Sun Set Blog

日々と読書と思うコト。

夜の風景

2004年10月28日 | Days

 10月28日の午前0時過ぎ、僕は新宿駅東口にいた。
 つい数分前に4年ぶりに会った友人と地下鉄駅のホームで別れたばかりだった。地上に出ると、ここ数日の急激な冷え込みがダイレクトに感じられる。吐く息が白い。まるで冬のような冷え込み。
 一度両手を口の前に当てて、吐く息で手の平を暖めてみる。それからおのぼりさんのように頭上を見上げ、周囲をゆっくりと見回してみる。いくつかの看板の電飾は時間を感じさせずに輝き、明滅や様々なパターンの点灯を繰り返している。それでも、思いがけないほど電気が消えた部分の方が多かった。新宿といえども、0時を過ぎると街自体が今日はもう終わりといった感じを垣間見せる。
 それでも、いくつかの路地を覗くと、まだまだ全然明るくて、やっぱりここは新宿なんだと思い直す。

 27日はTodd Rundgrenのライブに行き、学生時代の友人と一緒にお酒を飲み、そのまま新宿に泊まる予定になっていた。ホテルはライブに行く前、夕方にチェックインしておいた。オートロックのカードキーはポケットの中に入っているので、何時に戻ろうともフロントを煩わせることはない。終電を気にしなくてもいいというのは随分と軽やかな気持ちになることで、せっかくだから、と新宿周辺を少し散歩してみることにした。

 東口からまずは南口に向かう。フラッグスの前のエスカレーターはすでに止まっていて、大きなスクリーンも真っ暗だ(ただし、1階のGapだけは煌々と明かりがついていて、係りの人がディスプレイの変更を行っていた)。階段をゆっくりと上がる。途中、警察官の2人組とすれ違う。治安維持のための巡回パトロール。
 南口のやけに幅の広い改札口周辺にはまだたくさんの人がいた。ラーメンの屋台がいくつか出ていて、何人かがラーメンやおでんを食べていた。すぐ横の甲州街道は深夜だというのに車が途切れず、人口の分母が多くなれば、やっぱり眠らずに働いている人の絶対数も多くなるのだろうなという当たり前のことを実感していた。

 実際に自分で見て、感じたことじゃないとなかなかリアルに感じることができない。たとえばある種の感じを文章で表現しようと思っても、その架空の情景を構成するようなパーツと成り得るリアルな風景や細部をストックしていなければ、なかなか難しいような気がする。ある夜の一部とか、ある町で見た光景の一部とか、そういったものが不思議な合成を経て架空の光景が生まれ、そこに脈のようなものが、息遣いのようなものが付与される。だから、夜の新宿を歩いてみるのは新鮮なことだった。終電後の新宿。1日67万人くらいの乗客が通り過ぎたあとの駅の周辺。

 甲州街道の舗道をIn the roomの方へ向かい、BEAMSのビルを通り抜けて、伊勢丹の方へ出る。途中、まだたくさんの店が開いていて、たくさんの人とすれ違う。たくさんの看板も見る。新宿LOFTがオープンするというやつとか、タバコの看板。すれ違う人たちの何人かはこのまま朝まで帰らないのだろうし、もしかしたら電車に乗るのは諦めてタクシーで帰ることにしているのかもしれない。人通りはもちろん日中よりは減っていたけれど、それでも全然少なくはなかった。正直なところ、想像以上にたくさんの人が街にまだ留まっていた。

 そして、それらの人を受け容れるべくたくさんの店が開いていた。チェーン店や単独の店、物販店に変な店。飲食店に紛れてコンビニもあったし、カラオケのビルなんかもあざといくらいの照明を輝かせていた。そんな通りを足早に歩く人たちと、蜂のようにやってくるたくさんの呼び込みやキャッチセールスっぽい人たち。夜中こんなところに立っていて寒くないのだろうか? と思えるような薄着の黒服の男。

 そんなたくさんの人の合間を、iPodで音楽を聴きながらどんどんと歩いていく。流れているのは最近よく聴いている「Next To You」やライブで聴いたばかりのTodd Rundgren。音楽を聴きながら歩いていると、周囲と自分との間に不可逆の透明な膜ができるような気がする。それは場合によってはあまりよいものでもないのだけれど、こういう夜にはありがたいような膜になる。

 さっき駅前で見た屋台のせいか、歩いているうちになんだか無性にラーメンが食べたくなる。それで、今度はラーメン屋を探すという目的ができる。多分チェーン店があるだろうと思って歩いていると、案の定HIDAY日高があったのでそこに入ってラーメンを食べた。ほぼ満席と言うくらいにたくさんの客がいて、お酒を飲んだ後にラーメンが食べたくなるのはなぜなのだろうとぼんやりと思う。

 時計を見ると、1時を過ぎていた。さすがにちょっと眠たくなってきたので、そのままホテルに帰ることにする。歩道橋を渡って、新宿に何店舗あるのかわからないほど見たスターバックスの横を通り、ホテルまで帰る。

 ホテルの部屋は30階にあって、ネットで予約をしてあったところだった。ちょっとよいところだったのだけれど、ここ数ヶ月いろいろと頑張っていたので、自分にごほうびということで泊まってみることにした。せっかく新宿に泊まるのだから、一度くらい高層階に泊まってみたかったし。
 部屋は新宿御苑側に面していた。カードキーを差し込むと、間接照明が自動的に点灯する。ジャケットを脱いで、ハンガーにかける。途中のコンビニで買った飲み物とチョコレートをビニール袋から取り出して、袋自体はゴミ箱に捨てる。

 そして、部屋の間接照明を全部消してから、カーテンを全部開けた。カーテンを開けきってしまうと窓は結構大きく、かなり広範な景色を見ることができるようになる。窓際に椅子2脚とテーブルがあったのだけれど、椅子のひとつに座って、窓越しに広がる東京の夜景を見ていた。
 30階くらいの高さから深夜の東京を見るのなんてもちろんはじめてだったから、正直とても新鮮な光景だった。散歩の後半には結構眠たかったのだけれど、その眠気もなくなってしまうくらい。

 たくさんの高層ビルが見えていて、その最上階付近に赤い照明があって明滅を繰り返しているのが見える。様々なビルの明滅のリズムが異なっていて、まるで狂った指揮者に率いられた狂った楽団の演奏風景のようにも見える。高層ビルには必ずついているその赤い光は、飛行機やヘリコプターの衝突を避けるためにつけているのだと昔誰かに教わった気がするけれど、本当なのだろうかとぼんやりと思う。
 窓の端の方には、赤い照明だけが残った東京タワーも見えていた。新宿御苑の森は暗い闇に沈み、空は明かりを反射したぐずついた鈍いグレーだ。深夜1時を過ぎているというのに、まだこれだけの明かりがあるのだからなあとぼんやりと思った。そして、いま見えている景色の中に、いったい何百万人くらいが生きているのだろうとも。途方もない数。途方もない人生。

 非日常的な空間に身を委ねていると、普段考えないようなことをいろいろと考える。僕が考えていたのはいま書いている物語のことだった。実は今回こういう高層ホテルに泊まったというのも、東京を舞台にしている物語なので、東京の感じを掴んでおきたかったということもあったのだ。なんというか、東京の広さと複合的なところ、あまりのもたくさんのもので構成されているということを再確認してみたかったのだ。そして、窓の外の夜景を見ながら、たとえばあの登場人物はあの辺のマンションに暮らしていてとか、そんな空想をしてたのしんでいた。

 もちろん、そんなのは自己満足で、他愛のないことだ。けれども、そういうことが自分にとって大切だと思えるならそれでいいと思う。結局のところ、自分で選択して自分にとってそのときそのとき必要だと思うことをしていくしかないのだから。

 結局、午前2時過ぎまで、窓の外を見ていた。途中、もうひとつの椅子に座って、少しずれた方向の景色を眺めた。たくさんのビル。大きな街。たとえばこれだけ大きな街の中に探している人がいるとしたら、見つけることなんて奇跡に近いことのような気がする。これだけ大きな街の中で、知り合いになるということも、本当に奇跡のような感じだ。だからと言って、周囲の人たちすべてにそんなふうに思いながら接することができているのかというとそうでもないのだけれど。

 最後には、眠たくなってそのままカーテンを開けたまま眠った。朝6時過ぎに一度目が覚めて、朝の同じ景色を見てみた。朝の景色も夕方や深夜がそうだったように、やはり東京は大きな街だということを実感させた。朝はとりわけ、大きな何かがいまこれからまた回りはじめますよというような感じがして、ハイスピードで動くものも最初はゆっくりとした回転からはじめるように、スローなスタートを感じさせた。あるいはみしみしという歯車の音が聞こえるような感じ。

 その夜の多くのものが印象的な景色だったから、なかなか忘れないだろうなと思う。その夜に一緒に飲んでいた友人の女性とも、また飲もうという約束をした。この秋は仲のよい友人との再会が続いているのだけれど、その子とも久しぶりでも当たり前のように普通に楽しい時間を過ごすことができた。今度はその子がアメリカ留学中に出会い、いまは一緒に暮らしているという恋人(日本人)も一緒に来たらいいなと思う。そんなふうに昔の友人のパートナーと知り合っていくというのも、学生時代の友人と付き合いを続けていく上での醍醐味のような気がするし。

 いずれにしても、とてもたのしい夜だった。


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 お知らせ

 Todd Rundgrenライブ(平均年齢高)については、そのうちに。

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「Next To You」

2004年10月23日 | Days

 先日購入したCDはCiaraの『Goodies』なのだけれど、最近随分ブレイクしているこのアーティストのアルバムを購入したのも、R.Kellyのプロデュースしている曲があるからだった。洋邦問わずCDをそれなりには購入する方だとは思うのだけれど、洋楽の場合はやっぱりプロデューサーで購入するということが多い。メジャーどころばかりだけれどJam&Lewisだとか(ジャネットとの長年の連携が魅力的)、Babyfaceだとか(かなり定番)、そんな名前が書かれているだけでどのような曲なのかがある程度想像でき、だからこそぜひ聴いてみたいと思うのだ。

 それで、今回も購入してみたのだけれど(R&Bのアーティストは本当に新しい人が次から次へと登場するので、プロデューサーで選ぶことがより重要になってくるように思う)、今回のR.Kellyプロデュースの楽曲はかなり当たりだった。基本的にミディアム・テンポの曲が好きなのだけれど、個人的にはかなりストライク・ゾーンのいいところといった感じで、iTunesの1曲リピートで50回以上聴いてしまうくらいにはよかった。

 ちなみに、iTunesは再生回数が表示されているので、それはそれでちょっと恥ずかしい。一時期大塚愛の「さくらんぼ」のキャッチーなメロディーが好きでそればっかり聞いていたら、かなり再生回数がすごいことになっているし……GabrielleとNodeshaの間にいる大塚愛というのもどうなのだろう?

 クランクというジャンルのことはよくわからないし、タイトルチューンの「Goodies」はそれほどでもないのだけれど、それでも「Next To You」がかなりよかったので、それだけでもアルバムを購入してよかったと思う。基本的には昔のDaysに書いたように僕はアルバム打率説(?)をアルバム評価のベースにしていて、たとえば10曲入りのアルバムで気に入る曲が3曲あったら打率3割で、”野球で言うと好打者=当たりのアルバム”ということになる。ただし、10曲中1曲しか気に入る曲がなかったとしても、その1曲がかなり気に入る曲になるのであれば、それは勝負どころ(たとえば2点差くらいで負けている9回の打席でランナー1、2塁)で逆転3ランを打つ4番打者のように、許せてしまったりするのだ。まあ、単純なたとえだけど。

 このCiaraのアルバム『Goodies』は、そういった意味で言うと1曲だけすごく好きなアルバムなのだけれど、その1曲がかなりよい感じなので、買ってよかったとは思う。


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 お知らせ

「Next To You」ってタイトルもいいですよね。
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最近気になるモノ

2004年10月20日 | Days

 この間の夜にCDを買いに行った店は、本やゲームソフトも販売しているようなよくある複合型の店だった。
 CD売場に行くために通らなければならないゲームソフトのコーナーにテレビがあって、そこに映し出されている画面の演出に、思わず足を止めてしまった。
 それは「ドラゴンクエストⅧ」のデモムービーで、途中から見て思わずエンドレスリピートの最初からもう一度通しで見てしまうくらいに、驚いてしまった。
 なんだかすごいのだ。
 いまのゲームはこんなところまで来てしまっているのかという感じ。世界の広さというか、冒険の楽しさ的な雰囲気が画面いっぱいにつまっているのだ。ゲームなんて全然やらなくなっていたので、なおさらその進化のインパクトが強かったのかもしれない。昔なんてちまちましたキャラクターを動かすだけだったのに、いまでは広大な「世界」をキャラクターが自由自在に動き回っている。魔法は激しい効果とともに繰り出され、様々な登場人物たちの表情は動きが、物語に彩りを与えているように見える。
 夕暮れにそびえる塔、謎の宮殿、巨大な寺院、城の中のたくさんの人たち。デモムービーなのでほんの少しずつ映し出されては消えていくシーンの数々が、いちいちが魅力的だった。鳥山明デザインのキャラクターたちは、特徴がうまくデフォルメされていて、幅広い世代に受け容れられる感じがよく出ていたし。
これはもう、よい映画の予告編が印象的であるように、よいゲームの予告編もまた印象的だということなのだろうか?
 ゲームなんてもうしばらくちゃんとやっていないけれど、こんなのならやってみたいなと、そんなふうにさえ思わされた。
 11月発売かー。仕事も忙しいのだけど……でも、うーん。


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 お知らせ

 こんなふうに迷ったときって、たいてい買ってしまうような気がします。

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『ヴィレッジ』

2004年10月19日 | Movie

 月曜日は長い1日だった。午前4時30分に起きてねむい目をこすりながら部屋で仕事をして、8時には会社に行ってさらに仕事をして、21時少し前に仕事が終わった。
 そして、それから4人でシネマコンプレックスに映画を観に行った。翌日が休みだったので、とりあえず行ってみようということになったのだった。
 映画館に着いて、レイトショーの作品を確かめる。それほど観たいと思う作品はほとんどなくて、4人それぞれ違う映画を観ることになった。一緒に行って違う作品を観るのもおかしな感じなのだけれど、合理的と言えば言える。
 僕ともう一人が『ヴィレッジ』、一人が『I.ROBOT』、一人が『恋の門』に行くことにする。終わったらロビーで待ち合わせとだけ決めて、それぞれの映画館に消えていく。シネマコンプレックスはそういったこともできるのだなと思うとおもしろいなと思ったのだけれど。

 映画はとても面白かった。10点満点で言うのなら8点で、ひさしぶりに個人的にはかなりのヒット。
 理由はほとんど先入観もなく素で観ることができたということと(これって結構大きなポイントだと思う)、ストーリーと登場人物たちが印象的だったから。
 特に、アイヴィー役のプライス・ダラス・ハワードがかなり強烈な存在感を持っていて、引き込まれてしまった。
 シャマラン監督というと『シックス・センス』のイメージが強いせいかホラー監督と思われているようだけれど、実際には前作の『サイン』もヒューマン・ドラマだったという気がする。そして、本作『ヴィレッジ』も同様にホラーのテイストがもちろんあるのだけれど、結局のところラブ・ストーリーでありヒューマン・ドラマであったように思う。そういうものを浮かび上がらせるために、極限状況が重要になってくるというような。

『サイン』のときには、周囲の評価は散々だった。見た人にはわかるあのテレビのニュース映像のシーンなんかが槍玉に挙げられ、結構きついことを言われていた。けれども、個人的にはとても好きな映画で、様々な伏線が最後にちゃんと収斂されていく様が、その収束する果てに家族愛のようなものが強くあるところなんかが、とてもツボにはまったのだ。
 今回も、先週に5人ほどが『ヴィレッジ』を観ていて、そのうち4人までが散々酷評していた。あれはひどいとか、何あれとか、そりゃないだろうとか。それを聞いて(『サイン』のときみたいだ)と思っていたのだけれど、実際自分でも観てみると、映画館で観て本当によかったと思えるような作品だった。一緒にいた女の子もよかったと言っていたので、これは今度酷評していたメンバーといろいろと相違点を話してみたいという気がする。

 また、ネタバレに関してはシャマラン映画のお約束で厳しいようなのでつっこんでは書かないけれど、やはりアイヴィー役が際立っていた。僕は彼女のシーンに本当に目を奪われていたし、演技がかなりうまくて、印象的だと思っていた。部屋に帰ってきてからほとんど主役を張るのははじめての女優であることや、あのロン・ハワードの娘であることなんかが書かれていて、またもや驚かされたのだった。


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 映画を観た後4人でサイゼリアに行き、結局午前1時30分くらいまで喋っていた。いろいろな話でかなり笑わせてもらった。たとえば『恋の門』を選んだ奴は館内にはカップルばかりだったらしく、スーツ姿で1人は浮いていたとか。周囲の人に「絶対若菜ファンだよ」と思われてるよとか言ってみんなで笑っていたのだ。また、ドリンクバーで全員オレンジジュースを頼んで「絶対俺らあやしいよな」とか言ってみたり。

 部屋に帰ってからもなんだかんだで起きていて、結局眠ったのは午前3時過ぎだった。ほぼ24時間くらい起きていたのだから、確かに長い1日だったのだと思う。

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 お知らせ

『ヴィレッジ』は『サイン』が好きな人にはオススメです。

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Always Music

2004年10月17日 | Days

 遅ればせながら、宇多田ヒカルの洋楽アルバム『EXODUS』を購入した。Amazon.co.jpでいろいろと眺めているうちに、ついつい1-Clickで購入ボタンを押してしまったのだ。
 そして例のごとく会社から帰ってくると不在連絡票が入っていて、数日受け取ることができなかった。
 それで、どうせ朝7時台から夜21時~22時台まで部屋にいないので、もう玄関前に置いておいてくださいというやり取りをして、今日22時過ぎに帰ってきてからドアの前に、くたびれた捨て犬のように置かれていたAmazonのロゴ入りの袋を手に取ったのだ。
 まだちゃんと通して聴いていないのでなんとも言えないのだけれど、キャッチーなアルバムというよりは、じっくりと聴き続けることでよさがわかってくるような、渋いアルバムといった感じがする。そして、そういった感じのアルバムの方が飽きがこないはずで、面白いなというのが感想。
 もちろん、聴き続けてみないとわからないとは思うのだけれど。

 輸入盤の方を購入したのだけれど、CDのジャケットに輸入盤の洋楽CDに必ずついている白いシールがついていて、それもなんだか新鮮な感じだった(学生の頃、洋楽CDを購入しはじめの頃は、あのシールをうまくはがすことができなかった。あるときスムーズなはがし方に気がついて、そのときにはなんだかちょっと成長したような気がしたものだ。他愛のないことだけれど)。
 iTunesにさっそく落とし込んで(一時期のコピーコントロールCDの増加は本当に困ってしまっていた。普通に個人だけで聴きたい多くのユーザーはきっと不満がたまっていたのだろう。もしかしたらiPodの流行なんかも、最近のコピーコントロールCDの製造中止に寄与しているのかなと思う)、ヘッドホンで聴いていた。

 テレビを見ないので部屋に帰ってきたらほとんど必ずと言っていいほど音楽をかけているのだけれど、そして深夜であれば基本的にはヘッドホンで音楽を聴いているのだけれど、音楽は日々の中に当たり前のように溶け込んでいて、それがもしなかったらとときどき考える。
 もちろん、音楽がなくてもきっと生活はできる。他の多くのものと同じように、それがないとと執着しているものが、実はなくったってそれほど困ったり辛かったりしないのと同じように。執着している時点ではなかなかそれを信じがたくても、実際にはたぶんそういうものだ。
 それでも、それが「ある(あるいは「いる」)」だけで、世界は随分と鮮やかにあるいは親密にあるいは濃密に色を変える。たとえばそれは大切な人でも、あるいは大切な動物(犬とか)でもそうなのだろうと思うのだけれど、音楽もやっぱりそうだ。それがあるだけで、それがない暮らしと比べて見えてくるものが違ってくる。とりわけ音楽の感応性というか、一瞬のうちにどこかへ運び去ってくれるような、忘れがちだったものを垣間見せてくれるようなところが、あるいはただただ嬉しくさせてくれるようなところが、もし日々のなかにときどき入り込んでくれなかったと考える。

 もし音楽が日々の中から失われてしまったら。
 真剣にそう考えると少しだけ寂しくなる。
 そんなことは普段は考えないので、意外と音楽にも執着していることに気づかされて驚いてしまう。
 もちろん、前述の通りなくたって生きていける。食べ物とは音楽は違うのだから。眠りとも違うのだから。
 でもとりあえず、いまは別に失われていないし、ヘッドホン越しには陽気な歌声や、胸を掴むようなメロディーが流れている。
 そして結局のところ、それが何に対してであれ執着はそんなにみっともないことだと思わないので(何にも執着しない人生のようなものは、音声を消したテレビみたいに味気ない感じだ)、日々の中の音楽を大切にしていたいなとは思う。


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 お知らせ

 昨晩、引っ越してからはじめてエアコンの暖房を入れました。
 最近周囲で風邪が流行っていて大変なのです。

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『採用の超プロが教えるできる人できない人』

2004年10月14日 | Book

『採用の超プロが教えるできる人できない人』読了。安田佳生著。サンマーク出版。
 こういった本は本当にたくさん売られていて、アプローチの仕方こそ違えど、書かれている内容は基本的には似通ってくる部分が多い。それは、たとえば考えの深い人たちが同じ結論に達するのと同じように、ある種の原則のようなものは、やはり共通しているからということなのだろうと思う(だから、個人的にはこのような本の中で白眉は『7つの習慣』だと思う。しっくりくるのはウォードの本)。
 書かれている内容はやっぱり納得できるようなことばかりだ。それぞれ著者によってポイントが異なっているケースはあるけれど、それでも言われてみるとなるほどと思えるような内容が多い。それでもこのような本が多く出版され、数多く読まれているのは、それだけ実行するのが難しいということと、仕切り直しを求めている人が多いからなのかなと思う。

 日々仕事をしていると、目の前のことに汲々としてしまうときはやはり多い。長期的な目的から逆算して、いま何をやるべきなのかということを考えて行動するべきだとわかっていても、それでもたとえば今月の売上予算や利益予算の達成だとか、そういったことに集中してしまうものだ。けれども、そればかりで日々を行動しているとどこか動脈硬化のような感じになってしまい、視野も随分と狭くなってしまう。そういったときに本を読んだり、人の話を聞いたり、一歩引いて状況を見ることができるきっかけのようなものは結構効くのだ。いろいろなものが堆積して荷物が重くなってしまったときに、いったんその荷物を置いて本当に必要なものはどれだけ入っているのかと、あらためて考えさせてくれるきっかけになるというか。

 仕事の中では、仕切りなおしということはなかなかない。昨日の行動に今日の行動が影響されてくるし、今日の行動に明日の行動が屋は影響されてくる。だからどこかでいままでの状態はすべてリセットで、明日から心機一転頑張ろうということにはなかなかならない。けれども、精神的にそういうリスタート的な意識を持つことが必要だと感じることがあって、そういうときにはこの手の本を読むのは結構いいような気が個人的にはしている。

 たくさんの本の中の最大公約数的な部分を抜き出すと結構似通ってくるのではないかと思うのだけれど、それでもこの手の本は出版され続けてきて、これからも出版され続けると思う。時間の有効的な活用の仕方とか、手帳の使い方とか、できる人はこうやっているとか。けれども、受け手の問題を解決することがソリューション・ビジネスの目的の一端であるのなら、やっぱりこの手の本もビジネスマンにとっての問題解決の一助には確かになっているのかもしれない。

 本書は、採用・人事のコンサルタント企業ワイ・キューブの代表である著者が、1000人を超える社長と2万人の学生と接した経験から語った「できる人を見抜く秘策」を書いたものだ。章のひとつではこれが「できる人」の本当の基準という題がつけられ、いくつかの実践的なポイントにも目を向けられている。実際に、多くの人を見てきた中での意見にはやはり説得力があるし、言い切り型の文章にも自信というか力がある。

 印象に残ったのはたとえばこういうところ。

 私は、ビジネスマンとして必要な素養は三つあると考えている。
 ◎素頭のよさ
 ◎素直さ
 ◎エネルギー量
 これら三つの条件はすべて、訓練でよくなったり増えたりするものではない。(86ページ)

 仕事ができる人にはいくつかの共通点があるが、「スピード」という要素は、その中でもとくに重要なもののひとつと言えるだろう。「仕事ができる人=仕事が速い人」と置き換えても、言いすぎではない。逆に、「仕事が遅い」と言われたら、それは「仕事ができない」と言われているに等しい。
私自身、何万人という人を見てきたが、「遅いけれど仕事ができる人」など見たこともあったこともない。(100ページ)

 つまり、最終的にその人がどこを目指しているかで器の大きさはわかってしまうものなのだ。(110ページ)

 そう考えると、交渉の場において主導権を握るということは、言い換えれば、「その交渉を先に打ち切ることができる立場にある」ということなのではないか。業務提携などにおいては、「提携を解消しても損害が少ないほう」が、当然のことながら、主導権を握ることになる。
 つまり、主導権を握るためには、相手側に、より大きなメリットを与える必要があるということだ。(175ページ)

 他にも、たとえば採用をするときに、募集は「志向」で、選考は「資質」でなど、共感できる部分もあって、さっと読んでなるほどと思える感じではある。繰り返し読み返すというようにはいかなくても、ポイントを押さえておくことで、判断の参考にできるかなとは思う。


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 お知らせ

 洗車したら雨が降ってしまいました。しかも激しい雨。

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『泣く大人』

2004年10月14日 | Book

『泣く大人』読了(再読)。江國香織。世界文化社。
 先日、『間宮兄弟』を読んで、江國香織のエッセイ集を何か再読でもしようと思い手に取り、細切れの時間に少しずつ読んでいた。様々な雑誌に掲載されたエッセイを集めたもので、大きくは3つ(「Ⅰ雨が世界を冷やす夜」「Ⅱ男友達の部屋」「Ⅲほしいもののこと」)の部分に分かれている。
 個人的に印象深いのは「Ⅲほしいもののこと」で、江國香織は欲しいものについて書かせたら本当に魅力的だなと思う。
 欲しいものをタイトルから抜粋すると、たとえば「井戸」とか「ロバ」とか「ハイジのような、やさしい心」とか。多くの人が欲しいと思うようなものではないけれど、なぜ欲しいのかについての個人的な理由を読んでいると、それも確かにいいかもしれないと思う。
 たとえば「ロバ」を手に入れたらこうしたいと述べているくだりでは、

 私はロバに、ロバのでてくる本を読んでやる。ロバはおとなしくきいているだろう。(186ページ)

 と書かれていて、なんだかその牧歌的な光景に微笑ましくなってしまうし、「ハイジのような、やさしい心」では、

 私は周囲の人々にも犬にも猫にもミミズにも、思いきりやさしくなる。なにしろハイジだから。最初のうち、みんないぶかしがるだろう。病気かもしれない、とか、何か下心があるのではないか、とか、様々な憶測がとびかう。でも、ヨハンナ・スピリの「ハイジ」を読めばわかるように、ハイジのやさしさは伝染性なので、周りの人もやがてその果てしないやさしさを受け容れ、私を好きにならずにいられない。(201ページ)

 とハイジのやさしさについて憧れを表明するとともに読者にはハイジを正しい重さで思い出させてくれている。
 正直、「Ⅱ男友達の部屋」を読むとこれは男は大変だなあと思ってしまうようなところもあったのだけれど、それでも基本的に世界の見方やスタンスが決まっているということは、ひとつのスタイルなのだということを実感させてくれる。
 日々を愉しむこと、日常にこそ贅沢さを求めたり、感情に従って突き進んだりといったある種の積極さがある人が、鋭い観察眼も同時に持ち合わせているのだから、それはやっぱりなかなかに得難い組み合わせなのだろうなと思う。


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 お知らせ

 KDDIの「talby」に本気で乗り換えてしまいそうです。Docomoもこういうの出してくれないだろうか?

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いくらなんでも

2004年10月13日 | Days

 今日は休日で、久しぶりにゆっくりと眠る。
 もっとも、6時前に目だけは覚めていたので、二度寝をしたということなのだけれど。
 9時には起きて活動を開始する。
 12時過ぎには髪を切ろうとはじめていく床屋に行ったのだけれど、そこでシャンプーをしてもらっているときに「○○大生?」と店の女の人に訊かれた。最初、「ん?」と何を言っているのかわからなかったのだけれど、すぐに「○○大」という大学が近くにあることを思い出し、「……社会人です」と返事をする。
「ええ? 働いているんですか?」と驚かれ、「ごくろうさまです」と言われ、それから年齢の話になって、最近30歳になったばかりだという話をする。
「見えないでしょう。若く、っていうかかなり若く見られるでしょう」と重ねて言われ、「ええ、まあ……」と微妙な受け応えをする。
 確かに、年齢よりは間違いなく若く(幼く?)見られるし、店で責任者を出せというときに登場すると、相手の顔に浮かぶ微妙な表情にも慣れっこだ。けれども、一応男の生き方は顔に出るとどこかではちょっと思っているところもあるので、若く見られるたびに、「人生経験を積んでいないのかな……」と少しだけかなしくなってしまう。
 個人的には若く見られるのはどちらかと言うと嬉しいことでもないので(年相応っていうのがいいと思う)、なかなかに微妙だったりする。
 もちろん、今日は確かに若く見えるといえば見えそうな格好(ジーンズに七分袖のボタンダウンのシャツに薄手のカーディガン、そして斜めがけのバック)だったのでさらにあれだったとは思うのだけれど……
 服装から変えようかな……


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 お知らせ

 休日に近くのおいしいパン屋で何か買うのが、最近の習慣だったりします。

 

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ナン

2004年10月10日 | Days

 今日は仕事が終わった後、8人でカレーを食べに行ってきた。インド風の、結構本格的なカレー屋だ。
 僕は2回目だったのだけれど、必ずと言っていいほど客の中に外国人(インド人風?)がいて、そういったところからも本場の味に近いのだろうねという話も出てくるくらい(店もインド人がやっているらしい)。
 ナンも頼んだのだけれどこれがまたとてもおいしくて、パン好きとしてはナンだけでも食べられると思えてしまうような感じだった。
 カレー自体は辛めの、煮込んだチキンの入ったやつを注文する。
 様々な話をしながらご飯を食べる。そういうのはやっぱり楽しいよなとは思う。


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 お知らせ

 台風はやっぱりすごかったのでした。

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台風前夜

2004年10月08日 | Days

 台風が近付いているせいか、今日は午前中からずっと雨が降っていた。

 朝7時台に仕事に向かうときにはぱらぱらと地表を濡らしていた雨は、22時過ぎに仕事場を出たときには叩きつけるような勢いのある激しい雨に変わっていた。ニュースは今週末には台風が列島を縦断すると伝えていて、この3連休が稼ぎ時なのにと憤りを感じてしまう。店長になる前ももちろん週末の雨はいやなことのひとつではあったのだけれど、店長になってからの方がより強くそう思うようになっている。

 だから最近では花火大会とか運動会もあまり好きじゃない。小売業はなんだかんだいっても週末が勝負なところがあるので、その勝負どころをもっていかれるイベントが目の上のたんこぶ的な存在に思えてしまうようになっているのだ。同様に、週末の雨や雪というのも(個人的には雨も雪も好きなのだけれど)なんとなく許せなくなっているのだ。

 たとえば、もし雨が降っていなければ1000万円の売上げがあったとして、雨が降ってしまったがために800万円の実績しか残せないとする。その差の200万円は翌週に戻ってくるという単純な話ではない。ある種の手品のように、その200万円分の売上げはぱっとどこかに消えてしまっている。もし……だったらというのは人生と仕事においてどちらかと言うとタブーな事柄だけれど、そんな感じなのでもし雨が降らなかったらと思ってしまうのは当然のことなのかもしれない。

 雨が少しでも勢いを弱めてくれればいいなと思う。回転する勢いを、移動する速度を、少しでも弱めてくれるのであればいいのに。
 でも客観的にニュースを見ると、ちょっとそれは厳しそうなので、そういった天候の中でできることをしっかりとやろうと、メンバーに語りかけることがまずはできることかなと思う。


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 お知らせ

 今年は台風が多いですね。

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