文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

運用は少し先だが、表玄関はやはり羽田がいい。成田はどうするか。貨物便と反日教育をやっている支那、韓国の専用ターミナルにすればいい。

2022年11月24日 17時26分52秒 | 全般

以下は11/17に発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
支那韓国専用
日本ハムが北海道の北広島市に作っていた新球場がほぼ完成して先日、賑々しくお披露目された。
ところがホームべースからバックネットまでの距離が「18㍍余以上」(野球規則)必要なのに15㍍しかなかった。
他の球場より3㍍も狭くて、捕れるキャッチャーフライも捕れなくなる。
でも今さらバックネット裏の観客席を後ろにずらすのは無理な相談だし、規則を曲げて予定通り来春に開場させるのか。
暫くは揉めそうだが、それにしても一体どこのどいつがそんな無責任な設計図を引いたのか。
実はこれとよく似た話が半世紀も前にあった。
そのころは日本の表玄関、羽田空港の記者クラブにいた。
当時の羽田は3000㍍滑走路が2本、それと交差するように横風用滑走路が1本あった。 
何せ経済大国の表玄関だ。世界中のエアラインが羽田に飛んできていた。
乗り入れ希望の航空会社も列を成していたが、当時はまた環境問題がうるさくなってきた時期でもあった。
航空機の騒音も槍玉にあげられ、国際空港は24時間運用がルールなのに羽田は夜間の発着が禁止された。
太平洋ルートや北極を超えてくるポーラールートなどいわゆる長大航路は給油もあれば乗員の交代もある。
夜を止められるととんぼ返りとはいかない。どうしても羽田に一泊することになる。国内線も同じ。夜は飛べない。
フランク永井が歌った「羽田発7時50分」が確かあのころの大阪行き最終便ではなかったか。
かくて羽田は夜を過ごす飛行機があふれ、駐機場の不足から、ついには平行滑走路の1本を潰さざるを得なくなった。
日本の表玄関は風向き次第で滑走路1本という落ちぶれようだった。
それで運輸省がやっと動いた。ただ羽田の目の前は海だ。
そこを埋め立てていけば用地取得の手間も省け、滑走路も何本だって好きなだけ作れる。
実際、羽田はその後、沖合展開して2本の滑走路を作っているが、このときは「ヘドロが深くて埋め立て不能」と航空局長高橋某は真顔で嘘を言った。
それで航空局は陛下にお断りもなく三里塚御料牧場を新空港用地にした。
都心から70㌔もある。不便極まりないところになぜ無理して新空港を作るのか。
その理由がふざけていた。
空港にはターミナルビルがつきもので国際線なら免税店も軒を連ねるその利権を一手に握るのが羽田なら日本空港ビル㈱だ。
運輸省直営の利権会社で、トップには歴代航空局長が天下っていた。
羽田が手狭になった。それで羽田沖を埋め立てたところで儲かるのはその日本空港ビルだけだ。
ならば別に空港を作れば別のターミナルができる。
つまりおいしい天下りポストが一つ増える。それで羽田沖は無理と嘘を言って成田に空港を作った。
めでたく二つ目のターミナルビルもできて前航空局長が天下った。
利用客が不便かどうかは知ったことではなかった。
おまけに成田闘争もあった。
発端は滑走路両端の誘導灯用地が設計図になかったことだ。
設計担当が鉄道屋で、駅のホームのつもりで何も調べずに設計図を引いた。
日本ハム球場と同じ、単純な設計ミスだが、ただ日ハムと違って、ではと用地買収に行ったら、そこにはもう全共闘が横堀要塞を創り上げていた。
以来44年間、多くの警官が殺され、今も全共闘の闘争基地が敷地内に残ったまま成田は日本の表玄関を名乗ってきた。
しかし成田移転が役人どもの不埒と知れて「表玄関はやっぱり羽田」の声が大きくなった。
今、羽田には既存の貧弱な国際線ターミナルに加え、新たに本格的な国際線ターミナルも新設された。 
運用は少し先だが、表玄関はやはり羽田がいい。
成田はどうするか。
貨物便と反日教育をやっている支那、韓国の専用ターミナルにすればいい。

 



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