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Sun Set Blog

日々と読書と思うコト。

焼プリン

2008年03月23日 | Days

 今日のDaysは新大阪周辺から。
 午前7時台、いつものようにのぞみに乗って関西へ向かう。
新幹線に乗るときには「エクスプレス予約」を使っているのだけれど、席番リクエストという機能を使って座席を指定している。そのときに基本的には、進行方向から見て反対側の一番後ろの席を予約する。のぞみの普通車両は3人掛けと2人掛けの座席に分かれているのだけれど、その2人掛けの通路側の席だ。
 大体においてそれは1や20のDになるのだけれど、なぜそうするのかと言うとその席には壁と席の間に大きなバッグを置くことのできるスペースができるからで、大体いつもその隙間に黒のキャリーバックを滑らせる。2人掛けの方を選ぶのは眠ってしまったときのことを考えていて、3人掛けの方だと通路側に座る僕が眠り込んでしまったら、一番窓際の人がトイレに行ったりするときに移動しづらくなってしまうと思うからだ。2人掛けの方なら、ひとつくらいの席はなんとか越えていけるだろうと思うし。
 もちろん、身も知らぬ人にそんなに気を使う必要はないのだけれど、それでも乗り物の中でのトイレ問題は、意外と(というか人によってはかなり)切実な問題だと思うのでそういうところで人にあまり迷惑をかけたくないのだ。

 そして、ノートパソコンを取り出してぱちぱちかちかちと入力をはじめる。仕事は降り続ける雪の中で雪かきをし続けるみたいに終わらないくらいにあって、たとえば朝に一生懸命雪かきをしても、夜になるとまた同じように積もっている。それには少しだけうーんと思うのだけれど、考えてみれば終わらない冬はないのだ。それなので、永久に雪かきをし続ける必要はないのだ、きっと、たぶん……そうだと思うのだけれど……(ちょっと自信がないかも)。

 22時くらいまで仕事場にいて、それから社有車を運転して今日のホテルを目指す。社有車には昨年つけてもらったHDDカーナビがついていて、そいつはなぜか随分と狭い道を案内する。あんまり狭くて、途中通り過ぎてしまったような道さえあるくらいだ。
 このナビとは半年ほどの付き合いだけれど、ときどき随分とお茶目な道をナビしてくれる。また、ときどき近隣にある観光名所やホテルなどを教えてくれて、そんなときには液晶の画面にその施設の写真が表示される。設定を変えればその表示を消すこともできるのだろうけれど、面白いのでそのままにしている。運転していると、「近くに、○○があります」などと教えてくれるのだから(ちなみに、そのときに画面に出ている「詳細」というボタンをタッチすると、その施設の関連情報が表示される! かなり意味のない機能だ)。

 ホテルに着いてから、夜ご飯を食べに行く。22時半をすでに過ぎていたせいもあって、お好み焼き屋は見つからなかった。それで、ふと目に入ったラーメン屋に入る。なぜそのラーメン屋が目に入ったのかというと、看板に「焼プリン」と書かれていたからで、ラーメン屋に焼プリンなんて書かれていたら、そりゃあやっぱり気になってしまう。

 入ったのは藤平というラーメン屋で、関西には結構たくさんあるチェーン店のようだった。ラーメンは食べやすく、焼プリン(もちろん注文した)もおいしかった。
 そしてホテルの部屋に戻ってきて、Daysを書いている。
 これからちょっとだけ仕事をして、明日に備えよう。


―――――――――

 お知らせ

 新しくなった新横浜駅がもう少しでオープンですね。この半年間、毎週この駅の変化を見てきたので、なんだか不思議な感じがします。

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ミルクキャンディ

2008年03月21日 | Days

 昨日の23時30分に横浜の部屋に到着。
 新横浜駅から地下鉄に乗って、いつもの駅で降りて、いつものバスターミナルに行ったのだけれど、すでに終バスも過ぎた後で誰の姿もなかった。祝日だったんだものなと、カレンダー的感覚が薄まっているような気がしながらタクシー乗場へ。
 小雨が降っていて、黒いプラスチック製のキャリーバッグに雨がたまっていく。いくつかの小さな水玉。私鉄と地下鉄の駅とバスターミナルがあるその駅は、いつの間にかかなりの頻度で訪れる場所になってしまっている。何度も来ているので、どんな店がどこにあるか大体わかっていて、いろいろな時間の表情を見ているような気がする。同じ場所でも、時間によって表情を変えることを、僕はときどき忘れてしまうのだけれど、それは余裕がないからなのか、それともただぼんやりしているからなのか、それとも気を張りすぎているからなのか、いまいちよくわからない。
 いずれにしても、小雨の降る夜の駅前は、明るい人の普段見せない表情を垣間見たときのように、なんとなくしんとしてしまうような光景だった。

 乗り込んだタクシーの運転手さんはちゃんとサービス業言葉を話す人で(当たり前のことだけれど、タクシーの運転手にはいろいろなタイプの人がいて、ぶっきらぼうな職人のような人もいるのだ)、飴玉が入った籠を目の前に出してくれて、「おひとつどうぞ」と言ってくれた。
「あ、いいんですか。ありがとうございます」と言いながら一番上にあった飴玉をひとつ手に取る。車が走っている最中だったので早くしよう(あぶないし)と思ったのと、そういうときにはとりあえず手近なものを取ってしまう。飴玉はミルクキャンディで、口の中にやけに甘い味が広がる。

 籠の中にはいろいろな飴玉があったので、そういうときでもゆっくりと吟味する人はきっといるだろう。何かを選ぶということはどんなときでもある種の結果をもたらすものだし。けれども、個人的にはこういうときにはなんでもいいんじゃないかと思っている。大切なのはたとえば今回であればタクシーに乗ったら飴玉をもらって嬉しいということであり、それがレモン味かオレンジ味か薄荷味かということは、記憶に残る細部にはなるけれど、嬉しかったことの核の部分ではない。レモン味だから嬉しかったのではなく、思いがけず飴玉をもらったということが嬉しかった核なのだ。

 そのときそのときで、自分にとって何が核なのかということを、ちゃんとわかっていられるようでいたいなと思う。これは割といつも思っていることで、基本的な方向性があっていれば、微調整はいくらでもできるというような気でいるのかもしれない。たとえばボートを漕いでいて、目的地の方向がわかっているのとそうでないのとではまったく結果が変わってくる。1日ボートを漕いでゴールに近づくのと、全然別の場所に向かっていくというのとでは全然別物だ。それでも、1日ボートを漕いでいたという時間は同じだけ掛かるのだ。
 だからこそ、核となることが何なのか、あるいはどこを目指しているのか、ということを漠然とでもわかっていて、ボートを漕いでいくことが、たぶん大切なのことなのだと思う。

 気をつけているつもりなのに、それでも時々それを忘れてしまう。それなので、こうやってときどきちゃんと思い返していこう。


―――――――――

 お知らせ

 明日は大阪泊です。お好み焼きが食べたいと、なぜかいまから思っているのです。

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ステーキ

2008年03月20日 | Days

 今日のDaysも三宮から。
 今日は中国地方を担当している同期が神戸にやってきていて、夜ご飯を一緒に食べることになった。
「何を食べたい?」
「うーん、神戸牛かな?」
 というベタな返答で、仕事が終わった後で三宮でステーキ店を探す。
 僕も神戸を担当して半年以上になるというのに、神戸牛は食べたことがなく、せっかくの機会だからと喜んで探すことにした。
 基本的には大概のところに一人で入ることができるけれど、さすがに神戸牛の店にはなかなか一人では入りにくいものがあり入ったことがなかったのだ。

 三宮のハンズの近くで、ちょうどよい感じの看板を見つける。
 エレベーターで上の階を目指す。扉が開いた先はモダンな感じのステーキハウスで、中に入ると他には誰も客がいなかった(ちょっとやばいのかなと少しだけ思う)。
 ハの字に広がった14席のテーブルと、6席ほどのカウンター席。奥の方には個室の扉が一室見えている。カウンターの方に案内され、メニューを手渡される。もちろん、神戸でステーキなのだからそれなりに高いのだろうと予想はしていたのだけれど、それでも当たり前のように5000円は超えていて、お勧めっぽいセットとグラスワインを注文する。

 シェフが一人やってきて、目の前で肉や野菜を焼いてくれる。コースになっていて、前菜やスープなどが順次出てくる。
 肉(フィレにした)を手際よく焼いて切り分けてくれて、それを好みのソースなどで食べる。かなりやわらかくてかなりおいしい。
 粗びきの黒胡椒や塩、からしをしょうゆでほぐしたものに、主に野菜焼きに合うポン酢。それらにつけて食べていく。途中、シェフがこれはポン酢がいいですよとか、そういったことを教えてくれる。

 肉はやっぱりとてもおいしく、同期と一緒に「おいしい」を連発する。
 赤ワインたった一杯でほろ酔い加減になって、随分と気持ちよくなる。
 食後にはコーヒー(エスプレッソ)が出てきて、同期は隣で満足そうに煙草を吸っていた。

 店を出ると、勢いを弱めていた雨が再び雨足を強めていた。
 EXCELSIOR CAFFEが近くにあって、そこでホテルの部屋で飲む用のコーヒーを購入する。
 時計を見ると23時少し前。明日が祝日のせいか、三宮には随分とたくさんの人が帰らずに集っている。

 値段的にしょっちゅう食べることの出来るものではないけれど、値段的な部分でも高いだけのことはあるというおいしさだった。
 せっかく神戸を担当しているのだから一度は食べてみたいとはずっと思っていたので、そういった意味ではとてもよかったかなと思う。


―――――――――

 お知らせ

 ホテルに戻ってから置かれていた観光パンフレットを見てみたら、ちょうど行ってきたばかりの店が掲載されていて、実は当たりだったのだとわかってさらに嬉しくなったのでした。

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Hard-run Kilometers!

2008年03月18日 | Days

 今日のDaysは三宮から。
 相も変わらず出張中で、今月に入ってからすでに11泊目。三宮では大体同じホテルに泊まるようにしているのだけれど、他の地域への出張もあったので6つのビジネスホテルに宿泊している(ただし、いまは同じホテルに4連泊中)。宿泊したホテルや当日のスケジュールは手帳に記録しているのだけれど、あらためて見返してみると結構おもしろいことになっているなーと思う。ちなみに、今回の出張は木曜日の夜に横浜に帰り、金曜日1日休んだ後、再び5泊6日で大阪と神戸にやってくる。なんだか、関西に住んでいるんじゃないか? とさえ思う。

 ちなみに、今日もいつものように夜のジョギング。
 Nike+iPodでの表記だと、12.48kmを59分32秒で走ったことになっている。これは1kmを4分46秒で走るペースで、消費カロリーは898なのだそうだ。この表記がどの程度正しいものなのかはよくわからないけれど、それでも走っていく度に数字が加算されていくことはとてもやりがいのあることだ。ちなみに、先日Nike+iPodを導入してからの累計の距離が1000kmを越えて、それもとても嬉しいことだった。そのときには普段の画面に切り替わる前に「Hard-run Kilometers!」というメッセージが表示されて、達成感のようなものももちろんあった。

 1000km。4桁。
 いまいち実感できないけれど、この数字に積み上がってくるまでそれなり以上の時間がかかったし、継続は力なりなのかなと思う。いまでは10kmを走ること自体は(タイムを別にすれば)かなり辛いということはないし、ハードワークな日々でかつ外食中心の出張生活の中でも、健康を維持することができている原動力になっているようにも思う。
 出張生活になった最初の数ヶ月はほとんどジョギングをしていなかったけれど、昨年の後半にこれじゃあ駄目だと思い直して出張先でも出来るだけ走るようにしたのだった。そして、今ではキャリーバック(動く要塞と呼ばれている黒のサムソナイト)の中には常にジャージとジョギングシューズが入っているようになっている。

 そして今もジョギングを終えてシャワーを浴び終わったところで、ホテルのコインランドリーでジャージを洗濯している。一連の流れ、一連のルーチンワークのようなもの。

 部下たちや上司たちはストイックだと言う。出張先で何もわざわざ走ることはないだろうと。けれども、今の生活では日常が出張なのだから、だとしたら出張先で走らずにいつ走るのかという感じもする。ストイックなのかな? とはちょっとだけ思うけれど、楽しんでやっているので別にストイックということもないかなとも思う。

 もちろん、ホテルの位置によっては走りづらいところもある。繁華街の真ん中に位置しているホテルだとさすがにちょっと躊躇してしまう。そういったホテルに宿泊するときにはそれぞれの店のメンバーと食事をしに行ったりして走らないことが多い。いずれにしても週に3日か4日走ることができればいいと思っているので、その辺はケースバイケースで柔軟に(いい加減に?)やっている。

 話は変わって、最近は三宮駅からMint神戸に行く途中の連絡通路にあるパン屋の「cmh(セ、エム、アッシュというフランス語読みの店名)」にはまっている。特にハードパンがおいしいのだ。夜22時までやっているので、仕事が終わった後でもまだ開いているし。ジョギングが終わった後ホテルの部屋でスポーツドリンクやコーヒーを飲みながら、ノートパソコンの画面を覗きながらむしゃむしゃとハードパンにかじりついている。やばい! おいしい! と思いながら。
 何だかんだいって、出張生活を楽しんでいるよなと思う。
 他愛のないことを楽しめること自体は、ささやかな特技のようなものなのかもしれないけれど。


――――――――― 

 お知らせ

前に『バンテージ・ポイント』という映画を観たのですが、期待せずに観たらとてもよく出来た作品でした。1時間半にまとめられた脚本がとてもよく出来ていたのでした。期待して観た『ジャンパー』よりも、(個人的には)ずっと良かったのでした。

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日曜日

2008年03月09日 | Days

 昨日は20時過ぎに新大阪でのぞみに乗り込む。火曜日から関西にいたので、4泊5日の出張がようやく終了。
 車内に乗り込んでからまずもぐもぐとサンドイッチを食べる。
 それから、ノートパソコンを広げてぱちぱちと入力をする。新幹線の中で仕事なんてまるでいっぱしのビジネスパーゾンみたいだと他人事のように思う。
 まだまだ全然ちゃんと成果を出せていないような気はするけれど、それでもまずはやるべきことをこなしていくだけだ。
 一応(?)地域のマネージャーなので、どこまで何をやるのかということに対しては、ある程度以上の裁量のようなものはある。スケジュールを決めているのもミーティングなど以外はすべて自分次第だし、マネジメントの手法だって他の地域のマネージャーときっと微妙に違う。そして、どこで線を引くかというのが自分の側に委ねられている場合、やろうと思えばどこまででもやっていいので、線を引く地点が掴みづらいところがあるのだ。
 それなので、個人的には自分に負荷をかけても、部下たちの成長に繋がるようなことを重視しようと思っている。売り上げを確保するというのがもちろん大前提ではあるのだけれど(いまのところ、なんとか好調な数字は作っている)、それを踏まえたうえで何をするべきなのかと考えると、やはり部下たちの成長=チームの底上げだと思うのだ。
 小売業は労働集約産業なので、たくさんの人が仕組みで動くときに成果が現れる。そのときにたくさんの人や管理者のスキルが高ければより円滑に進むというわけだ。
 もちろん、そんなに簡単にはいかないし、O-J-TやOff-J-Tは時間がかかる類のものだ。それでも、やり続けることと伝え続けることだけが少しずつベースをあげていくと信じてやっていくしかない。
 まあ、楽しくやっているのでもしかしたらただの自己満足なんじゃないだろうか? と思うこともあるのだけれど。

 でも、ときどきは自己満足なだけじゃないのだなと思えるようなこともあって、それに救われるところもある。
 先日以前担当していた店舗のパートさんからプレゼントをもらって、とても嬉しかったこともそのひとつだ。手紙も入っていて、その中には「○○さんはパートさんにまで気軽に話しかけてくれて、一緒になって作業もしてくれてこんなふうに仕事をしてくれたマネージャーはいままでいなかった」というようなことが書かれていた。そういうのはやっぱりとても励みになるし、嬉しいなと思う。自分でやろうと思ってやっていることだし、それが責任だと思っているのだけれど、けれどもそんなことがあると大変だったことなんかも帳消しになってしまう。まだまだ全然未熟だけれど、とりあえず頑張ろうと改めて思う。

 昨日横浜の部屋に帰ったのは23時30分少し過ぎ。それから各店舗へメールを返信したりして3時頃眠る。
 風邪はまだ完全には治っていなくて、小さな子供がドアをノックし続けるみたいな咳が出続けている。

 今日は9時30分に起床。起きたら風邪が完全に治っていてくれればいいのにと思うのだけれど、実際にはそううまくはいかない。のどスプレーは今日も手放せなさそうだ。
 シャワーを浴びて、それからキャリーバックからYシャツを取り出す。そしていきつけのクリーニング店のバッグ(専用のやつがあるのだ)に入れる。
 今回は日曜だけ休みで月曜日から再び関西に出張に行くのだけれど、休日が1日しかない場合には、その日のクリーニングはそれこそ食事のように絶対に欠かせないのだ。
 普段なら車で行くのだけれど、今日は外の天気がよかったこともあって歩いていくことにする。片道20分くらいの道のり。iPodをして最近お気に入りのJanetとRADWIMPSとMegをぐるぐるとシャッフルしながら聴く。歩いていると、普段車だとなかなか目に入らないような光景が飛び込んでくる。道端に並んでいるお地蔵様とか、町内の掲示板とか。お地蔵様を見ていると昔読んだかさ地蔵の昔話を思い出す。掲示板には迷子になった犬を探しているポスターが数枚貼られていて、世の中にはこんなにも行方不明になって飼い主を心配させている犬がいるのだと思う。なんだか不思議な感じだ。そんなことはまったく考えてもみなかった。けれども、この瞬間もどこかで本来いるべき場所ではない場所に迷い込んでしまっている犬(たち)がいるのだ。もちろん、飼い主の元が本当に本来いるべき場所なのかどうかということは別にして。

 クリーニングを出して、そのまま近くにあるファミリーレストランで朝昼ごはんを食べる。一人暮らしなのでこういうところはとても気楽だ。パンがとてもおいしくてたくさん食べる。
 最近職場の人たちや母の葬式や四十九日のときに言葉を交わしたたくさんの人から、結婚しなさいというようなことを言われることが多くなって、でもそれは一人ではできないことだからさと一人ごちる。もちろん、頑張ろうとも思ってはいるのだけれど、その一方で友達を紹介すると言ってくれる同期にいまはまだいいよと答えたり、合コンに誘われたのを断ったりしているので、これはもしかしたら全然頑張っていないのかなとも思う。でもまあ、そういうのはタイミングだと思っているので、縁があればその内なんとかなるのかもしれない。ならないかもしれないけど。
 タバコも吸わないし賭け事にも興味ないしお酒も飲めないし、性格だってそりゃあ良くはないかもしれないけど悪くもないと思うのだけれど……見た目は格好いいわけではないけれど、5人以上の人と付き合ってはいるので生理的に絶対にだめという感じでもないような気がするのだけれど。

 部屋に戻ってきてからは、洗濯をして、たまった仕事を片付ける。時々なんだか洗濯をするために横浜に帰ってきているような気がするけれど、まあそれは横においておこう。
 そして、大体21時くらいまでずっとノートパソコンに向かう。さすがに目が痛くなってくるけれど、途中何度か大きく伸びをして、時々のどスプレーをしてやり過ごす。

 そして、(休日なのだけれど)部下からイレギュラーの報告の電話が入ったりして、結構な時間になってしまう。熱はないと思うのでこれからジョギングをして、出張の準備をして眠ろう。


 ……仕事の途中、クリーニングを取りに再び出掛けていった。午前中に歩いていったのが気持ちよかったので、夕方にも歩いていくようにする。
 17時30分少し過ぎ、周囲の空は夕方のものへと変わっている。ゆるやかな坂道に沿って並ぶ家並みが夕日に照らされて、随分と穏やかに世界が回っているかのように思えてしまう。
 子供連れの家族が大きな公園の入り口から出てくる。部活のジャージを来た学生の一団がバス停でお菓子を食べながらバスが来るのを待っている。犬の散歩をしている人がいて、(おそらくは)飼い犬の安否を気遣っている人がいる。ジョギングをしている人がいて、帰宅するのかたくさんの車が街道沿いを流れていく。
 そんな街並みの中を、音楽を聴きながら、少し早足で歩く。随分日が長くなったなと思う。一人暮らしをしていて時々残念に思うのは、そういう他愛のないことになかなか気付けなくなることだ。家族がいれば、そういった他愛のないことのちょっとした感想のような会話が当たり前のように交わされるはずだ。けれども僕はそういった言葉のかわりに、売上の報告を確認したり、乗り換えの時間を確認したりしている。あるいは隙間の時間を利用して本を読んだりしている。
 それは少しだけ寂しいことだ。でもきらいじゃないし、日々はそれでも充実していると思う(27%くらいは、そう思い込もうとしているのかもしれないけれど)。

 往復40分をたっぷり歩くと、軽く汗ばむくらいになる。喉の奥にある咳の塊のようなものも、その汗と一緒に流れてしまえばいいのにと最後の信号を待ちながら思う。


―――――――――

 お知らせ

 iTunes Music Storeで久しぶりに矢井田瞳のアルバムを買いました。1stや2ndの頃によく聴いていたので、懐かしい! という感じなのです。

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エヘン虫

2008年03月06日 | Days

 昨日は5時起きで本社へ。ミーティングなどを済ませ、15時過ぎに同僚と一緒に新幹線に乗って大阪へ向かう。
 大阪では夜北新地で10人で飲み会。ぐるなびで見つけた個室の創作料理系の居酒屋で、話が弾む。
 今日は1日大阪で仕事をして、各地から集まった店長たちに1時間くらい講義(?)をする。アンケートの結果を見るとわかりやすいと好評だったので、とりあえず安心する。
 それから新大阪駅で夕食を食べて、同僚の一人と新幹線で岡山を目指す。
 今回の人事異動で岡山が担当から外れることになったので、後任に引継ぎをするための移動だ。
 途中、車中でいろいろと話す。後任は同期なので元々知り合いで、そういう意味ではお互いにやりやすい。

 ホテルに到着したのは21時少し前。それからジャージに着替えて、恒例のジョギングをする。一昨日くらいから風邪気味で、咳も出ていたし喉も痛かったのだけれど、ジョギングをしたらもしかしたら直るかもしれないと安易に思っていたのだ。
 それに、いろいろと走らない理由を探してそれを認めてしまうと、次からもその理由に大義名分ができてしまう。だからそういう理由があっても走るという事例を自分に蓄積することで、これからもこういう理由でさぼらないぞというひとつのきっかけになるとは思ったのだ。今日は早く眠るという同僚は「治るか、悪化するかどっちかだな」と話していたのだけれど……

 それとは別に、今日そんな風邪気味の状態でもジョギングを行ったのは、この町を訪れるのがおそらく最後だということもあった。
 担当から外れたらおそらくもう訪れることはほとんどないはずだった。
 そして、この町では10回くらいジョギングをしたのだけれど、なかなか感じのよいコースがあるのだ(もっとも、走るのは夜なので風景を見るわけでもなく、あくまでも走りやすいというだけだけれど)。

 この町のジョギングコースでは、走りはじめと終わりに大きな橋を渡る。オレンジ色のたくさんの電灯で照らされていて、ほとんど明かりのないその周辺の闇のなかに、起きたときには覚えていない夢の中の景色のようにぼんやりと鮮やかに浮かび上がっている。その橋の途中から川下のほうを見ると、川の流れの部分がすっかり影になってしまっていて、しんと暗く沈んでいる。その景色を見るたびに、川や水には惹かれるものがあるよなと思う。
 ジョギングは大体1キロ5分のペースで10km強走る。日中ずっと喉のところに張り付いていた咳の塊のようなものは、走っている間はなぜかどこかに消えてしまっている。定期的な息を吐くリズムが、身体の中の空気を整えていく。
 3kmを過ぎた頃から、汗をかきはじめる。途中、iPodの画面を見る。息はそれほど乱れないけれど、風邪気味のせいかいつもよりペースが遅い。
 5kmくらいのコースでやめておこうかなと思う。けれども最後だしと思い直し、結局10km走る。
 そして、最後の橋のところにきたときだった。
 雪が降り始めたのだ。
 オレンジ色の光景の中に、紙吹雪をざっくりと切ったような雪が、散るようにゆっくりと舞っていた。確かに走りはじめからずっと冷え込んでいた。雪が降ってもおかしくはなかった。けれども岡山だし、もう3月だ。まさか雪が降るなんて思ってもみなかった。
 走りながら、雪を見上げていた。無理をして走ってみてよかったなと思った。こういう思いがけないことがあると、たぶんいつまでも印象に淡く残る。そして、残る記憶はそれほど悪いものにはならなそうなので、そういった意味では人生的には得をしたような気がする。

 もちろん、その町を最後に訪れるときに、3月の雪が降っていた橋をジョギングしていたなんてことは、本当に他愛のないことだ。けれども細部の積み重ねこそがいろいろなものを作っていく。食べるもので身体が作られていくように、日々の細かな仕事が信頼のようなものを生むように。

 ホテルに戻って、シャワーを浴びる。走り終わったら、さっきまで感じなかった喉の痛みをまた感じ出す。ジョギングの間は、エヘン虫はきっと喉のどこかに隠れていたのだろう。
 これはもしかしたら風邪を悪化させたかなと少しだけ思ったけれど、まあよかったということにしておこう。とりあえず。


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 お知らせ

 それでいま5時に起きたのですが、喉はかなり痛いのでした……薬を買わないと……

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更新

2008年03月03日 | Days

 随分と久しぶりの更新。
 もう3月になって、なんだかあっという間に時間が過ぎていくのが不思議な感じだ。

 仕事を随分と忙しくしていて、厳密に言うと忙しくしようとしているのかもしれないけれど、たぶん充実はしている。本も今年になって20冊以上読んでいるし、ジョギングも200km以上走っている。部下たちや上司や昔の友人たちと飲みにも行ったし、仙台や長崎、博多など普段行かない場所にも出張に出掛けた。毎週関西への出張なのは相変わらずだけれど、担当地域が微妙に変更になり、兵庫県と大阪北部を担当することになった。いままでの1.5倍の売上を管理することになり、やりがいがあるのと同時に大変だなとも思っている。

 けれども、どれも薄いフィルター越しの出来事のように思える。

 1月に母が亡くなり、先週末に実家に帰り四十九日を済ませてきた。1月の吹雪のなか、母は月曜日に入院して木曜日に亡くなった。家族から連絡を受けてすぐに実家に帰ったので最期には会うことができたけれど、いまでもうまく実感することができない。あっという間の出来事で、たった1週間ほどですべてが目の前を過ぎていった。わずか1週間にも満たない内に、人が生きていたということが滞りなく流れていくということがうまく理解できなかった。

 もちろん、長男としてしっかりと様々な対応を行い、家族のかわりに遺族代表の挨拶さえ務めた。たくさんの人たちに助けられていることを実感したし、一人では生きられないのだということもよくわかった。ありがたかったのは300人近くの人が母のために葬儀に来てくれたことで、たくさんの人に愛されていたのだということわかり、幸福な人生だったのだと思うことができたことだ。

 お寺は小学校時代からの幼馴染の家だった。おじさんといまでは跡継ぎとして副住職となっている幼馴染がお経をあげてくれた。先週末に帰ったときには、しばらく疎遠だった幼馴染たち4人と一緒に飲みにも出掛けた。時の流れを感じたし、中学生の頃一緒に塾に通っていたメンバーが、それぞれ社会で頑張っているのだ。それは随分と感慨深いことだったし、こういった再び繋がった縁も母が作ってくれたのだなと思っていた。

 そして、いろいろなことがあったけど、いまでも決定的なことについては考えないようにしている。

 たとえば家族はたくさん泣いていたけれど、僕も泣いたけれど、それでもたくさん泣くことはできなかった。病院や葬儀の間中、しっかりしなければということを、まるで呪文のように唱えていた。実家から飛行機で横浜に戻り、一人になったら泣いてしまうかもしれないと思ったけれど、まるで泣くタイミングを後回しにするためであるかのように、いろいろなことで時間を埋めている。埋めまくっているという方が正しいかもしれない。

 そうしているうちに、うまく何かを薄め、引き伸ばすことができるとでも思っているのだろうか?

 正直な話、たぶんどこかではまだ信じたくはないのだと思う。いい年をした大人だし、頭ではちゃんと理解している。母がもういないのだということもよくわかっている。
 けれども、どこかではそれをちゃんと認めていないのだ。
 仕事は同じように頑張っているし(部下の何人かには精神的に強いんですねとしみじみと言われた……)、普通に笑えるし、普通にいつものように穏やかに過ごしている。
 
 けれども、決定的な塊のようなものには触れてはいないのだ。
 その周辺を、うまく距離をとりながら回り続けているだけだ(それは、静かな宇宙で回り続けている人工衛星のようなイメージ)。
 そして、それでいいのだとも思う。
 物事には何だってタイミングのようなものがあるのだし、身体や精神が拙くもいまじゃないと言っているのだ。
 時間が経てば(時間がすべてを解決してくれると何人もの人が言ってくれた)、ゆっくりとその塊にも近づいていくことができ、触れることができるようになるのだろう。
 だから、いまは距離を保ってぐるぐると回り続けながら、感謝の気持ちを事あるごとに思い返していくだけでいいのだ。


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 お知らせ

 四十九日が終わったら、更新しようと思っていました。
 これからはマイペースで、更新していく予定です。

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12月も残りわずか。

2007年12月22日 | Days

 前回のBlogで「今日から12月」と書いたと思ったら、あっという間に残すところ10日を切ってしまった。
 その間相変わらず移動をし続けていたのだけれど、なんだか随分と慌しかったような気がする。

 毎週兵庫県や岡山県を出張で回っていたし、東京の本社での会議や関東地区の競合店調査に参加したりもしていた。
 また、西日本のチームの忘年会が京都で開催されたこともあって、久しぶりに京都にも行った。
 何人かと食事にも行ったし、昨年に引き続きクラブW杯準決勝(ACミラン対浦和レッズ)も観に行ってきた。
 週3回ペースでジョギングもしていた。
 コートも買った。
 本も移動中に結構読んだ。

 変わり映えがないと言えば変わり映えがないけれど、それなりに満喫している愉しい日々。ただ、こうやって日記のようなものを書く間隔が空いてしまうと、その時々に感じたことなんかを忘れてしまっているのが残念なような気がする。

 たとえば、京都では西日本の各地域の地区長たちで集まり、町屋を改造した隠れ家風の飲み屋でささやかな忘年会をした。路地から四条通りに出ると、まだたくさんの人で溢れていた(ムックの着ぐるみを着たカップルがいて、異様な雰囲気を醸し出していた)。
 そのときでまだ23時少し前だったのだけれど、週末で、12月なのだ。同じように忘年会をしている人がたくさんいたのだろう。そこで上司や先輩たち4人は別の店に向かうことになり、僕と同期の2人は次の店には行かず、そのままホテルに帰ることにした。付き合いが悪いと言えば悪いけれど、居酒屋の次の店、というのはどうにもあまり好きではなかったのだ。

 四条通りのスターバックスがちょうど閉店間際で、2人でクリームブリュレラテを注文して、それを飲みながら駅の近くのホテルまでをゆっくりと歩いた。同期といっても僕よりも2歳年上で、落ち着いていて信用できる同僚と今年のあれこれを話しながら、冷たい風が吹く京都の街中を歩いたのだ。そしてそのときに、今日のことはたぶん覚えているのだろうなとぼんやりと思っていた。京都で飲むこと自体がまずないので印象的だったということもあるし、今年のメンバーで一緒に飲むことも最後だと思えたからだ。
 僕の会社は人事異動がわりと多いし、いま西日本のチームになっているメンバーも、人によってはもう随分と長くなってしまっている。来年には担当地域の変更や、入れ替わりといったこともあるだろう。毎年毎年それは必ず思うことなのだけれど、今年のメンバーというのは数ヶ月もすれば形を変えてしまう。だからこそ言葉を交わし、コミュニケーションをとることができたことは、とても得難いことなのだろうなと思っていた。

 逆にある店の部下たちとご飯を食べに行ったときには、ファミレスに行ったのだけれど、気が付くと1時過ぎまで話していた。
 真面目な話からちゃかしたような話までいろいろと話したのだけれど、女の子の一人とは10歳年が離れていて、これだけ離れているとジェネレーションギャップがあるのだろうなと思っていた。

 クラブW杯はバロンドールのカカのプレイを生で見ることができただけでもう胸がいっぱいという感じだった。サッカー好きの先輩と一緒に観に行ってきたのだけれど、横浜で待ち合わせて食事をしてから日産スタジアムに向かった。食事の時には、それぞれがしている仕事の話で盛り上がる。また、浦和レッズの応援は噂に名高いだけはある激しいもので、最高潮にボルテージが高まっていて、見ているだけでも楽しいものがあった。

 他にもたくさんの些細な出来事があった。そして、そのときにいろいろなことを考えたり、思ったりしていた。けれどもそれはいまではもうぼんやりと曖昧な輪郭を持つものになってしまっている。あるいは、エピソードによっては輪郭すらうっすらと消えてしまっている。
 昔の日記(のようなもの)を読み返したときに思うのは、残しておくことでその出来事と、それに派生して起こった事柄を思い返すことができるということだ。そして、残していなければ、それはもう本当に驚くような偶然でも起きない限り、思い返すこともないような気がする。残しておくことだけで、ある種のスイッチの働きを示してくれる。それだけでも日記を残す意味はあると思う。あまりにもたくさんのことを忘れてしまうから、また忘れてもいいように、たとえわずかでも書き記しておくこと。
 改めてそう思い、久しぶりに更新することにしようと思う。

 ちなみに、今日からまた長期出張に出掛けていて、今度自分の部屋に帰ることができるのは1月4日の予定。もちろん、その間働きづめというわけではなく、休日は現地(神戸)で消化する予定。スケジュールの都合上どうしても連休にすることができなくて、1日だけの休みのためにいたずらに往復回数を増やすのなら、現地で休もうと思ったのだ。
 そして、今日のDaysもホテルでノートパソコンを広げて、LANケーブル越しに書いている。7年以上前の出張では、PHSにケーブルを繋いでインターネットをしていたことを思うと、時代が進化したのだなと思う。


―――――――――

 お知らせ

 iTunesで黒沢健一の新曲がダウンロードできるようになっていて、懐かしくて思わずすぐ購入してしまったのでした。

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出発

2007年12月01日 | Days

 今日から12月。今年も残すところあと1ヶ月。随分とあっという間だったような気がする。ちょうど1年の半分くらいで日々のパターンが変わったので、そういう意味ではわかりやすい1年かもしれない。
 ちなみにいまは午前6時少し前で、これから4泊5日の出張に出発。
 バスと電車を乗り継いで、まずは新横浜へ。

 最後の1ヶ月が充実したものになるよう頑張ろう。

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 お知らせ

 Amazonで購入したDVDを持っていくのです。

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イレギュラー

2007年11月30日 | Days

 昨夜23時30分に6泊7日の出張から帰ってきた。
 長い出張になると、自分の部屋に帰ってくるのが楽しみでしょうがない。重いキャリーバッグを転がしながらようやく部屋の前に到着して、郵便受けに突っ込まれているDMや定期購読している雑誌などを一瞥する。そんなときに、この部屋を出たときの天気はどうだったっけ? と思うのだけれど、天気はどうしても思い出せない。朝5時台だったことだけは確かで、天気は曖昧。でも晴れか曇りだ。折り畳み傘は今回の出張では一度も使わなかったのだから。
 ポケットから鍵(もう10年以上使っているキーホルダーに、4つの鍵がついている)を取り出してがちゃがちゃとドアを開ける。よいしょと心の中で呟きながら、キャリーバッグを持ち上げて玄関に入れる。そのときにいつも「ふぅ」と思う。「帰ってきた!」と。

 ぱちり。部屋の電気をつける。不在の部屋は冷え切っているので、すぐにエアコンの暖房と、オイルヒーターの電源を入れる。エアコンはすぐに効き始め、オイルヒーターは2時間くらいかけてゆっくりと部屋の空気を暖めていく。パソコンの電源を入れて、ネクタイをゆるめる。服を着替えて、何か飲み物を飲む。冷たいものが飲みたい気分じゃないときには、コーヒーを入れる。それからキャリーバッグを開けて、クリーニングに出すYシャツなんかをいきつけのクリーニング店にもらったバッグに入れ替える。洗濯をするべきものはランドリーバスケットに入れる。クリーニングと洗濯は僕の生活の中で5%くらいを占めているので、出来るだけ後回しにしないようにする。それから本や細々としたものを取り出す。そのときにはパソコンが立ち上がっているので、ヘッドホンをして、音楽を聴く。

 メールをチェックすると、学生時代の友人からメールが入っている。久しぶりだ! と思い、もう年末なのだなと思う。忘年会やら、久しぶりに誰かと会うにはちょうどよい時期。
 深夜0時過ぎに携帯が鳴り、後輩からメール。別の後輩が交通事故にあって骨折したとのこと。命に別状がないとのことでとりあえずほっとする。
 事故や不測の事態というのは本当に不意に訪れるものだ。今回の出張中にも、深夜の火事を目撃した。三宮での出来事で、出張先のメンバーと4人で飲んだ帰りにコンビニで飲み物を買って出たら、目の前のホルモン屋から出火していたのだ。高架下の店で、建物と高架の隙間から炎が噴き出していて、まず客が、続いて店員たちが歩道に飛び出してきた。「火事だー」という声があがり、道路脇で立ち話をしていたタクシーの運転手たちが呆けたように火を見上げる。火事の外にいると、火事に対して誰もが関係ない外での出来事のように認識してしまうのだろうか? すぐに誰もが逃げ出していくようなことはなかった。ただ、少しずつ、少しずつ周囲にいる人の輪が遠ざかり広がっていく。そうしている間に炎はすぐに煙に取って代わられ、周囲をものすごい量の煙が覆い始めた。まるで北風に載った不吉な報せのように、黒煙は周囲の路地まで延びていった。
 誰かが呼んだのか消防車のサイレンの音が聴こえる。一時、周囲は騒然となる。火事はまさに不測の事態で、それはとても思いがけない光景だった。もし店が火事になったら、考えたのはもちろんそういうことだった。自分は、そしてメンバーは、落ち着いて冷静に対処することができるのだろうか? と。

 そういうときこそ、普段の訓練が重要なのだろうなと思った。訓練をしていないと、頭が真っ白になってしまいそうだ。訓練をしていることで、真っ白になってもとりあえず何をすればいいのか、どう動けばいいのかだけはわかる。それがあるのとないのとでは大違いだ。
 そんなことを、思っていた。

 読了した本。

『スタバではグランデを買え! 価格と生活の経済学』吉本佳生著。ダイヤモンド社。
『No.1販売員は全員フツーの人でした。でも、売上1億円以上! なぜ?』松井政就著。光文社。

『スタバ~』は同じ商品が店によって異なる価格で売られている理由や、スターバックスのコーヒーのサイズの秘密、または携帯電話の料金設定の意味など、生活に身近な例をもとに価格とコスト(特に手間というコスト)の関係を解説している本。例がわかりやすい(というかなじみのあるものばかり)なので、読みやすく思えるだろう。

『No.1~』は、各業界(家電量販店や百貨店、旅行サービスや住宅まで)を代表する各社のNo.1販売員へのインタビュー集。そこには全員に共通する「法則」のようなものはなく、十人十色の思いのようなものがある。ただ、それぞれ実績と作っている人だけあって、考えさせられる言葉が多い。それにしても、光文社のペーパーバックシリーズの本は、どうしてこうもべたで狙いすぎな感じのタイトルなのだろう?


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 お知らせ

『閃光少女』のDVDを買いました。耳に残る曲ですね。

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