郷が杜備忘録

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「解き明かされる日本最古の歴史津波」を読む

2017-07-17 | 読書
著者:飯沼勇義氏、2013年3月11日初版発行
前著に「仙台平野の歴史津波」(1995年)があり、東日本大震災を予見、津波対策を
訴えていた。

著書の中で語られていることは、宮城県沿岸のことで、特に仙台平野南部、名取、岩沼
地方が、歴史津波と大きな関係があったことであった。

歴史津波の時期
①西暦95年              東北太平洋沿岸津波
②西暦300年~330年       太平洋沿岸津波       
③西暦500年前後          名取沿岸津波
④西暦660年~690年       仙台沿岸津波
⑤西暦869年             貞観津波
⑥西暦1611年            慶長津波

今回分かった歴史津波
⑦紀元前2500年代~紀元前1300年代  
 高見産霊・日高見国(たかみむすび・ひたかみのくに)の津波
 この津波は今から3300年以上前の縄文時代の津波であった。

伊達政宗の関わった「貞山運河」は津波から逃れるためであった。
この地域には歴史津波によって形成された干潟、入り江、湿地地帯があり、それを結び
合わせることで作られた

岩沼の「千貫松伝説」は慶長津波のことではなく、西暦95年頃の東北太平洋沿岸津波に
関わったものであった。

仙台湾内には2つの断層がある。松島東沿沖断層(嵯峨渓逆断層)と亘理沖断層であり
北と南から仙台湾内海底に接している。

津波は地震の陰に隠れ歴史上常に削除され伝説として扱われてきたが、この伝説に
真実の歴史があった。津波は今までも日本歴史の社会を何度も破壊し国を変えてきた。

東日本大震災の震源地は、宮城県沖とその周辺の海溝であった。
広域の仙台平野は歴史津波を何度も経験し、津波の常襲地帯であった。
これは仙台平野にだけ当てはまることではなく、他の地域でもありうることで歴史から
学んでいかなければならない。

今後巨大地震と大規模津波がどの方向へ向かうか。東海、東南海、南海方面と
東京直下型が予想されている。

仙台平野の東部一帯、南部の亘理、岩沼から北部の多賀城方面まで広大な田園地帯が
あり、さらに松島から石巻方面にも海岸線と田園地帯が、宮城の穀倉地帯となっていた
が、ここが過去の津波による浸水エリアであったことに、大きな驚きがあった。
さらに、日本列島の創生にかかわることだが日本列島の東方海面下には日本海溝があり
北米プレートの下に太平洋プレートのもぐりこみが行われているとすれば、地震、津波の
発生も起こりやすく、そのような場所に生活していることも意識して対策なり対処方も
考慮していきたいと思った。

またこの著書で興味深いのは、日本の縄文時代の縄文神のことを伝える「秀真伝(ほつま
つたえ)」について書かれていてそれは「古事記」「日本書紀」編纂の原本ともいわれている。
「秀真伝」には紀元前1300年代に起こった地震津波の記録があった。
それが「高見産霊・日高見国の津波」と言う。
そして縄文神の高見産霊・日高見国が生存した聖地が、源流は青森県三内丸山遺跡、
三代、四代は岩手県一戸御所野遺跡、五代豊受は北上川河口寄りにある宮城県石巻市
桃生町太田地内と宮城県多賀城市の多賀城址地内そして阿武隈川中流の宮城県角田市の
島田地内であったということである。
しかし日本の歴史学会は「記紀」を正当化するなかで「秀真伝」を偽物扱いをし、伝説の中
の真実を見捨ててきたようである。
古代、縄文時代からの東北の歴史にはまだ知られていないことがたくさんあり、我々のごく
身近にも眠っているようでこれからも勉強していきたい。
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