水木と連休で、水曜日の夜に前の店の送別会に参加する。退職するメンバーと異動になるメンバーがいたのだ。
30人くらい参加していて、2ヶ月ぶりの人たちといろいろと話す。最後の方でジュースを飲みながら笑っていたら、挨拶をお願いしますといきなり話を振られる。突然のことに戸惑いつつも、挨拶をして笑いをとる(最初は笑いを、最後は真面目に)。店長をしていたときからそうだったのだけれど、挨拶では必ず笑いをとろうとしてしまうのだ。
送別会は0時過ぎに終わり、帰りに家の方向が同じメンバー4人を車で送っていく(車で行っていたのでお酒は飲んでいなかったのだ)。途中、明日休みの人と訊くと2人が休みだったので、ファミレスでデザートを食べようと提案する。なんとなく、久しぶりのメンバーともうちょっと話していたかったのだ。そうしたら翌日出勤の2人も「行きます!」と言い、仕事に支障があるからというようなことを言ったのだけれど、遅番だから大丈夫ですという話になる。
それで結局5人でファミレスへ。
僕の他は男2人女2人。一人28歳で、残りの3人は入社2年目と新入社員。新入社員なんて10歳も年の差がある。
他愛のない笑い話に盛り上がり、いろいろな話をした。そして気がつくと、午前5時少し前まで店にいた。ドリンクバーは何度もお代わりをしたし、結構笑った。久しぶりに気楽な感じだった。いまのエリア(西日本)でも若いメンバーと飲みに行くことはあるけれど、立場も違えば面識も違うので、どうしても気をつかう感じになってしまう。もちろん、そのメンバーだったら気をつかわないのかと言うとそういうわけでもないのだけれど、それでも大分気心も知れているので気楽と言えば気楽だ。
最後はもう結構眠たかったのだけれど、随分と笑ったし、楽しかった。
部屋に着いたのは午前5時半。なんだか学生みたいだと思いながら、座ったまま眠る。
起床は午前7時。5分おきにセットした携帯の目覚ましで起きる。8時に約束をしていたのだ。すぐに熱いシャワーを浴びて、約束の場所に向かう。それから12時くらいまでで用事を済ませ、部屋に帰ってくる。最初に約束を入れていたのに午前5時まで起きているのだからまったく……と思いながら(でも楽しかったのでまあいいのだけれど)。
それからクリーニングを出しに行ったり、洗濯をしたり、クリーニングを取りに行ったり(3時間でできるのだ)、翌日からの出張に備えて細々とした雑事を片付ける。けれど1時間半しか眠っていなかったので、随分と睡魔と戦ってはいたのだけれど。
結局21時過ぎまで起きていて、耐えられなくなって眠った。
午前5時前に起きて、ダイニングテーブルに書類を広げて仕事をする。本当は3時くらいに起きたかったのだけれど、身体が疲れていたのだろう。それからきりのいいところで処理を切り上げ、7時台の電車に乗り、移動。
そしていまは姫路のビジネスホテルでこの日記を書いている。
明日はまた移動の予定。
読んだ本(前回の出張中)
『記憶-「創造」と「想起」の力』港千尋著。講談社選書メチエ。
昔読んで途中で放っていた本。記憶とはいままでの出来事がすべて集まっている場所がありそこから呼び出されるようなものではなく、常に「生成」されゆくものであるという視点に立っている。そして、それを解説するために、記憶を巡るアートについての言及を繰り返している。少し読み返して昔途中で挫折した理由を思い出したのだけれど、出張前に何を持っていこうというときに再び手に取ったのだから今回は読了しようと、頑張って読み進める。論理の展開が破綻しているような気がするのだけれど、個別のエピソードは結構興味深い。ほとんど名の知られていないアーティストの作品に記憶の性質を重ね合わせているので、感情移入しづらい部分もある。何よりも文章が難しくて、どうしてこういうふうに書くのだろうと思う。難しいことを、簡単に伝えることこそが大切なことだと思うのだけれど。
今回は読み終える。283ページ。1996年の本。
『どぜうの丸かじり』東海林さだお著。文春文庫。
久しぶりの「~丸かじり」シリーズ。僕はこのシリーズが大好きで、難しい本を読んだら、無性に読みたくなる。久しぶりに手にとっても書かれている内容は保証済みのシリーズで、今回もにやりとさせられる。品質が一定であり安定しているという意味ではハンバーガーのチェーン店のようなところもあるのかもしれない。
今回も「あるある!」「わかるわかる!」と心の中で思いつつ読み終える。
休日にDVDで『7月24日通りのクリスマス』を見る。マンガのような展開。長崎には昔旅行したことがあって、個人的には好きな街だった。その長崎が舞台となっていてたくさんの風景が出ていて、それを見ているのが愉しい映画だった。
ストーリーは、見る前からわかっていたものを再確認、という感じ。
上野樹里が出ていて、どうしてものだめに見えて仕方がなくなる。これも「純君効果か……」と思う。一時、吉岡秀隆が何に出ていても「純君」と呼ばれていたように、あまりにもはまり役があると、どうしてもそう見えてしまうのだ。
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お知らせ
休みの度に洗濯とクリーニングを必ずしている気がします。