしたい。中国政府が入国を認めないため、13年にわたり故郷に帰っていない。旅券が2003年に失効しても、中国政府が更新してくれないため、米政府が発給した難民証で海外を転々としている。帰国して北京大の学長になるのが夢だ」
―天安門事件を主導した息子のために、両親が苦労することはなかったか。
「私の意思を理解してくれた。1990年に刑務所に面会に訪れた母は、清の時代の政治家、林則徐の『苟(いやしく)も国家に利すれば生死を以てす。豈(あに)禍福に因(よ)りて之(これ)を避趨(ひすう)するや』という詩を口にしていた」(編注・「国に利することであれば命をかけて行い、自分の幸福や不幸のためにこれを行ったり、避けてはならない」の意)
―青春期を獄中と海外で過ごしたが。
「20歳のころは何か起きると、必ず最後まで見届けなければならないと考えていた。目前になって民主化を成し遂げなければならないと考えた。しかし、若い血気だけで全てが成就するわけではなかった。後悔はない。誰かがすべきことだ。獄中では1000冊以上の本を読んだ。状況をどう受け止めるかによって、結果も変わってくる」
http://www.chosunonline.com/news/20110919000053より引用して紹介します。
「中国版の『ジャスミン革命(チュニジアで起きた市民革命)』の動きが見られた今年の状況は、1989年の天安門事件当時より深刻だ。中国政府が緊張するのも無理はない。天安門事件当時は『民主化』という理想主義的なテーマで学生が中心となりデモを行ったが、現在のデモは個人の利益が侵害されたことに不満を感じている一般国民や労働者が扇動しており、爆発力はさらに大きくなるだろう」
1989年の天安門事件でデモを主導した民主化活動家の王丹さん(42)が、台湾・台北市の喫茶店で韓国メディアとしては初めて、本紙の単独インタビューに応じた。王さんは事件当時、北京大歴史学科に通う1年だった。王さんは事件から22年がたった現在の中国について「米国とともに二大国と称されるほど発展したが、政治・社会的には依然として遅れから脱することができず、限界に達している」と指摘した。
以下はインタビューの一問一答。
―2月にインターネット上にジャスミン革命を求める書き込みが掲載されたことに対し、中国政府は敏感に反応した。
「天安門事件が起きた89年には、東欧の社会主義国で民主化デモが起きたが、今年には中東が民主化デモの震源地となった。中国では22年前と変わらず今も物価や失業率の上昇、公務員の腐敗が続いている状況だ。中国の社会的な不公平、貧富の格差はさらに拡大した。今中国人が抱いているのは個人の利益を侵害されたことに対する不満で、今後さらに爆発力が増していくだろう」
―中国は世界2位の経済大国に浮上したが、中国人としての誇りはないのか。
「今の中国は筋肉だけで頭脳を持たない人間のようだ。経済だけが成長し、政治・環境などほかの分野は後退している。人権を犠牲にし、社会的不公平という代価を払っているからだ。こんな成長がいつまで続くだろうか。成長の質も考えなければならない。物価は上昇を続け、内需も政府が望むほどすぐには拡大しておらず、銀行の不良債権問題も深刻だ。けん制や監視がないため、当然の結果だ」
―しかし、中国に対する世界経済の依存度は高い。
「短期的には良いのではないか。しかし、民主化なき経済成長は、結局は社会の矛盾と不安を生み、世界経済の災いの元になるだろう。スピードだけを強調する中国の未来は、7月に温州で起きた高速鉄道事故が象徴している。事故が起きるまで、乗客(国民)は自分がどれほど危険な状況に置かれているかを知らない」
―デモの主導者として、歴史学者として、天安門事件が持つ重要性は何だと思うか。
「死者を出し、民主化も実現できず、失敗だったとも言える。しかし、天安門事件は中国の市民社会が発展する契機となった点で、歴史的な意味が大きい。かつての中国では、国家と国民が直接接していた。しかし、天安門事件以降、国民に銃を向ける政府と国民の間には溝が広がり、市民社会が成立する余地ができた。個々人の力で市民社会が形成されれば、民主化の道も開ける」
―一部には、中国が天安門事件による混乱を早期に収拾できていなければ、現在のような発展はなかったとの主張もある。
「当時の中国は、政府がデモを強硬鎮圧しなくても急速に成長した。デモに参加した学生の主張は急進的なものではなく、政府と対話したいというものだった。当時武力による鎮圧がなければ、社会的不公平の問題は今ほど拡大せず、安定的に発展できたはずだ。当時中国政府は1949年の建国以来初めて、国民が自発的にデモを起こしたことで危機感を覚えた。89年には天安門で大量虐殺が起きたとされているが、学生が死んだ場所は主に長安街(天安門前につながる道路)だった。流血の事態に至った6月4日未明、大半の学生は広場から脱出しており、あえて発砲する必要がなかったにもかかわらず、戒厳軍は学生に向け発砲した」
―天安門事件はあなたの人生にどのような影響を与えたか。
「私の人生は、天安門事件以前とそれ以降に分かれる。天安門事件がなければ、今ごろは中国で講義をしていたはずだ。このインタビューを含め、今私がかかわっていることの大半は天安門事件に関することだ。天安門事件を機に私の人生の方向性は完全に変わった」
―最近中国の若者は、天安門事件についてよく知らないというが。
「政府が情報を規制しているため、20代以下の人が知るわけがない。しかし、民主化の熱望は89年の天安門事件時代の学生から現在の若い層へと受け継がれている。天安門事件を知らなければ民主化を成し遂げられないわけでもなく、全ての世代が同じ方向に向かって民主化を推進しなければならないわけでもない」
―現在の中国の指導層について、どのように評価するか。
「胡錦濤主席と温家宝首相は、歴代の指導部で最も平凡だと言える。何らかの出来事が起きても論争を起こさず、ただ失敗しまいという姿勢だ。次期指導部は今よりも活発に動くとみられるが、どのような方向に進むかは見当が付かない。
―今最も望むことは何か。
「帰国して両親に息子らしいことをしたい。中国政府が入国を認めないため、13年にわたり故郷に帰っていない。旅券が2003年に失効しても、中国政府が更新してくれないため、米政府が発給した難民証で海外を転々としている。帰国して北京大の学長になるのが夢だ」
―天安門事件を主導した息子のために、両親が苦労することはなかったか。
「私の意思を理解してくれた。1990年に刑務所に面会に訪れた母は、清の時代の政治家、林則徐の『苟(いやしく)も国家に利すれば生死を以てす。豈(あに)禍福に因(よ)りて之(これ)を避趨(ひすう)するや』という詩を口にしていた」(編注・「国に利することであれば命をかけて行い、自分の幸福や不幸のためにこれを行ったり、避けてはならない」の意)
―青春期を獄中と海外で過ごしたが。
「20歳のころは何か起きると、必ず最後まで見届けなければならないと考えていた。目前になって民主化を成し遂げなければならないと考えた。しかし、若い血気だけで全てが成就するわけではなかった。後悔はない。誰かがすべきことだ。獄中では1000冊以上の本を読んだ。状況をどう受け止めるかによって、結果も変わってくる」