Sun Set Blog

日々と読書と思うコト。

茉莉花茶

2005年01月29日 | Days

 研修ネタが続くのだけれど、成田空港で2万円分の中国元を両替した。
 研修の間はほとんど自由時間もなかったので、あんまり使わないのだろうなとは思っていた。それで空港で先輩や同期が両替している金額を参考に、2万円分だけ両替していくことにしたのだ。
 結果から言うと、2万円は使い切ることができなかった。ただし、逆両替で損をしてしまうのもいやだったので、いちおう札は全部使ってきた。
 残ったお金の使い道は、おみやげとお茶。そう、中国といったらやっぱりお茶だと思ったのだ(毎度のことながら単純で困ってしまうのだけれど)。
 おみやげはそんなに高いものではなく、その辺のお店で売っているようなお菓子を山ほど買った。店のメンバーの人数がそれなりに多いので、何種類かにわけて。コンビニで見かけたきのこの山のばった物(クッキーのところに目や口が描かれているキャラクター風のパッケージ)を買うかどうか最後まで迷ったのだけれど、それは結局やめておいた。
 それはやめて正解だったと思う。

 で、本題のお茶なのだけれど、おみやげ用と自分用を購入した。力を入れたのは自分用。今回の旅行で自分の物はほとんど買わなかったので、お茶くらいはという気持ちがあったのだ。
 結局、茉莉花茶を2種類買った。茉莉花茶は、葉っぱになっているものと、身のように丸まっていて花がついているやつ。実の方は急須の中にひとつの実を入れてお茶を注いで、しばらくしてふたを開けてみると、その実がほぐれてお茶葉になっているのだ。飲んでみると、とても飲みやすく、おいしかった(これはまあ雰囲気とか、中国で買ってきたからという気持ちが働いていると思うのだけれど)。色もとても淡く薄くて、茉莉花茶はもともと好きだったので、なんだか嬉しくなってしまう。
 葉っぱのやつの方が高かったのだけれど、そちらもとてもおいしかったのだけれど、実がほぐれるのが愉しくて、しばらくは実の方を頻繁に飲んでしまうような気がする。

 基本的にはコーヒー党でたまに紅茶という感じではあったのだけれど、お茶もいいなと、実はちょっと思いはじめている。
 単純だけれど、こういうきっかけにはフットワークを軽くするほうがいいし。


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 お知らせ

 来週くらいにはようやく落ち着くので、ゆっくり休日にお茶を飲んだりできると思うのですが……

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フロントの少女

2005年01月26日 | Days

 中国に行っていたときのある晩、僕らはホテルの中にある大浴場に行くことにした。その日は上海から車で4時間以上離れた場所にある工場を見学し、そこからさらに1時間くらいのところにあるそのホテルに泊まることになっていた。街灯もない山の中のホテルで、闇の中でそのホテルの明かりだけが周囲に心細く浮かび上がっていた。まるで昔話の山姥が出てきそうな場所だった。

 そこは中国にしては珍しい温泉の出るホテルで、その特徴を最大限に活かすべく別棟に大浴場が設けられていた(他にもビリヤード場やカラオケやディスコ、それにインターネットバーなどがあった。温泉を軸にした総合遊戯施設のような場所だったのだ)。
 大浴場は後払いで、中にはプールがあり、他にも垢すりやマッサージなどができるようになっていて、ロッカーのキーの番号でどのサービスを受けたのかがカウントされ、最後に精算をするようになっていた。中ではそれぞれの係がまるでチェックポイントの中ボスのように「プール、プール」とか「マサージ、マサージ」と連呼していて、入浴客をしきりに勧誘していた。

 僕はサイフを部屋に置いてきたという先輩に入浴代を貸すという約束をしていて、その先輩より早く大浴場を出た。
 大浴場が閉まる時間だったこともあって、ロビーには他の客の姿はなかった。女の係員が2名いて、中国が通じないことがわかると、片方がカタコトの英語で話しかけてきた。カタコトの単語なら聞き取ることができるので料金がわかり、その分の元を支払う。そして、ロビーにある椅子に座って、先輩が戻ってくるのをぼんやりと待っていた。

 そこには細長いカウンターがあり、待合所のようなソファーが置かれたコーナーがあり、僕が座っている一人用の椅子が十以上並べられたコーナーがあった。ソファーの近くには新聞紙が何部か置かれ、照明はほとんどが落とされ、ダウンライトだけが淡く周囲を照らしていた。何かを落としたら、その音が遠くまで響いて聞こえるような静けさがあった。

 女の子の1人は銀行員のような制服を着ていて、もう1人はピンク色のカジュアルなコートを着ていた。おそらくはもう仕事が終わって、もう1人の仕事が終わるのを手伝いながら待っているみたいだった。2人ともまだ20歳にはなっていないように見える。そして、大浴場の方から次々と男が出てくる。彼らは風呂場の係員らしく、仕事が終わった者から、フロントの裏側にある係員用の部屋に戻っているみたいだった。そのときに男たちはフロントの女の子たちに軽口を叩き、2人も笑いながら言葉を返したり、ときどきは声を荒げて怒ってみせたりしていた。

 それからまだ残っていた他の客がフロントで支払いを済ませ、制服を着た女の子の方も、コートを着た方も、手際よく働いていた。それからまた別の男がフロントに戻ってきて、やはり同じように軽口を叩く。ピンク色のコートを着た女の子は、笑いながらその男の背中にチョップを繰り出していた。男は「おいおいよせよ」というようなことを言って、笑いながら奥へと消えていく。

 他にすることもなかったので、僕はずっとその様子を見ていた。
 そして、この場所をおそらく僕は二度と訪れることはなくって、この人たちを二度と見ることもないのだと思っていた。そう思ってみると、なんだか自分が映画のワンシーンを垣間見ているような気がした。たとえばこのピンクのコートを着た女の子は十八歳くらいで、この大浴場の仕事をしながら、たくさんの兄弟姉妹を養うのに一役買っているのかもしれない。都会に出ることに憧れながら、少しずつお金を貯めているのかもしれない。もしかしたら一緒に働いている男たちのなかの一人と恋人同士で、仕事帰りには自転車で送ってもらったりしているのかもしれない。もう一人の女の子とは親友同士で、仲がよいのかもしれない。あるいは都会へ出た恋人が迎えに来てくれるのを待っているのかもしれない。

 そんな、まるでよくあるアジア映画のようなストーリーをぼんやりと考えていた。
 けれどもこれは現実だ。実際には想像を超える現実があるのだと思う。けれども、笑顔を見せて深夜のフロントで働いているその女の子には、少なくとも不幸な結末は待ってはいないような気がした。もちろん、そんなのは根拠のない思い込みだということはわかるけれど、それでもそんなふうに思えたのだ。

 中国との時差はマイナス1時間。日本と同じくまだ深夜の中国の、ある地方都市の山の奥にあるホテルで、いまもあの女の子はピンク色のコートを着てフロントに立っているのかもしれない。同僚たちと、軽口を叩いて笑っているのかもしれない。
 けれども、僕はもう二度とあの場所を訪れることはない。
 それでも、垣間見た光景をこうやって文章に残しておくことで、僕はその場所のことを思い出すことができる。いつかすっかり忘れてしまったとしても、文章を読み返すだけであの夜の薄暗いロビーやフロントの少女を思い返すことができる。

 この広い世界で垣間見ることができる光景はほんのわずかなものでしかないけれど、小さな光景が蓄積されていくことは、決して意味のないことではないと思う。
 少なくとも、個人的には深夜に深々と雪が降るように、そんな光景が記憶の中に積もっていくことは大切だし大事なことだと思う。


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 お知らせ

 Rie fuのアルバムを購入しました。

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研修終了

2005年01月25日 | Days

 中国への研修から帰ってきた。上海とその近郊の工場や物流センターを見学し、現地社員による講義を聞くという内容だ。
 4泊5日の日程だったのだけれど、かなり密度が濃く、個人的にはとても充実していた時間だった。
 中国ははじめて訪れたのだけれど、世界の工場と呼ばれる中国の、さらには経済の中心である上海の街は、よく雑誌等で書かれているようにやはりとてもダイナミックな場所だった。50階建ての高層ビルが林立する横に、貧民街のような雑多な家が並び、着飾った女性が通っている歩道には、道をふさぐように物乞いの老婆が横になっている。大きな飲食店の前では、5歳くらいの小さな女の子がお金をくれと近付いてきて、その横を黒塗りのベンツが通り過ぎていく。清濁併せ呑むというような、きれいなものもきたないものも一緒に取り込んで巨大化し続けているといったような、そんな雰囲気があったのだ。

 都市の中心部も、郊外の工場も両方見たのだけれど、よく言われるような成長性は強く実感させられた。アジアにおける日本の優位性なんて、10年も経てばあっという間に追い抜かれてしまうような、そんなふうに思えた。進化を促すのは最終的には人のはずで、その人の持つハングリーさのようなものが、圧倒的に日本よりも強いような気がしたのだ。

 また、現地では仲のよい同期や、昔一緒に働いたことのある先輩が勤務していて、そんな姿を見ることができたのも嬉しかった。同じ会社の中で、様々な場所で仕事をしていて頑張っているのを見ることはやっぱり励みになる。
 いろいろな意味で考えさせられる研修だったのだけれど、百聞は一見に如かずというのは、その通りなのだと思う。


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 お知らせ

 どんな違いがあるのだろうと、スターバックスコーヒーとマクドナルドにはやっぱり入ってしまったのでした(ローソンにも)。
 
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『EQマネージャー』

2005年01月14日 | Book

『EQマネージャー』読了。デイビッド・R・カルーソ+ピーター・サロベイ著。渡辺徹監訳。東洋経済新報社。
 帯にはこう書いてある。

「仕事に感情を持ち込むべきでない」と考えているあなたへ
 部下や同僚、自分自身の感情を理解し、伸ばし、どのように実践するか?
「感情に賢いマネージャー」になるための効果的なマネジメントとリーダーシップのための処方箋。

 本書は、一昔前にブームになったEQ理論の開発者がはじめて書いた実践書の邦訳なのだそうだ。実際に読んでいくと、EQの高いマネージャーとそうではないマネージャーの比較のエピソードが語られ、その対比によって「感情の四つの能力」を理解しやすいものにしている。
「感情の4つの能力」というのは、以下のことから成り立っている。

 感情の識別:気持ちを読み取る。
 感情の利用:ふさわしい気持ちになる。
 感情の理解:気持ちから未来を予測する。
 感情の調整・管理:気持ちをともなって実行する。

 感情に意識を向け、理解を深めることは、物事(仕事)を進めていく上で重要なことであると本書は繰り返し述べている。感情は良くも悪くもグループに伝染するものなので、感情に留意して事を進めていかなければ思うような成果があがらないということは十分に考えられるのだ。けれども、いままではそういった面に光が当てられたことはあまりなかった。
 たとえば、本書の中では、討論の参加者に俳優を1名紛れさせ、その俳優にある討論では否定的な態度をとらせ、ある討論では肯定的な態度をとらせるという実験を行っている。すると、肯定的な態度をとった俳優のいたグループの方が討論が活発になり、参加者の気分も高揚していたのだ。その例から明らかなように、感情はある程度伝染するものであり、そうであれば成果を高めるためにも、感情の意図的な利用なども考慮されていかなければならないものということになる。

 確かに、そういった部分については、大部分曖昧なままにされており、意識的には行われていなかった部分と言えるかもしれない。
 けれども、本書では感情を理解することは重要視されている。
 つまり、よいマネージャーは、場の空気のようなものも含めてメンバーの気持ちを読み取り、現出している感情を利用して思考し、その根本にある原因や理由を理解し、もっていくべき方向へ導くために感情的な誘導や調整を行うことができるような人であるということだ。
 これは、様々な状況に身をおいて、メンバーの感情に深く耳を傾けることからはじめなければならない。もちろん、マネージャーであれば目指すべき、あるいは導くべき地点や方向性があるはずだ。ただし、それをただ強引に突きつけるのではなく、相手の感情の置かれている状況にも充分に留意することが必要になる。その上で、前述の4つのステップを踏んでいくことで、結果として正しい場所へ導いていけばいいのだ。

 それは簡単に言うと、ビジョンを持ちながらも相手の立場に立って考えることからはじめるということなのだと思うのだけれど、確かに意識していないと、ついつい忘れがちになってしまう部分ではあるので、気をつけていこうと思う。闇雲に楽観的になりすぎるのでも悲観的になりすぎるのでもなく、注意深く感情に対して向かい合う必要があるということも、なるほどなと思わされた箇所のひとつ。

 印象的なところをいくつか。

 感情知能には六つの原則がある。それは、「感情は情報」であり、「感情を無視することはできない」「感情を隠すことはできない」「効果的な意思決定には感情が重要である」「感情は論理的な流れに従う」「感情の普遍性と特有性」である。感情に賢いマネージャーはこれら六つの原則を前提に人と接することが重要である。(65-66ページ)

 われわれの記憶も感情と結びついている。あることを学習している間に経験した気分と、学習したことを思い出そうとする時の気分の一致が近ければ近いほど、学習した内容をよりよく思い出すことができる。自分がその情報を初めて入手した時と同じ気分でいる時に、その情報をより思い出すことができるというこの現象は、気分適合記憶力、あるいは、感情依存記憶力として知られている。(98ページ)

 感情が推移し、移り変わる方法や、感情の根本的な原因を理解することで、未来を眺め、ある程度の確実性をもってこれから起こることを予測する能力を身につけることができるのだ。(……)ある特定の出来事や状況に人がどのように反応するかを予測することを学習することはできる。この感情のWhat-ifの能力は、感情に賢いマネージャーが、もっとうまく作戦を練ったり、計画したりするために役立てることができるものなのだ。(224-225ページ)

 ①他の人に自分の価値観に従ってどのように行動してほしいかを形にして表すこと、②共通のビジョンを抱かせること、③革新する機会を模索し、物事を成し遂げるための通常の方法を疑ってみること、④協力し合うことを促進し力を共有することで他の人が行動できるようにすること、⑤他の人の貢献を認め共同体の精神を作り出すことで人々に希望を与えること、(326ページ)


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 お知らせ

 久しぶりに欲しい!(そして性能の割に安い!) と思わされる商品なのでした。iPod shuffle

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ある漁師の話

2005年01月14日 | Days

 先日、新聞を読んでいて引っかかった記事があった。
 それは、スマトラ島沖の地震関連の記事のひとつで、ある漁師の話だった。その漁師の家は砂浜から10メートルくらいのところにあり、地震の日も獲れたばかりの魚を砂浜で天日干ししていた。それは普段と変わらない光景だった。けれども、大津波で妻もまだ小さい子供も流されてしまった。家も波にさらわれてしまった。椰子の木につかまったその漁師だけが生き残ったのだ。
 その漁師の談話だった。

「家族の写真が一枚もないから、顔を忘れてしまうのが怖い。悲しすぎる」

 その短い文章を読んだときに、思わず文字を追う目がとまってしまった。いままでそんなふうに考えたことがなかったので、それがどういうことなのかを想像してしまったのだ。ある人の写真が1枚も残っていないとしたら、時とともに、顔の部分がぽっかり空いた曖昧な記憶のようなものしか残らなくなってしまうのかもしれないと。
 それは毎日のように追加されていく地震にまつわるニュースのひとつでしかなかったのだけれど、天災のスケールの大きさを改めて浮き彫りにするようなニュースとは別に語られるそれらの個人的なエピソードは、より個人に近い分様々なことを考えさせる。

 昨年の中越地震のときのことを思い出した。あのとき、僕の住んでいる場所も震度5弱の揺れがあったのだけれど、営業中の店舗の中では、たくさんのお客さんが叫んだり、駆け足で外に逃げていったりした。店内放送で慌てないようにという趣旨の放送(マニュアルがあるのだ)をしていても、逃げる人はやっぱり逃げていた。大きな余震が続いたこともあり、しばらくの間緊張感が解けなかった。けが人が出ていないか、商品は大丈夫か、様々なことが頭をよぎった。幸い、建物が若干ひび割れたり防炎ガラスが数枚割れたり、商品がいくつか破損したりと物損ばかりでけが人はなかった。それでも、天災の脅威のようなものを、ほんの一部ではあったけれど実感させられた。

 被害の規模をニュースなどで見るにつけ、あのときの何倍もの状況になっていて、とても想像の及ばない部分ばかりなのだと思う。
 さらに、数十万人単位の数字が見出しを占める一方で、実際には漁師の話のように、一人一人の人生に何らかの痕跡を残しているのだ。そのことを考えると本当に途方がないことだと思う。大きな状況としての数字と、一人一人の感情のようなもの。

 その漁師の妻や子供の写真が、どこかに1枚でもいいから残っていればいいと思う。
 そうでなければ、とてもせつなすぎる話だ。


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 お知らせ

 今年は災害が少ない1年になりますように。

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最終日

2005年01月10日 | Days

 今日(9日)は関西へ異動する後輩の最終日。
 昨日は送別会に行っていて帰宅が午前2時で(でも2次会までいったメンバーは4時30分だった)、今日は最後の食事へ。
 店の近くにあるイタリア料理屋に16名でなだれ込む。ちょうど繋げられるテーブルの席が空いていて、ぞろぞろと席につく。
 30代の海外勤務経験ありの中途の人から、辛口トークがおもしろい大学生のアルバイトの女の子まで、参加メンバーのいろいろな話題が出てきて笑ってしまう。
 その中途の人は、以前の会社が中年層ばっかりだったそうで、20代が大半を占める会社は全然雰囲気が違うと話していた。確かに、僕こそ30歳だけれど、あとの社員はみんな20代だし。
 そのメンバーで数字を取っていっているのだから、おもしろいよなと思う。


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 お知らせ

 ぺペロンチーノを食べました。パスタはぺペロンチーノとカルボナーラばかりを繰り返し頼んでしまいます。

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『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』

2005年01月07日 | Book

『内側から見た富士通「成果主義」の崩壊』読了。城繁幸著。光文社。

 表紙にはこう書いている。

 無能なトップ、暗躍する人事部、社内に渦巻く不満と嫉妬……
 日本を代表するリーディングカンパニーは、
「成果主義」導入10年で、無残な「負け組」に転落した!

 ちなみに、「帯」じゃなくて「表紙」なのは、この本が光文社ペーパーバックスというシリーズだから。最初のほうに、このシリーズの4つの特徴(1.ジャケットと帯がありません。2.本文の紙は再生紙を使っています。3.本文はすべてヨコ組です。4.英語(あるいは他の外国語)混じりの「4重表記」。)が明記されている。
 ちょっと違和感があるといえばあるけれど、読んでいるうちにまあ慣れてしまう。

 本題に入って、ちょっと前にベストセラーになった本を読んでみた。
 富士通と言えば大企業の中で先駆けて「成果主義」を導入した企業であり、その後の業績の低下を受けて、紆余曲折の後に「成果主義」の見直しを行ったということはなんとなく知っていた。けれどもいまではある種の成果主義を導入していない企業を探すほうが難しいくらいなので、富士通の成果主義が悪かったのか、そもそも成果主義自体が日本人になじまないのか、その辺りはいったいどうなのだろうということを確認したい意味もあって手にとってみた。

 もちろん、そこに書いてあることがすべて答えだとは思えないし、(ある程度以上の事実であるにしても)暴露本みたいでちょっと引いてしまうところはある。
 本書で書かれているようなことが事実としてあったのであれば、それはもちろん業績が低迷することにも頷けるし、最近の西武の一件を通じても、大企業であってもむしろそうだからこそどうしようもないところまで落ち込んでしまっているのかもしれないということも理解できる。いずれにしても、反面教師にしていかなければと思いつつ読み進めた。

 成果主義自体は、シンプルに書くと期首に目標を定め、期末にその目標に到達したかどうかで評価するといったものだ。目標を明確にすることで各従業員のベクトルが定まり、正しい方向に推進力がついていくだろうと当初は思われていた。
 けれども、実際には弊害として、

①目標自体を低く設定し、リスクのある課題や、中長期的な課題に挑戦しなくなった。
②個々人の成果にこだわるようになってしまい、よい意味でのチームワークが失われていった。

 という問題が顕在化し、それが急速に組織を蝕んでいった。
 誰だって評価は低いより高いほうがいいし、それであれば達成が疑わしい高い目標を掲げるよりは、実現可能な目標を掲げるようになる。
 また、評価は四半期や半期で下されるのだから、それであれば2年間成果が上がらないかもしれない研究開発にチャレンジしようというのは変わり者だけになってしまう。
 そして、従来の日本の家族主義的経営などは、衆知を集めてひとつの目標に向かうようなところがあり、いわゆる縁の下の力持ち的な存在も多くいた。けれども、成果主義ではそのような貢献が直接的な成果に結びつかないために敬遠されるようになってしまった。

 たとえそうであっても、この制度が公平に運用されるのであればまだ張り合いもあったのだろうけれど、結果的にはそうはならなかった。
 導入当初は実力を発揮し、成果をあげた分だけ待遇もよくなると思われていたが、実際には評価をする側の管理者層が年功序列の恩恵を受けてきた層であり、本質的な意味では成果主義を運用することができていなかったのだ。若手や平社員に成果主義を押し付ける一方で、自分たちの課題はオープンにせず、馴れ合いで高い評価を付け合い続けていたということもあったのだそうだ。また、評価者層は社員の目標シートを見もせずに、評価を決めていたりもした。絶対評価だと言いながら、実際には相対評価をしてさえいた。つまりは、高い志を持ってはじめたはずのことが、社内政治の中に埋没してしまったのだ。

 また、制度を大きく転換する場合には、トップの明確な意思と決意と覚悟が必要だと思えるのだけれど、それもなかったようだ。だからこそ各人の都合を差し込みされてしまった成果主義は、結果として重くなりすぎてしまってうまく離陸することができなくなってしまった。日本で始めて本格的に導入しただけあって様々な問題が噴出しただろうし、それが当然だと思うのだけれど、それを柔軟に修正させながらも当初の目的地に着陸させようという一貫した毅然たる姿勢がなかったようだ。

 と、書かれている内容を読んでいくと、富士通のような大企業がそんな状況なのかと驚いてしまう。
 けれども、多かれ少なかれ、どの企業にもそういった面はあると思う。いわゆる「大企業病」と呼ばれるようなものだと思うのだけれど、規模の大小こそあれ、そういった面は人間組織であればどうしたってないとは言えない。
 だからこそ、組織のベクトルを明確にするぶれないビジョンが必要になるのだし、それを繰り返し伝えるトップが重要になってくるのだと思う。
 結局のところ企業の浮沈はトップの方針に左右される部分が大きいし、こういった人事制度もトップの目指している未来の企業の姿の内部に流れる血液として、相応しいかどうかという面があると思う。それがうまく合致すれば、社員のモチベーションは高まり、企業の推進力は増すのだろうし。

 目標を設定し、それをブレークダウンし、実際に行動し成果を出したら評価される。そのフロー自体は決して間違ってはいないと思うのだけれど……
 いろいろと考えさせられるところのあるエピソードだった。


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 お知らせ

 先日、教えてもらったのですが、2月5日以降に恵比寿ガーデンシネマに行かないと……

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ビッグバード

2005年01月07日 | Days

 水曜日から出張に行っていて今日帰ってきたのだけれど、せっかく飛行機に乗るのだしということで、羽田第2旅客ターミナルのビッグバードを見学してきた。
 乗っていた飛行機はJAL(第1旅客ターミナル側)だったので、京急の改札口の横にある連絡通路を歩いて第2旅客ターミナルを目指す。
 従来の京急の改札口を出てすぐのところにスターバックスがあるように、第2旅客ターミナル側の改札口の横にはタリーズコーヒーがあって、シンメトリーな感じに思わず苦笑してしまう。
 噂の吹き抜けはそれほど大きくはないのにやっぱりインパクトはあって、何もかもが新しい分とても新鮮な感じだった。
 特に印象に残ったのは、

・京急の第2旅客ターミナル側の改札口を出てすぐのところに並んでいる自動チェックイン機。
・ロビーの解放感のある雰囲気。
・ビッグバードに入っている様々なテナント群。

 とまあ、だいたい新ターミナルが売りにしているところはやっぱり普通に魅力的に見えた。
 自動チェックイン機の上部や、ロビーのいたるところに淡い水色のフロストガラスがつかわれていて、それが清潔感と未来感を抱かせていた。
 そして、入っているテナントも、JAL側が羨ましくなってしまうだろうラインナップで、飲食店も物販店も、旬なところがたくさん入っていた。
 これはもうひとつの観光地というか、強力な商業施設のような感じだ。
 また、5階の展望デッキに向かう人もとても多くて、柵の前でデジタルカメラを取り出していたり、思い思いに景色を楽しんでいたりした。
 時折、着陸する飛行機の立てる轟音が聴こえたりもして、ちょっとした展望台だった。
 暖かくなったら、ベンチに座って軽食を食べたりする人が増えそうな感じというか。

 日本人はやっぱり傾向として新しいもの好きだからなのか、結構な数の人がいて、インフォメーションのパンフレットを手に館内を回っていた。飲食店もかなり混み合っていて、丸善もSony Plazaも平日だというのに混んでいた。
 テイクアウト系の飲食店が並んでいるコーナーに「Paul」があって、ちょうど昼食を食べていなかったのでそこでパンを買う。
 久しぶりに食べた「Paul」のパンはやっぱりとてもおいしくて、おいしいクロワッサンを久しぶりに食べたような気持ちになってしまう。

 今回は会社手配の航空券だったのでJALだったのだけれど、もし個人で次飛行機に乗るようなことがあったとしたら、やっぱりANAを選ぶだろうなと思う。
 たまたま帰りの飛行機の中で無作為に抽出される満足度アンケートをすることになったのだけれど、そういうアンケートをやっているというのも、やっぱり第2旅客ターミナル開業後の影響を調べたいからなのだろうし。

 短期的にはANAの方を利用する人が増え、中長期的には仕事などで急いでいる人たちは、やっぱり近いJALの方を利用するように収斂されてくるのだろうか。
 どうなのだろう。

 それからモノレールに乗って浜松町へ。JRで有楽町へ。
 有楽町駅から銀座に出て、Apple Store,Ginzaへ行く。iPodの周辺機器を購入。
 周囲にMacを持っている人はいないのに、いつ行っても混んでいる。
 それから東京駅に行って、丸ビルの中にあるコンラン・ショップでちょっとした文房具を買う。
 この間、SaleがはじまるというDMが来ていたのだ。
 でも、安くなっている商品はやっぱり「あんまり売れなかったのだろうな……」という感じのものが多くて、いいものがあったら買いたいなと思っていたのだけれど結局プロパーの商品を買う。

 それから再度東京駅に戻って、新幹線に乗る。
 
 というわけで、今日は休日移動だったのでのんびりと買い物をしてから帰ったのだけれど、部屋に着いたのは16時くらい。
 重い荷物を持って移動するのがたまにキズではあったけれど、でもまあ、楽しかった。


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 お知らせ

 今月下旬に会社の研修で中国に行くのですが、かなり楽しみなのです。

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04→05

2005年01月02日 | Days

 明けましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。

 大晦日は雪のために午後から客数が激減し、随分とひっそりとした最終日となる。何度か、駐車場の状況を確認するために外に出たときに、関東にいるのにまるで地元に帰ったような雪景色にしばらく見入ってしまった。
 朝は車で出勤したのだけれど、ノーマルタイヤなので帰りは諦めることにして、最後まで職場に残っていた5人でスタッドレスタイヤ装着の後輩の車に乗り込む。
 04年の仕事が終わったのは21時30分少し過ぎ。僕らを乗せた後輩の車は、10分後にはすぐ近くにある居酒屋の駐車場に停まっていた。
 23時30分まで04年最後の飲み会。

 飲み会の中で、1年があっという間だったという話になる。確かにそれはそうなのだけれど、個人的には04年は少し長かった。ある程度年をとってから1年が長かったように思うというのは珍しいような気がする。それは転勤したこともあったと思うのだけれど、振り返ってみると結構いろいろなことがあったような気がするのだ。

 飲み会が終わって、めずらしくビールとカクテルを2杯飲んだ僕は、少しだけぼんやりとする頭でみんなと別れた。その居酒屋から部屋までは歩いて5分くらいだったので、そのまま歩いて帰ることにしたのだ。
 途中、セブンイレブンに寄って暖かい飲み物なんかを買う。
 携帯電話で実家に連絡をして、年越しの挨拶をする。
 空は随分と晴れていて、様々な星がきれいに見えていた(それくらいには地方なのだ)。
 吐く息は白く、足元の道路は凍り、部屋の近くにある大きな公園は雪に覆われていた。小高い丘の上にある遊具も雪を反射させ、いつもは少年団の野球チームが練習をしているグラウンドも、ほとんど誰の足跡もない白い布をかぶせたみたいに静かに佇んでいた。
 公園の隣にあるドラッグストアも、シャッターを下ろし一年が目の前で過ぎようとするのをじっと待ち構えているように見えた。駐車場に張られたチェーンのたるみまでもが、どこか切実な感じを与えていた。
 厳しい冷え込み。でもどこかで浮かれてしまう心持ち。一年が終わるときには、どうしてか独特の感覚のようなものがある。もちろん、それは多分に思い込みなのだろうけど。
 ふいに一年前の大晦日はどうだったろうと思い返していた。そして、来年の大晦日はこの場所にいるのだろうか? とぼんやりと思っていた。
もし来年もDaysが続いていたら、その答え(のようなもの)がわかるのだと思う。

 1日は天気のよい冬日。朝7時台にiPodで音楽を聞きながら徒歩で出勤。
前日のうちに急遽シフト変更をして集めたメンバーで雪かきをして、開店前にお客様を迎える準備をする。
 元旦から営業というのは、まあ最近ではよくある話だ。
 なんだかんだで忙しく、1日を終える。

 部屋に帰ってからは友人からのA Happy New Yearメールへの返信。
 後輩に渡す資料の作成。

 今年の目標めいたものもいろいろとあるのだけれど、1日1日を大切にしていこうとは、いつも以上に思う。


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 お知らせ

 カレンダーは今年も無印良品のシンプルな壁掛けタイプのやつなのです。

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