文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

小森陽一 (国文学者)、

2019年03月23日 13時28分08秒 | 日記

私と同様に、大半の日本国民は、この人間の事も全く知らなかったはずである。
2017-10-08 14:14:05 | 日記
以下は西野留美子つながりで知った人間をウキペディアで検索した結果である。
私と同様に、大半の日本国民は、この人間の事も全く知らなかったはずである。
西野留美子と同様に、こういう人間が日本国と日本国民の名誉と信用を貶め傷つける為に国連などを舞台にして暗躍していたのが、これまでの日本だったのである。
小森陽一 (国文学者)、
小森 陽一(こもり よういち、1953年5月14日 - )は、日本の日本文学者。東京大学教授。専攻は、近代日本文学、構造主義記号論。全国「九条の会」事務局長。
人物
東京都出身。日本共産党党員で、書記局員であった父・小森良夫(1926-2008)の仕事の関係で、1961年から4年間、ソ連の衛星国だったチェコスロバキアのプラハで過ごす。
プラハでは、ソ連外務省が直接運営する外国共産党幹部子弟専用のソビエト学校に通い、ピオネール(ソ連・共産圏の少年団)にも加入していた。
そのために帰国後、型にはまった日本語でしか話すことができず苦労した(『小森陽一、ニホン語に出会う』)。
北海道大学文学部・同大学院では亀井秀雄の指導を受ける。
大学院在学中に、札幌の進学予備校北大学力増進会の現代文科講師を勤め、その後成城大学勤務を経て、東京大学に着任する。
母親は小森香子(詩人、東京原水協・日本平和委員会理事・詩人会議常任運営委員・日本子どもを守る会理事)。共著もある(『青い空は青いままで子どもらに伝えたい - 母と子で語る昭和といま - 』)。
日本文学者として
1987年、夏目漱石の『こころ』の解釈を巡って東京大教授・三好行雄と論争し、注目を集める。
日本の明治以降期における西洋化の試みを、植民地的無意識の形成、列強への過剰な模倣など、ポストコロニアル理論研究の視点から再考している(『ポストコロニアル』)。
さらに、日本近代文学、特に漱石の作品における植民地的要素の分析を行う(『世紀末の予言者・夏目漱石』『漱石をよみなおす』p251)。
『日本語の近代』(岩波書店)の第2刷りの追記にあるが、この本の多くの部分は安田敏朗の仕事を注記なしに引いたもので、問題となった(すが秀実『帝国の文学』)。
また、NHK大河ドラマ「春の波濤」の盗作問題をめぐる裁判では、国文学の専門家としてNHK側で証言している(山口玲子『NHK犯歴録」)。
小森陽一の文学者としての最大の貢献の一つは、翻訳概念としての「文学」を相対化し、「文学」を歴史研究の不可欠の部分として実践したことにある。
小説理論に対する造詣も深い。
市民活動家として
講演、執筆活動を活発に行っているが、文学評論にとどまらず、政治的な主張も行っている。
現在、日本国憲法第9条の平和主義を守るため、憲法改正に反対する「九条の会」の運営に事務局長として関わり、憲法改正及びその手続法である国民投票法に反対して、各地で開催される集会で発言を続けるとともに、積極的に活字媒体への執筆活動を行っている(「九条の会」事務局長から新年のご挨拶)。
また、憲法の趣旨から外れ天皇中心の国家に戻る契機となるとして、教育基本法改正に強く反対。2004年、「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」の呼びかけ人となり、改正反対の運動を行っていた。(2007年1月解散)
1998年、「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」において、X JAPANのYOSHIKIが奉祝曲を式典で演奏することについて、石田英敬らとともに「公開質問状」を送付した(YOSHIKIは受け取り拒否)。
日本学術会議東洋学研究連絡委員会主催学術シンポジウム「アジアとは何か」(2001年11月17日開催)において「9・11テロは日本の神風特攻隊から学んだものである」と発言。
同僚である東京大学教養学部教授で、フランス哲学者の高橋哲哉は、思想的な意味での盟友といえる。(『ナショナル・ヒストリーを超えて』)
『戦後日本スタディーズ3  80年代・90年代』に於いて自らがマルクス主義者であることを明らかにした。
後略


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