Sun Set Blog

日々と読書と思うコト。

『考える技術』

2004年12月29日 | Book

『考える技術』読了。大前研一著。講談社。
 裏表紙側の帯にはこう書かれている。

「これからの時代 論理的思考がなければビジネスマンとして生き残ることができない。」

 本書では変革のスピードがますます早く、不確実性を増していく複雑系の社会において、必要なものは知識や過去の成功体験ではなく、論理的思考能力であると看破している。この人の本ははじめて読んだのだけれど、昔の上司が愛読していて、読んでみた方がいいと薦められていた。そして実際読んでみて、確かに上司が好きになりそうな感じだと思った。

 論理的思考のための科学的アプローチであるとか、現場主義的にフィールドワークを重視することであるとか、著者の思考のプロセスのようなものが明らかにされていく。それは猛烈なバイタリティと卓越した問題意識、あるいは旺盛な知的好奇心に負うところの大きなものであり、誰もが真似できるものではないし、そうしようと思っても難しそうなことではある。
 けれども、その旺盛なスタイルの中には参考にできる部分も少なくないし、取り入れる努力をするべきこともたくさんある。

 いずれにしても、ポイントとなるのは現状を否定することからはじまる思考であり、その思考を思い付きの羅列ではなく仮説と実践的な検証に裏打ちされた強固なものへと具体化させていくことである。その飽くなき繰り返しのなかで、ある種の結論に行き着くまでの時間を短くしていくことができるようになり、その論理的思考のスタイルが血肉となっていくというわけだ。

 印象に残ったところ。

 具体的に今の仕事に役立つ思考トレーニングの題材として、最適なものを紹介しておこう。それは「自分が二階級上のポジションにいたらどうするか」を考えることだ。どの企業も、さまざまな問題を抱えているはずである。今、あなたが係長だったら部長、課長だったら取締役の立場に立ってみて、「自分だったらどうやってその問題を解決するか」、それを徹底的に考えてみるのである。(47ページ)

 現実の社会では誰かが何かを買っているし、それを買うときには何か理由があるはずだ。まったく理由もなく買うときには、どこのスーパーの棚にも並んでいるか、いつも行く店ではそれしか売っていないかのどちらかである。こうしたことも含めて、すべての問題には原因があり、その原因をよく理解すると、説明できることと説明できないことが出てくる。もし説明できないことが出てきたら、そのときこそがチャンスだ。
 説明できないことが出てきたら、「それはなぜか」という質問ができる。そうやってどんどん質問紙、理由の理由、原因の原因を見つけていけば、これまで誰も言っていないような結論に到達することができる。とくに最近は、そうした事例が非常に多いのである。(154~155ページ)

 まず第一に、「teach(=教える)」という言葉が禁じられているのだ。教えるということは、答えがあることを前提としている。だからこれらの国々では「learn(=学ぶ)」を使うのである。
 デンマークに行くと、「一クラス二五人全員が違う答えを言ったときが最高だ」というほどだ。子供たちが学び取るという考え方が基本で、テキストには「学校には答えを教える権利はない。学ぶ権利を支援するところが学校である」と書かれているのである。(168ページ)

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 お知らせ

 新刊だけあって例として挙げられているエピソードもカネボウ問題や金原ひとみ、iPodなど、旬な話題が多く読みやすいのです。

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『太陽の塔』

2004年12月29日 | Book

『太陽の塔』読了。森見登美彦著。新潮社。
 第15回日本ファンタジーノベル大賞大賞受賞作。帯には「膨らみきった妄想が京都の街を飛び跳ねる!」と書いてあるのだけれど、その言葉の通りに大学五年生の主人公である「私」の妙ちくりんな妄想が延々と語られる私小説だ。最初に、この物語がどのようにファンタジーになるのだろうかと思うのだけれど(だって、ほらファンタジーノベル大賞だし)、数ページを読み進めていく内にまあいいかと思わされてしまう。ささいな表現や比喩に笑わされて、その独特のリズムに乗っかることが気持ちよくなっていくのだ。

 たとえば、最初の方ではこう書かれている。

「京都の女子大生は京大生が奪って行く」
 と言ったとき、私は愕然としたほどだ。
 いくら目を皿のようにして周囲を見回しても、私の身辺には他大学の女子大生を略奪してくるような豪の者は一人もおらず、私を含めてどいつもこいつも、奪われる心配もない純潔を後生大事に守り通しているように見えた。松明を振りかざし、「女子大生はいねがー」と叫びながら、他大学まで女子大生を狩りに行くと言われている恐ろしい京大生はどこにいるのだ。今でも私はあれを一種の都市伝説と考えたい。(4ページ)

 こんなふうに、思わず笑ってしまうような文章が延々と続いていく。そこには妄想の世界に入り込んでしまう自意識の過剰さがあるのだけれど、優れた私小説はどこかで抑制が効いているように、この物語の主人公である「私」も乾いたユーモアによってある種の客観を保持している。誰もが妄想に片足や両足を突っ込んだことはあると思うので、人によってはその過剰な妄想っぷりに思わず共感してしまったりするかもしれない。

「私」は一年前に別れた恋人である「水尾さん研究」に精を出している。研究の成果として作成されたレポートは十四にのぼり、原稿用紙に換算して二百四十枚にもなっている。それでいて、「私」は読者に向かってその大論文が決して昨今話題に上っている「ストーカー犯罪」とは根本的に異なるものであると読者に向かって弁明していたりするのだ。やれやれ。

 物語は主人公を取り巻く一筋縄ではいかない友人たちのエピソードなどを絡めながら進んでいく。随所に面白い表現やエピソードがばらまかれ、決してトレンディドラマに出てくるような物語ではないのだけれど、それでもなんだか妙に面白く読むことができる。「甘い」というよりは「甘酸っぱい」、むしろ「酸っぱい」物語なのだけれど、こういうのもありなのだなと思う。

 Amazonのページでおすすめされていたので読んでみたのだけれど、書店で装丁を見ても買わなかったと思うので、Amazonに感謝。


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 お知らせ

 クリスマスシーズンのAmazonは、ピーク時には1秒間に32件の注文が入ったそうですね。

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『ターミナル』

2004年12月28日 | Movie

 母国のクーデーターにより国籍を失い、空港の乗り継ぎロビーから出ることができなくなった男の悲喜劇を描いた『ターミナル』は、ヒューマニズムに溢れるよい作品だった。もちろん設定からしてファンタジーで、肩肘の凝らない予定調和の物語ではあったのだけれど、だからこそ安心してみることができた。ときどき、ぐっとくるシーンもあったりして、全編を通じて思わず笑ってしまうようなシーンもたくさんあって。

 主人公は、法の隙間に落ちてしまって空港から出ることができなくなってしまったわけだけれど、広大な空港の中で結構たくましく生きていく。
 改装予定のうち捨てられたロビーを自らの寝床とし、放棄されたぐらつく待合椅子を日曜大工さながらにベッドにしてしまう。
 自国の通貨が使用不可になってしまったので、カート回収でもらえる25セントを集め食事のためのお金をためる。
 毎日途方もない長い列に並んで、入国ビザを得ようとする。
 空港で知り合ったスチュワーデスに食事をおごるために、空港内の店で働こうと求職活動をする(採用決定の電話をもらうために指定する電話番号も、空港内の公衆電話だ)。
 そんな中で少しずつ空港に働く人たちと仲良くなっていき、いくつかのエピソードを通じて、空港の人たちは彼の人柄を愛するようになっていく。
 共産圏にある架空の国からやってきた設定である主人公は、現代の先進国の人々が忘れかけているように思える何かを、その身に体現しているように見えるからだ。

 もちろん、それは製作者サイドのある種の狙いであり、ステレオタイプな構成上のことであると言えるのかもしれない。
 世界のムードとして、誠実さであるとか道徳観めいたものが失われつつある現状ということが前提になっていて、けれども多くの人の中にはそのようなことに重きを置くべきであるという感情もまだ残っている。そんなときには、こういった等身大に愚直な登場人物は、何かを思い出させてくれたり、懐かしい感覚を抱かせてくれたりするからだ。
 もちろん、そのやり方は説教じみていたり、教え諭す感じではない。ただ大掛かりな架空の空港でのちょっと風変わりな物語を通じて、感情の表面を柔らかく押してくるだけだ。そして、声高に叫んだり、お涙頂戴に傾聴しすぎない分、また笑いをたくさんまぶしている分、あくまでもさりげなくそういったことを感じさせてくる。

 深く感動するとか、おもしろくて誰彼に伝えたくなるという感じではないかもしれないけれど、肩の力を抜いて観ることができて、見終わった後にはなんとなく人にやさしくしたいなと思ってしまうような、そんな映画だった。


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 お知らせ

 いまさらながら、トム・ハンクスって演技がうまいと思うのでした。

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たまにはまじめに

2004年12月26日 | Days

 僕はいま職場の近くに住んでいる。
 平日は車で通勤しているのだけれど、土日にはてくてくと歩いている。
 と言うのは、駐車場の台数を自分の車で埋めてしまうのがいやなためだ。駐車場台数は限られているわけだし、客単価が○○円だとしたら、1日に1台分の駐車スペースが○○回転して、となるとそこからはじき出される売上げは……と考えてしまうと「歩きで行こう歩きで」となってしまうのだ。
 幸いなことに、歩くことが好きだし。

 いま僕が店長をしている店は年間の売上げが16億円くらいで、ありがたいことに好調を持続している。これはメンバーの頑張りに負うところが大きいのだけれど、8月中旬から週の予算を1度も落としていない。天候などの与件もある中で、継続し続けていることは密かに誇りだし、正直励みになる。メンバーのモチベーションも随分と高くなった。
 もちろん、まだまだできていないことはたくさんある。損益の数字を見れば問題点はまだまだたくさんあるし、やるべきことだってたくさんある。たとえば高すぎる人時売はあるべき数値に保つ必要があるし、守備範囲は少しずつ適正な面積へと広げていかなければならない。目指すべき状態を明確にし、そこから逆算して現状とのギャップを明らかにし、ロードマップめいたものを埋め込んでいかなければならない。
 それは随分と面白味のあることのように思える。

 正直、店長になって仕事は随分と面白くなった。採用のチームにいて、全国200人以上の採用計画から予算まで組ませてもらったときも面白かったけれど、実際に現場でお客様と接しながら目標をクリアするためにどうすればいいのかを日々考えていくことも、それに負けじと劣らずとても面白い。もちろん楽しいことばかりではないし、何十人も働いていればも様々な問題が噴出するし、力不足を痛感するときも少なくないし、ハードなクレームにむむむと唸ってしまうこともある。
 それでも、いろいろあってもやっぱり楽しいと思える。それは根本的に楽観的だからなのか、それともあまり物を考えていないからなのかはわからないけれど、それでもそう思えることは幸せなことなのだと思う。

 もちろんジレンマはあるし、憤りを感じることはあるし、納得のいかないことだってある。それでも、能動的な気持ちや、前向きな心持ちや、高いモチベーションを持ってはいるのだ。そして、そういう前向きな感情を抱いている内は、きっとどんなことがあってもなんとかなるのだろうなと密かに確信している。
 まあ、無理矢理思おうとしているのかもしれないけど。
 でも、偽善者が最後までいい人の振りをすることができたら、その人と接する人にとっては最後まで善人であるのと同じように、前向きな気持ちを自分に信じさせ続けることができるのであれば、それはやっぱり前向きなんだっていうことなのだと思う。
 とりあえず、今日も予算を達成して、うれしく思っていたのだけれど。


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 お知らせ

 久しぶりにユニコーンを聴いています。民夫の声はやっぱりいいですね。

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異なる場所

2004年12月24日 | Days

 いまは24日の午前0時30分過ぎ。
 ついさっき忘年会から帰って来たところ。
 昨年の忘年会はまったく別の場所でやっていた。異動になって、一年前には想像もしていなかった場所で忘年会をやっているというのは、もうなれたはずなのだけれどそれでもやっぱりなんとなく不思議なことのように思える。
 お酒に弱いのだけれど忘年会だしとビールを飲んで、1杯半しか飲んでいないのに真っ赤になる(ちなみにいまもまだ少し頭が痛い)。
 メンバーのお約束のネタトークに笑い、突っ込みどころに突っ込み、気がつくと閉店の時間になっていた。
 来年も、この場所で忘年会をするのだろうかとぼんやりと思う。
 それとも、また別の場所に転勤していて、また異なるメンバーと忘年会をしているのかもしれない。
 いずれにしても、それはわからないのだけれど、まあどちらにしても日々が愉しいものであればいいなと思う。
 いまが愉しいのと同じように。


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 お知らせ

 年末はさすがに忙しいのです。稼ぎ時です。

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力技

2004年12月16日 | Days

 今日は休日だったのだけれど、仕事をしていた。
 年末の慌しい時期ということもあって、まあこういうのもありなのかなと思う。
 こういうのというのは、日々の業務の中で、忙しさの中でどうしても後回しにしてしまうものを、夏休みの宿題を一気に片付けてしまうように、力技で一気にやってしまうようなことだ。
 もちろん、理想はそういった少しずつ後回しにしてしまうものがなければいいのだろうけれど、なかなかそういうわけにもいかないのが現実だったりもするし。
 最近他社から転職してきた人も、それはわかるというような話をしていたのでまあやっぱりありがちなのかもしれない。
 いずれにしても、制御できないレベルになってしまう前に、アンテナに引っかかるようにしてクリアにしておく必要はあるとは思うのだけれど。
 まあなんでもそうだけれど、やっぱり自分で把握できないものが増えすぎるとオペレーションが難しくなってしまうわけだし。

 いつも頭には引っかかっているのだけれどどうして後回しにしてしまうような業務は、やっぱりどこかでまとめて片付けてしまうのがやりやすい方法なのかもしれないと思う。


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 お知らせ

 慌しい日々でもレイトショーを観に行ったりして息抜きはしているので、気持ち的には全然健康なのです。
 

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『僕の彼女を紹介します』

2004年12月14日 | Movie

 03年に観た映画の中で、一番好きだったのは『猟奇的な彼女』で、あんまり良かったので、最初観た翌々日にもう一度観に行ってきたくらいだった。
 それから、同じ監督の『ラブ・ストーリー』という映画も観たのだけれど、それほどツボにははまらなかった。
 けれども、同じ監督、同じ主演女優のコンビで新しい映画が公開されると聞いて、早速に観に行ってきた。
 映画の邦題は、『僕の彼女を紹介します(英語では『WINDSTRUCK』)』
 このタイトルは『猟奇的な彼女』と関連付けたかったからなのだろうなと思う。

 映画は面白かった。ツボにははまらなかったのだけれど、二人が距離を縮めていく細かいエピソードがうまく、また些細な伏線がたくさん張り巡らされているのもこの監督特有の遊び心がある感じで、楽しく観ることができた。個人的には『猟奇的な彼女』が圧倒的によかったので期待しすぎてしまっていたみたいで、期待しすぎたときにはたいてい思っていたのとはちょっと違ったなと思ってしまいがちなところはまあしょうがないのかもしれない。

 映画は、正義感の強い警察官の女性が、誤認逮捕をきっかけに高校教師をしている男性と出会うところからはじまる。二人は再会し、やがて愛し合うようになるのだけれど、ある事件が起きて……といった感じに物語が進んでいく。韓国映画らしい泣きのツボを押さえてくるような演出が多数あって、また過剰なくらいの笑いを取ろうとする部分もあって、個人的にも笑わせて泣かせるといったストーリー展開は好きなので素直に見ることができた。

 また、主演のチョン・ジヒョンは、『猟奇的の彼女』のときもそう思ったのだけれど、映画の前半ではすごくきれいとも思えず、むしろヒロインっぽくないなと思えるのに、映画が進んでいくのとともにどんどん魅力的になってしまうところは相変わらずだった。そして、途中からは、もうこの役はチョン・ジヒョンじゃなきゃ合わないよなと思わされてしまうのだ。まったく、不思議なことに。

 ストーリーはもちろん重要なのだけれど、この映画を観終わって思うのは、ちょっとしたエピソードの羅列の部分がすごく魅力的だったよなということだ。
 たとえば、彼女の部屋にはじめて遊びに行ったときに、彼女が見ていない隙に手料理のスープに水を入れて薄めてしまうところだったり、激しい雨の中で楽しそうに水を蹴り上げるシーンであったり、プレゼントの刺繍の隅にパラパラ漫画が描かれていることだったりだ。そういった細部が凝っている作品は、ふとしたときにその細部が思い出されてよかったよなと思い返すことができるような気がする。

 男2人女2人で観に行ってきたのだけれど、全員が面白かったと言っていて、一人は結構泣いてしまったとも話していた。
 最近は観てみたい映画がたくさんあるので、結構嬉しかったりする。


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 お知らせ

 Xの「Tears」が劇中で使われていて、話には聞いていたのですが、やっぱり不思議な感じでした。

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コース

2004年12月10日 | Days

 今日は休日で、洗濯物を取り込み、髪を切り、職場に顔を出して仕事をし、20時少し前に部屋に帰ってきた。
 それから、ご飯を食べに行く。最初は、オムライスが美味しいというお店に行くような話になっていたのだけれど、結局部屋の近くにあるレストランにする。なぜか南仏風の建物が前から気になって入ってみたかったのだ。

 その、気になっていた店のメニューはリーズナブルな価格のコース料理で、感じのよい店内の壁には大きな黒板があり、そこには今日の魚料理や肉料理の紹介が手書きで書かれていた。高い天井から降りてきている照明の明かりが屋内を照らし、ゆったりと置かれているテーブルは会話をしながら食事をすることを促進してくれるような感じだった。黄色のテーブルクロスも、店内の雰囲気によく合っていた。

 いろいろと迷いつつ牛肉の赤ワイン煮がメインのコースを選ぶ。一緒にいた子はホタテとエビがメインのコースを頼んでいた。
 前菜からはじまり、スープ、サラダ、パン、そしてメイン料理。最後はデザートとコーヒーと、気がつくと2時間くらい経っていて、僕らしか客の姿もいなくなっていた。コース料理を食べに行くことはほとんどないのだけれど、それでもたまに行くといつもお腹いっぱいになってしまう。それは実際に結構な量を食べているからか、ゆっくりと時間をかけて食べている内に満腹中枢が刺激されるからなのか、いったいどちらなのだろうとぼんやりと思う。

 それから、その子からアップルパイをもらった。実家からたくさんの果物が送られてきて、食べきれない分をジャムにしたり、お菓子にしたりするのだそうだ。
 包装が凝っていて、まるでお店で売っているやつみたいだと思う。

 夜には数日前とは別の後輩(東京在住)から電話がかかってきて、またもやレポートの添削を依頼される。
 まるで赤ペン先生だと、なんとなくおかしくなる。
 その内、全然知らないやつから頼まれたらどうしようかと思ったりもするのだけれど。


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 お知らせ

 あと20日ほどで今年も終わるのですね。早いものです。

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電話

2004年12月06日 | Days

 今日は22時過ぎに部屋に帰ってきて、23時過ぎに夜ご飯を食べ終わった頃に神戸にいる後輩から電話がかかってきて、40分くらい話していた。
 以前に同じ部署で働いていた後輩で、当時よく一緒に遊んでいたのだ。
 それぞれの現在の部署の話をし、笑い話をする。
 電話を終えて、携帯の通話を「切」にしたときには、0時をすでに回っていた。
 明日(月曜日)は7時台に会社に行こうと思っているので(月曜日は先週分の数値を分析して報告書を書くなどいろいろとやることがあるのだ)、もう眠ろうと思う。
 今日は忙しい一日だったので、睡眠時間が短くても熟睡できそうな感じがするし。
 そして、来週はボーナスサンデーでもあることだし、今週よりさらに忙しくなるのではないかなと予想している。
 正直、忙しい方が楽しいので、もうとんでもないくらいに忙しくならないかなとかちょっと思ったりしている。
 みんなでキャパシティがオーバー気味に頑張り、それで予算を達成したりするのが、やっぱり面白く思うし。

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 お知らせ

 新製品を多数掲載する雑誌に、惹かれてしまう今日この頃です(「日経TRENDY」とか「DIME」とか)。



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添削の季節

2004年12月04日 | Days

 僕の勤めている会社には、職位とは別に通常の評価を取っていれば1年ごとにあがる学年のようなものがあり、節目節目で次のステップに昇進するための試験が行われている。
 たとえて言うと中学生の3年間を順調に進級し、試験を経て高校生になる、といった感じのものだ。
 その3年間も途中で通常以下の評価を取ってしまうと留年ということになってしまうし、そうなれば試験を受ける資格自体を取得することができなくなる。また、普段の評価を普通に得ていても、試験対策をしていなければ試験で失敗し高校に入学することはできず、その場合は浪人ということになる。
 それはもちろんたとえなのだけれど、まあ会社なのでやっぱりある程度はシビアにそういった段階というものがあるのだ。
 だからたとえば店長でも、中学3年生の店長や高校2年生の店長、あるいは大学1年生の店長というように、同じ職位でも会社の中の段階が異なっているケースも現実にある。

 その最初の試験は、(順調に評価を得ていれば)3年目に訪れる。そしてここ2年ほど、その試験を構成する要素のひとつであるレポートについて、添削してほしいという依頼が必ずくるようになっている。
 最初は同じ店の後輩に頼まれて添削した(合格)。翌年には同じ店の後輩3人と、昔一緒に働いていたことのある後輩(関西在住)からeメールでお願いがきた(4人とも合格)。
 そして今年は、一度も一緒に働いたことはないのだけれど知り合いではある後輩(中京圏在住)から電話がかかってきて、それからeメールでレポートが送られてきた。メールには今年のレポートのテーマが添えられていて、その後輩が書いたレポートを見て添削して欲しいという内容が書かれていた。

 まるで赤ペン先生みたいだ、と思ってなんとなくおかしくなる。
 昨日は休日だったので夜に送られてきたWordの文書を読みながら赤を入れていたのだけれど、一度も一緒に働いたことのない(けれども知り合いではある)後輩のレポートまで読んでいるのなんて不思議だと思っていた。もちろん、昨年添削したメンバーと一緒に働いたことのある奴だったのでそいつから話を聞いたのだろうけれど、頼まれればいくらでもやるけれども、それでもなんだか面白いよなと思う。

 まあ、こういうことは結構好きなので楽しいのだけれど。
 もちろん、添削と言ったってそんなに大層なものではなくあくまでも参考程度のものだし、結局はそれぞれがちゃんと頑張ったので試験に合格しているのは間違いない。それでも、ちょっと添削したメンバーが合格したことを社内の辞令のようなもので見ると、なんとなく嬉しくなるのは事実だ。
 今年の添削したメンバーも(この後で、自部署の後輩分も見る予定)、全員合格してくれていたらいいなと思う。


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 お知らせ

 新横浜ラーメン博物館から「すみれ」が卒業していたことを知らなかったのです。残念……。


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