10月28日の午前0時過ぎ、僕は新宿駅東口にいた。
つい数分前に4年ぶりに会った友人と地下鉄駅のホームで別れたばかりだった。地上に出ると、ここ数日の急激な冷え込みがダイレクトに感じられる。吐く息が白い。まるで冬のような冷え込み。
一度両手を口の前に当てて、吐く息で手の平を暖めてみる。それからおのぼりさんのように頭上を見上げ、周囲をゆっくりと見回してみる。いくつかの看板の電飾は時間を感じさせずに輝き、明滅や様々なパターンの点灯を繰り返している。それでも、思いがけないほど電気が消えた部分の方が多かった。新宿といえども、0時を過ぎると街自体が今日はもう終わりといった感じを垣間見せる。
それでも、いくつかの路地を覗くと、まだまだ全然明るくて、やっぱりここは新宿なんだと思い直す。
27日はTodd Rundgrenのライブに行き、学生時代の友人と一緒にお酒を飲み、そのまま新宿に泊まる予定になっていた。ホテルはライブに行く前、夕方にチェックインしておいた。オートロックのカードキーはポケットの中に入っているので、何時に戻ろうともフロントを煩わせることはない。終電を気にしなくてもいいというのは随分と軽やかな気持ちになることで、せっかくだから、と新宿周辺を少し散歩してみることにした。
東口からまずは南口に向かう。フラッグスの前のエスカレーターはすでに止まっていて、大きなスクリーンも真っ暗だ(ただし、1階のGapだけは煌々と明かりがついていて、係りの人がディスプレイの変更を行っていた)。階段をゆっくりと上がる。途中、警察官の2人組とすれ違う。治安維持のための巡回パトロール。
南口のやけに幅の広い改札口周辺にはまだたくさんの人がいた。ラーメンの屋台がいくつか出ていて、何人かがラーメンやおでんを食べていた。すぐ横の甲州街道は深夜だというのに車が途切れず、人口の分母が多くなれば、やっぱり眠らずに働いている人の絶対数も多くなるのだろうなという当たり前のことを実感していた。
実際に自分で見て、感じたことじゃないとなかなかリアルに感じることができない。たとえばある種の感じを文章で表現しようと思っても、その架空の情景を構成するようなパーツと成り得るリアルな風景や細部をストックしていなければ、なかなか難しいような気がする。ある夜の一部とか、ある町で見た光景の一部とか、そういったものが不思議な合成を経て架空の光景が生まれ、そこに脈のようなものが、息遣いのようなものが付与される。だから、夜の新宿を歩いてみるのは新鮮なことだった。終電後の新宿。1日67万人くらいの乗客が通り過ぎたあとの駅の周辺。
甲州街道の舗道をIn the roomの方へ向かい、BEAMSのビルを通り抜けて、伊勢丹の方へ出る。途中、まだたくさんの店が開いていて、たくさんの人とすれ違う。たくさんの看板も見る。新宿LOFTがオープンするというやつとか、タバコの看板。すれ違う人たちの何人かはこのまま朝まで帰らないのだろうし、もしかしたら電車に乗るのは諦めてタクシーで帰ることにしているのかもしれない。人通りはもちろん日中よりは減っていたけれど、それでも全然少なくはなかった。正直なところ、想像以上にたくさんの人が街にまだ留まっていた。
そして、それらの人を受け容れるべくたくさんの店が開いていた。チェーン店や単独の店、物販店に変な店。飲食店に紛れてコンビニもあったし、カラオケのビルなんかもあざといくらいの照明を輝かせていた。そんな通りを足早に歩く人たちと、蜂のようにやってくるたくさんの呼び込みやキャッチセールスっぽい人たち。夜中こんなところに立っていて寒くないのだろうか? と思えるような薄着の黒服の男。
そんなたくさんの人の合間を、iPodで音楽を聴きながらどんどんと歩いていく。流れているのは最近よく聴いている「Next To You」やライブで聴いたばかりのTodd Rundgren。音楽を聴きながら歩いていると、周囲と自分との間に不可逆の透明な膜ができるような気がする。それは場合によってはあまりよいものでもないのだけれど、こういう夜にはありがたいような膜になる。
さっき駅前で見た屋台のせいか、歩いているうちになんだか無性にラーメンが食べたくなる。それで、今度はラーメン屋を探すという目的ができる。多分チェーン店があるだろうと思って歩いていると、案の定HIDAY日高があったのでそこに入ってラーメンを食べた。ほぼ満席と言うくらいにたくさんの客がいて、お酒を飲んだ後にラーメンが食べたくなるのはなぜなのだろうとぼんやりと思う。
時計を見ると、1時を過ぎていた。さすがにちょっと眠たくなってきたので、そのままホテルに帰ることにする。歩道橋を渡って、新宿に何店舗あるのかわからないほど見たスターバックスの横を通り、ホテルまで帰る。
ホテルの部屋は30階にあって、ネットで予約をしてあったところだった。ちょっとよいところだったのだけれど、ここ数ヶ月いろいろと頑張っていたので、自分にごほうびということで泊まってみることにした。せっかく新宿に泊まるのだから、一度くらい高層階に泊まってみたかったし。
部屋は新宿御苑側に面していた。カードキーを差し込むと、間接照明が自動的に点灯する。ジャケットを脱いで、ハンガーにかける。途中のコンビニで買った飲み物とチョコレートをビニール袋から取り出して、袋自体はゴミ箱に捨てる。
そして、部屋の間接照明を全部消してから、カーテンを全部開けた。カーテンを開けきってしまうと窓は結構大きく、かなり広範な景色を見ることができるようになる。窓際に椅子2脚とテーブルがあったのだけれど、椅子のひとつに座って、窓越しに広がる東京の夜景を見ていた。
30階くらいの高さから深夜の東京を見るのなんてもちろんはじめてだったから、正直とても新鮮な光景だった。散歩の後半には結構眠たかったのだけれど、その眠気もなくなってしまうくらい。
たくさんの高層ビルが見えていて、その最上階付近に赤い照明があって明滅を繰り返しているのが見える。様々なビルの明滅のリズムが異なっていて、まるで狂った指揮者に率いられた狂った楽団の演奏風景のようにも見える。高層ビルには必ずついているその赤い光は、飛行機やヘリコプターの衝突を避けるためにつけているのだと昔誰かに教わった気がするけれど、本当なのだろうかとぼんやりと思う。
窓の端の方には、赤い照明だけが残った東京タワーも見えていた。新宿御苑の森は暗い闇に沈み、空は明かりを反射したぐずついた鈍いグレーだ。深夜1時を過ぎているというのに、まだこれだけの明かりがあるのだからなあとぼんやりと思った。そして、いま見えている景色の中に、いったい何百万人くらいが生きているのだろうとも。途方もない数。途方もない人生。
非日常的な空間に身を委ねていると、普段考えないようなことをいろいろと考える。僕が考えていたのはいま書いている物語のことだった。実は今回こういう高層ホテルに泊まったというのも、東京を舞台にしている物語なので、東京の感じを掴んでおきたかったということもあったのだ。なんというか、東京の広さと複合的なところ、あまりのもたくさんのもので構成されているということを再確認してみたかったのだ。そして、窓の外の夜景を見ながら、たとえばあの登場人物はあの辺のマンションに暮らしていてとか、そんな空想をしてたのしんでいた。
もちろん、そんなのは自己満足で、他愛のないことだ。けれども、そういうことが自分にとって大切だと思えるならそれでいいと思う。結局のところ、自分で選択して自分にとってそのときそのとき必要だと思うことをしていくしかないのだから。
結局、午前2時過ぎまで、窓の外を見ていた。途中、もうひとつの椅子に座って、少しずれた方向の景色を眺めた。たくさんのビル。大きな街。たとえばこれだけ大きな街の中に探している人がいるとしたら、見つけることなんて奇跡に近いことのような気がする。これだけ大きな街の中で、知り合いになるということも、本当に奇跡のような感じだ。だからと言って、周囲の人たちすべてにそんなふうに思いながら接することができているのかというとそうでもないのだけれど。
最後には、眠たくなってそのままカーテンを開けたまま眠った。朝6時過ぎに一度目が覚めて、朝の同じ景色を見てみた。朝の景色も夕方や深夜がそうだったように、やはり東京は大きな街だということを実感させた。朝はとりわけ、大きな何かがいまこれからまた回りはじめますよというような感じがして、ハイスピードで動くものも最初はゆっくりとした回転からはじめるように、スローなスタートを感じさせた。あるいはみしみしという歯車の音が聞こえるような感じ。
その夜の多くのものが印象的な景色だったから、なかなか忘れないだろうなと思う。その夜に一緒に飲んでいた友人の女性とも、また飲もうという約束をした。この秋は仲のよい友人との再会が続いているのだけれど、その子とも久しぶりでも当たり前のように普通に楽しい時間を過ごすことができた。今度はその子がアメリカ留学中に出会い、いまは一緒に暮らしているという恋人(日本人)も一緒に来たらいいなと思う。そんなふうに昔の友人のパートナーと知り合っていくというのも、学生時代の友人と付き合いを続けていく上での醍醐味のような気がするし。
いずれにしても、とてもたのしい夜だった。
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お知らせ
Todd Rundgrenライブ(平均年齢高)については、そのうちに。