文明のターンテーブルThe Turntable of Civilization

日本の時間、世界の時間。
The time of Japan, the time of the world

彼らがやることはまるで双生児のように似る…支那人の目の前には非核に拘(こだわ)る日本がある。非道の支那が攻めてこないと誰が言い切れるか。

2022年12月21日 21時34分24秒 | 全般

随分前に、世界中のプリマから大変な尊敬を受けているモナコ王立バレエ学校の老女性教授が来日した。
その時に彼女が芸術家の存在意義について語った言葉である。
『芸術家が大事な存在なのは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する事が出来る唯一の存在だからです。』
彼女の言葉に異議を唱えるものはいないだろう。
高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるだけではなく、戦後の世界で唯一無二の芸術家と言っても全く過言ではない。
一方、大江、村上、平野等、作家と称する人間達、自分達を芸術家だと思いこんでいる人間達の多くは、芸術家の名にも値しない存在なのである。
何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する、どころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。
彼らの様な存在は、日本に限らず、世界中の国においても同様なはずである。
つまり、真の芸術家とは、極少数しか存在していないのである。
私が、今の世界で、最もノーベル文学賞に相応しいのは、高山正之を措いて他にはいない、と言及している事の正しさを、本論文も、痛切に証明している。


色違い双生児
プーチンがウクライナに侵攻して大分経つ。 
当初は1週間でキエフ陥落と思っていたから随分と当てが外れた。 
ロシア軍の戦死者数はもう2万を超えたともいう。 
この国がもっと不自由な共産国家だったころ、アフガン侵攻をやった。 
やはり躓(つまづ)いて戦死者だけが増え、それが1万5000人を超えたとき「兵士の母」が立ち上がった。 
母たちはゴルバチョフに詰め寄ってアフガン撤退を決断させた。
そしたらついでにソ連の屋台骨まで崩壊してしまった。 
今、その数字がラインを超え、プーチンは渋々「兵士の母」に会った。
でも「人はみな死ぬ」とか煙に巻いてとぼけ通した。 
しかし街には厭戦気分が溢れ、兵士の成り手が消えた。
それで服役中の重犯罪者が駆り出された。 
「戦場で好きに殺せば娑婆に出してやる」とか約束したに違いない。 
そしたら「いや支那では秦の昔から罪人部隊を使っていた」と加地伸行が産経新聞に書いていた。 
始皇帝没後に反乱が起きたとき「重罪人を赦し武器を授け、反乱軍を撃破した」と史記にあるとか。 
ただ罪人に忠誠心はない。
隙があれば逃げるから必ず「督軍(督戦隊)がついた」という。 
支那では督戦隊は普通の部隊にも付けている。 
南京戦では日本軍が迫る中、城内の支那兵が反対の挹江門(ゆうこうもん)の方に逃げると城壁の上で待ち構えた「督戦隊が銃撃して屍の山を築いた」と戦史叢書にある。 
朝鮮戦争でも、台湾に逃げそこなった国府軍残党が毛沢東に駆り出され、督戦隊に脅されてあの人海戦術をやらされた。 
ロシアも同じ。
スターリンは対独戦で「一歩も下がるな」とする人民委員会令を出し、各部隊に200人の督戦隊を置いて逃げる兵士を射殺させた。 
支那もロシアも囚人部隊とか、督戦隊とか、示し合わせてもいないのに同じことをやる。
とくに敵軍より自軍兵士を情熱をもって殺すところがすごい。 
ほかにも共通点がある。 
ウクライナに入ったロシア兵は市民を殺し、家々を略奪して回ったが、そこで仮泊したあと「自分が寝たベッドの上に必ず排泄していった」というテレビ報道があった。 
それで遠藤誉の『卡子』(チャーズ)を思い出した。
彼女の長春の家に八路軍の小隊が押しかけて一泊していった。 
翌朝、彼らが発ったあと座敷に行ったら緞子(どんす)の布団の上に小隊の員数と同じ数の大便が残っていた。 
そう言えば数年前、加地先生の案内で高野山を歩いたとき宿坊の女将から支那人団体客の話を聞いた。 
彼らが出たあと「部屋にいって卒倒した」。 
『卡子』と同じに全ての布団の上にみんなが用を足していた。
壁や襖にもそれを擦り付けていた。 
宿坊は囲碁の名人戦の会場にもなった由緒ある宿だ。
布団はすべて焼却し、襖も畳も張り替え、壁も塗り替えた。
以後、支那人は一切お断りだという。 
ともに現代の支那人、口シア人が巧まず取った行動だが、類似点はまだある。 
イワン雷帝は商都ノブゴロドに謀心ありと疑う。 
彼は先遣隊を送ってまず城門を閉ざした。
市民が逃げられないようにして全市を制圧し聖職者や貴族を捕え、処刑した。 
女子供は縛って厳冬の池に投げ込んだ。3000人が殺されたという。 
一方、蒋介石は日本を戦争に引き込むため盧溝橋で挑発した。
日本軍が乗らないと次に通州を襲った。 
彼らは在留日本人宅を一軒ずつ検めては家人を引き出し、犯したうえ殺した。
250人が犠牲になった。 
このときも支那人はまず通州の城門を閉じて日本人を逃げ出せないようにしてから襲っている。 
顔つきも肌の色も違う支那人とロシア人。
ただ彼らがやることはまるで双生児のように似る。 
そのロシアは核を持たないウクライナを蹂躙中だ。
一方、支那人の目の前には非核に拘(こだわ)る日本がある。 
非道の支那が攻めてこないと誰が言い切れるか。

 



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