Sun Set Blog

日々と読書と思うコト。

水曜日

2006年03月30日 | Days

 火曜日の休みが水曜日にずれ込む。
 火曜日の夜に仕事が終わってから(22時30分)、車で40分ほどのところにいる昔の部下に会いに行く。半年ほど前まで店長をしていた店でいっしょに働いていたメンバーなのだけれど、たまたま異動で隣の店にいるのだ。
 そして、ちょうど人事評価のカウンセリングの時期でもあったので(そしてその子の評価者は僕になっていたので)、せっかくだからカウンセリングをしてしまおうということになったのだ。異動の多い会社なので評価対象者が異動になった場合には電話などで行うことが多いのだけれど、車でまあいけなくもない距離だったので、それなら実際にコミュニケーションをしようと思ったのだ。
 その子の働いている店の近くにあるファミリーレストランで待ち合わせ。夜で渋滞もなく、23時少し過ぎには到着することができた。
 それからいろいろと話して(ご飯を食べて、カウンセリングをして、世間話をして)、ファミリーレストランを出たのが2時少し前。
 店を出て、これからも頑張れよといって別れる。前の店のメンバーの話が出てきたりしたのだけれど、その子のカウンセリングを通じて、前の店の関連事項がようやく終了したかなというような気持ちになる。
 部屋に帰ってきたのは2時30分過ぎ。眠い……


 そして水曜日は今週唯一の休日。6連勤(&朝から晩まで)だったのでせっかくの休みをムダにはできないと眠い目を擦りながら朝から映画を観に行って来る。観たのは『サウンド・オブ・サンダー』。予想通り、というか予想以上のB級映画で、でも結構楽しく観る。★★☆(★=1点、=0.5点。満点5点)というところ。あまり見たことのないような俳優陣に、荒唐無稽なストーリー(でも原作はブラッドベリ)、背景はCGというのがモロバレで、資金のやり繰りまで感じられる涙ぐましい演出。最後のタイムトラベルのパラドックスはどう解消されているのだろう? という疑問はあるのだけれど、でもまあ基本的には何も考えずに観ることができる映画なので癒されたと言えばそう言えるかも。
 でも、レディースデーの水曜日&春休みだけあって、子供連れの主婦のあまりの多さには驚いてしまう。立体駐車場もほぼ満車だったし。


 映画を観終わってから、店に顔を出し2時間ばかり残務を片付ける。それから部屋に戻って、今度はバスに乗って近くのターミナル駅へ。
 髪を切って、食事をして、それから仕事用の靴を購入する。
 靴を買うときにはできるだけ2足ずつ買うようにしている。靴のローテーションをしてダメになるのを少しでも遅らせようと思っているのだ。仕事中にかなり歩いているので(店の中は広く、何度もラウンドするため)、すぐに靴がダメになってしまうのだ。
 CDショップを覗き、書店を覗く。書店では本を3冊購入する。


 帰り際にスターバックスに入り、今週少しずつ読み進めていた本を読了する。『なんとかしてよ店長さん!』高橋晋。かんき出版。再読なのだけれど、ジャスコの店長が書いた、ご意見承りカードについて書かれた本。『生協の白石さん』に近いものがあるかもしれない。もっと読まれていい本だと思うのだけれど、意外とマイナーな感じがする。
 数年ぶりに読み返してみて、あらためてよい本だなと思う。ただし、ジャスコの中でもここまでカードに徹底して返答しているのはこの店長さんだけなんじゃないかなと思ってしまう。この店長さんの行動をきっかけに全社に広がり、仕組みとして定着はしているのだろうけれど、ここまでの熱意と行動をできる人はそう多くはないだろう。もちろん、参考になる部分、感心させられる部分がとても多い本なのだけれど、誠実で顧客満足を追求するこの店長のパーソナリティーに負うところが大きいのだなと、以前よりも強く感じさせられた。


 ヨドバシカメラに行って、繰り返しテレビ売場を見てしまう。テレビを全然見ないのに、それでも大きいテレビが欲しいなと思ってしまうのだ。理由はDVDやサッカーの試合を観たいため。でも高いし、それにそのうちもっとずっと安くなるだろうしなと思っていつも見るだけにしてしまう。実際、今年になってから合計で10時間もテレビを見ていないのだから、高いお金を出してテレビを購入する必要もないのだ。でも結構前から、ホームシアターとか、液晶とか、プラズマって言葉にちょっと弱くなっている自分がいるのも事実。
 いやいや、がまんがまん。


 ファイナルファンタジーの最新作のデモ画面が店内で映し出されていた。いまはこんなにも美しい映像なのだなとしばらく見とれてしまう。
 こんなゲームを小学生の頃からやっていたら、いったいどんなクリエーターが育つことやら。


―――――――――

 お知らせ

 桜が咲きはじめていますね。今日も車で運転中、道路脇についつい目がいってしまったのでした。

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busy

2006年03月27日 | Days

 昨晩は1時半過ぎに眠り、今朝は6時前に起きる。
 準備を済ませて7時過ぎには店に行って、7時30分からメンバーと打ち合わせ。
 それから一日忙しく働き、気がつくと昼食をとらない(とれない?)まま22時過ぎに。
 22時過ぎから別のメンバーを連れてファミリーレストランで2時間弱の打ち合わせ。
 部屋に帰ってきたのは0時過ぎ。
 帰りの道路はとても空いていて、10分くらいで帰ってくることができた。
 さすがに疲れたのだけれど、明日もまた早起きで頑張ろう。

 そして火曜日の休日(半分くらいは仕事をしてしまいそうな予感)には、夜でもいいから『サウンド・オブ・サンダー』(ブラッドベリの短編の映画化。B級テイストがそこはかとなく漂うパニック大作)を観に行きたいなとちょっと思ってみたり。

 さてさて、どうなることか。


――――――――――

 お知らせ

 ということで、横浜市長選挙には行くことができませんでした。残念。

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【Fragments】の断片

2006年03月26日 | Days

 このBlogにもリンクが貼られているホームページ【Text Sun Set】の中に、【Fragments】というコーナーがある。
 これはタイトルの通り【断片】を意味していて、リクエストのあった単語を元に、断片のような、断章のような短い物語をアップするというコーナーだ。いまのところ23編の【Fragments】がアップされていて、未アップロードが3編。

【Fragments】を書くときにはだいたい三通りあって、ひとつはリクエストの単語からイメージを膨らませて物語を作るケース。次は単語のことを考えずイメージを膨らませて、それによって生まれつつある物語に単語のイメージを組み込んでいくもの。そして最後が以前からストックしておいた断片の断片を、リクエストの単語と組み合わせて形作っていくものだ。
 ストックは完結しているものではなく、書き出しだけとか、途中だけとか、設定だけとか、そういうメモのようなものだ。ときどき読み返して、この続きをちゃんと書こうと思ったり、逆に断片のままに戻したりする。

 今日のDaysでは、このストックの中から4つを抜き出してアップ。


―――――――――

 お知らせ

 ストックは他にもたくさんあるのです。
 今日アップしたストックの続きが読んでみたい方は、コメントかメールでリクエストしてください。
 リクエストが多いと【Fragments】化されます?



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【Fragments】ストック①

2006年03月26日 | Days

 ストック①:before it snows


 信号が赤に変わり、坂道の途中で立ち止まった。その急な坂道からは遠く港まで見下ろすことができる。道路脇にはいびつに固まった雪が積み上げられ、まだ水色の靄がかかっているような早朝のひととき、世界は複雑なたくさんの相互関係を、ゆっくりと調整し直しているように見える。坂道を両側から照らす電灯が飛行機の滑走路のように淡く輝き、はるか下のほうでは太古の恐竜の生き残りのような黄色い除雪車が、雪を吐き出しながらゆっくりと進んでいる。
 信号が青に変わる。
 ダウンジャケットのポケットに両手を入れて、タバコを吸いながら歩く。それは行儀のよいことではなかったが、早朝の町にはまだ人気がないし、空気がすがすがしいのだからちょうどいいさと勝手に思う。
 夜、ちゃんと眠ることができなかった。断続的な浅い眠りが繰り返されるだけで、何度も目が覚めた。そして身体を起こしては長いため息をつく。そして午前五時になる頃には永遠にも続くと思われるその繰り返しに耐えかねて、夜明けの町に出るのだ。行く当てなどなかった。ただダウンジャケットのポケットに両手を入れて、黙々と街の中を歩き回った。途中のコンビニでコーヒーを買って、煙草を吸いながら、まだ半分夜の中にあるような町を歩き続けたのだ。
 何度かは、そのまま坂道を降りきって港まで出てみることもあった。港の手前の道路は幅が広く、夜明けでもトラックを中心とした車の交通量が多かった。永遠に冬が続く国でもあるかのように世界は白一色で、信号の赤と青だけがやけに鮮やかに周囲から浮かび上がって見えている。
 港に出ると、僕は黙って海を見ていた。防波堤に遮られ、本来の荒々しさを失っている波は妙に穏やかで、けれども生々しさだけは失うことはできずにそこにあった。何度か冬の海の中に入ったらどれほど冷たいのだろうと思った。頭の中では、薄暗い水の中に沈んでいる自分の姿を何度も思い描いた。そこではすべての音は失われ、氷漬けされてしまったかのような自分の塊が、ゆっくりとどこまでも沈んでいくのだ。そういう場所を、自分が求めているような気がした。けれども港から海までは結構な高さがあり、手を伸ばしても水の中に手を入れることさえできなかった。
 また、雪が降っている朝には、風に色がついてでもいるかのように、横殴りに降る雪をいつまでも見ていた。そして、身体がすっかり冷え切ってからまた家に帰った。

 サチコが玄関にいたのは二月の最初の水曜日の朝だった。
 前の晩の天気予報では、この冬一番の冷え込みになるでしょうと美人のアナウンサーがありがたいお告げのように伝えていた。僕は浅い眠りの繰り返しの中で、いつものようにどこかでは半分覚醒していた。夜半激しく吹き続けた風はある瞬間から力尽きて諦めたかのように静けさを増しており、僕が起き上がりいつもの散歩に出ようと玄関に向かったときには、すっかりと境目の時間の曖昧な静寂が周囲を覆っていた。
 サチコはピンクのダウンジャケットに白いマフラーをぐるぐる巻きにして、頭には白い毛糸で編みこまれたぼんぼりのついた帽子を被っていた。手袋も白で、ようはピンクと白の女の子らしい格好をしていた。けれども表情はかなり思いつめており、唇を固く結んでいた。でもまあ、早朝からサチコがそんな表情をしていても僕はまったく驚かなかった。それはつまりその表情こそがサチコのデフォルトの表情だったからで、一緒に暮らし始めたこの二ヶ月間で、それはもうよくわかっていた。
「おはよー」
 サチコに驚きながらも、僕はそう声をかけた。サチコは一度小さく頷き、黙っていた。もちろん僕はサチコが饒舌ではなく、むしろ致命的に無口なことはわかっていた。けれどもまあ、とりあえず朝の挨拶は大事だと思って声をかけたのだ。
「どうした? こんな朝早くから?」
 サチコは僕と玄関との間の微妙な場所を見つめていた。まるでそこにサチコにしか見えないティンカーカーベルのような小さな妖精がいて、そこから目が離せないみたいだった。あるいは、自縛霊でも見ているのかもしれない。後者ならしゃれにならないなと思う。
「眠くないのか?」
 サチコは黙ったまま首を横に振る。
「じゃあ、一緒に行くか?」
 サチコは黙ったまま首を縦に振る。
 僕はやれやれと思いながら、玄関においてあるホーキンスのブーツを履く。黒色のダウンジャケットはポーランド製のグースダウンがたっぷりはいっているというやつで、確かに結構暖かい。
 アパートの扉を開けて、階段をゆっくりと下りていく。僕が住んでいるのは三階建ての小さなアパートで、その三階の一番端の部屋が僕とサチコが暮らしている部屋だった。1DKのアパートで、もちろん二人暮らし用の間取りではない。元々僕は一人暮らしだったし、まさか小学五年生の姪っ子と一緒に暮らすことになるなんて想像さえしていなかった。けれどもそれは紛れもない現実で、サチコの母親――つまり僕の姉貴――は、弟に一人娘を預けてどこかへと消えてしまったのだ。まったく、呆れて物も言えない。

 僕はいつもより少し速度を落として散歩を続けた。サチコは右斜め後ろを少しだけ頑張って歩くようなスピードでついてきていた。まるで昔テレビで見た何かの動物の子供のようだと思う。置いていかれないようについていかれるようにちょっと急ぎめに歩く子供。僕はときどき振り返り、声をかけてそれでも基本的にはいつものように思いを巡らせながら歩いていた。世界は夜の終わりであり朝のはじまりでもあり、どちらにも属さない曖昧で微妙な時間でもあった。
 しん、と世界中が縮こまっているかのように感じられる。何かを落としたら、その音がどこまでも広がっていきそうな張り詰めた空気。いつも見慣れた風景が、夜明け前の時間だというだけでまったくその印象を変えてしまう。僕はサチコを見つめて、どんなことを考えているのだろうかといぶかしむ。
 サチコはどこか必死にピンクのゴムの長靴で地面を踏みしめていた。きゅっきゅっという音がする。口は相変わらず堅く結ばれたままで、前をまっすぐと見据えて歩いている。不思議なのは、サチコがいつも前をしっかりと見ていることだ。何を見ているのかはわからない。それでもサチコはちゃんと顎を引いて前をしっかりと見据えている。
「寒くないか?」
 サチコは首を横に振る。
「寒かったらいつでも言うんだぞ」
 サチコは頷きも首を振りもしない。ただ黙っている。僕はそれを肯定のサインだと解釈して歩き続ける。雪に埋まった小さな公園の横を通り過ぎる。青いビニールシートを被せられた水飲み場は先端しか見えていないし、三つ並んだ鉄棒も一番高いものだけがかろうじて雪の上に姿を出している。ブランコの支柱はそれなりには見えていたけれど、くくりつけられたブランコ本体は雪に埋もれてしまっている。この北の町では、雪は本当にいつまでも降り続きそのうち町ごと覆ってしまうかのようだった。
 大体十五分も歩くと身体が随分と冷えてくる。吐く息は随分と白い。僕はゴジラのように息を強く吐き出して見せたが、サチコは別段何の反応も示さなかった。僕は苦笑して、気を取り直して歩き続ける。
 この二ヶ月、僕らの間の距離はほとんど埋まってはいなかった。食事はもちろん一緒にとったが、そのときにもサチコはほとんど黙っている。たまに喋ることもあったが、その声は随分と小さく、まるで長い間言葉を発していないために声帯が弱ってしまっているみたいだった。「明日、学校にこれをもっていかなくちゃならないの」というような必要最低限の連絡事項は伝えてくれるから喋れないわけではないことはよくわかっている。けれども、積極的にコミュニケーションを取りたいと思っているわけではないようだった。
 そのサチコが、午前五時に玄関で待っていたのだ。それは僕にとってはちょっとした驚きだった。自分の子供の頃には、五時前後なんていう時間は世界に存在していなかった。起きたときには七時は過ぎていたし、いかに急いで準備をして教室に駆け込むかが日課のようになっていた。だからサチコがこんな朝早くから一緒に散歩をしていることはいまいち実感の沸かないことだったのだ。
「お。コンビニがある。ちょっと入ろう」
 僕はそう言ってサチコと一緒にコンビニに入る。「いらっしゃいませーおはようございまーす」という間の抜けたアルバイトの挨拶が聞こえる。僕らはレジ前のホット飲料の什器の前に並んで立って、「サチコにどれにする?」と訊ねる。サチコはしばらく黙っていたが、やっぱり寒さに耐えかねていたのかしばらくして紅茶花伝のミルクティを指差す。僕はワンダのモーニングショットを選ぶ。
 コンビニの前のガードレールに腰掛けて(サチコはよりかかって)、並んで暖かい飲み物を飲んだ。僕は横目でちらりとサチコを見た。
坂道の途中から僕らの姿を見たら、一体どんな関係に見えるのだろうと思いながら。

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【Fragments】ストック②

2006年03月26日 | Days

 ストック②:EDEN


 私は犬や猫があまり好きではない。基本的に生き物が苦手なのだ。実家でもペットを飼っていたことはなかったし、きっと動物というものに慣れていないのだ。人間にだってきっとそうで、なにかうまいことを話そうとするといつだって言葉が出てこない。
 私が冬実に出会ったのは、アルバイト先の花屋だった。花屋なんて自分にまったく似合わないのは充分にわかっていたのだけれど、それでも私は花が好きで、花に囲まれた職場はずっと憧れだった。それで意を決して面接にいったら、よっぽど人が足りなかったらしく、奇跡的に採用された。

 大学の講義が終わってから、私は夕方をその花屋で過ごす。フラワーアレンジメントの世界では結構有名らしいオーナーの若竹さんが独立して開業した花屋「グラナダ」は、駅から歩いて十分ほどのところにある小さなファッションビルの1階にある。それほどたくさんの人が訪れる場所ではない。それでも、雑誌などで紹介されることもあって、結構客足が絶えない。私は忙しさにいっぱいいっぱいになりながらも、それでも憧れのアルバイト先にうかれていた。

 冬実は若竹さんの恋人だった。30代半ば、バツイチで美人の若竹さんは、仕事には厳しかったが恋人にはからきし甘かった。冬実は別段興味もなさそうに店にやってきては、えらそうに腕を組んで、「ねえ、これなんていう名前の花?」とガラスのフラワーベースから飛び出たハツユキカズラを見つめていたりする。

 私は冬実とは必要以上に言葉を交わさない。冬実は私の最も苦手とするタイプの男だった。かわいらしく、取り入る術を知っていて、周りの人にすぐに気に入られてしまう。末っ子のように傍若無人な振る舞いが、どうしてか周囲に許されてしまう。つまりは、私の正反対だ。かわいらしくなく、人との間に見えない壁を作って、周りの人からどうしてか壁を作られてしまう。一人っ子なのに長女のように生真面目で固い振る舞いが、周囲に納得されてしまう。それが私で、もう19年もそんな性格と向き合っているのだからいまさら変えられない。

「あんたさあ、いつも怖い顔してるね」
 冬実がスタルクの透明な椅子に座ってそう言ったとき、私はトルコキキョウの水を替えているところだった。私は思わず動きを止めて、それからいま投げられた言葉の意味を確かめるようにゆっくりと頭の中で反芻した。
「普通のつもりですけど」>
「こわいよ、充分」
 屈託もなく、冬実はそう言った。その口調は、「俺って生まれたときに身体が弱かったみたいでさ、冬でも実をつけるくらい強く育って欲しいって願ってつけられたんだよな」と話していたときとまったく変わりはなかった。
「そうとられることには、なれてますから。それに、私はあんたじゃなくて野原っていうちゃんとした名字があります」
 私はそう言い放つと、そのまま店の奥へと歩いていく。
「野原って言うんだ。花屋っぽい名前だね」
 私はその言葉には返事を返さず、そのまま歩いていく。

 冬実は私大の学生で、若竹さんより10歳も年下だった。若竹さんはモデルのような冬実にすっかり入れあげてしまい、先週も10万円以上もするスイス製の腕時計をプレゼントしていた。若竹さんの仕事が終わるのを待つために店に来た冬実は、その時計を見せびらかすかのように私の前で振って見せた。
「よく、そんな高いものをもらう気になりますね」
「だってくれるっていうんだからさ」
「少しくらい遠慮するべきです」
「だって、くれるって言うんだぜ」
 私は冬実との会話がお互い目隠しをしているキャッチボールのようにうまくいかないのを感じる。目隠しをしているから、たまにボールが身体に当る。痛みを感じる。でも、どうすることもできない。ほとんどの場合ボールは異なる方向を目指し、ちゃんとキャッチすることはきっとない。もちろん、そもそも私はこの人とキャッチボールをしたいと思っているわけでもない。
「な、あんたがここに採用されたのって、あんただったら俺が浮気しないだろうって思ったからなんだってさ。知ってた?」
 そんなことを言い出すこともあった。あまりに失礼な物言いに、私は思わず声をあげそうになる。けれども私は必死に我慢して、怒りを抑える。こんな人にかまっていたっていいことなんて何もないと自分に言い聞かせる。
「前にこの店で働いていた人と浮気したんですか?」
「うん。したよ」
 冬実はあっさりとそう言うと、よくぞ聞いてくれましたというような笑顔になる。
「それがバレちゃて、すぐにその子はクビ。もう花業界では働けないくらいに悪い評判を流されて田舎に帰ったよ。せっかく東京に来て、憧れの先生の店で働くことができたというのにさ」
 あまりにの責任感のない発言に、私は怒りのあまり毛細血管のいくつかがブチブチと切れていくのを感じる。
「ってことは、その子は冬実さんのせいで、夢を壊されたんですね」
「自業自得だよ。だって、誘ってきたのは向こうからだしさ。俺が先生の恋人だって知っててね。俺は誘われたら受け容れるんだから、後は誘うかどうかの問題だろう」
「もう……いいです」
 私はそう言ってその場を離れた。まったく、と思う。花はこんなにも美しくて幸福な気持ちになるのに、その周りで働いている人たちは一筋縄じゃいかないのだろう。

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【Fragments】ストック③

2006年03月26日 | Days

 ストック③:Memories


 彼女はとても寒がりで、いつもマフラーをぐるぐる巻きにしていた。
 彼女のマフラーは茶色のカシミヤ製のもので、薄く見えるのだがとても暖かいのだと、言葉を選ぶようにゆっくりと話していた。オフホワイトのロングコートは背の高い彼女によく似合っていて、背が高い分寒さを感じる面積が多いのだと、よくわからない説明をいつもしていた。彼女の身長は172センチで、それは僕とほとんど変わらなかった。
 そのため、背筋をいつも伸ばしていたから、猫背気味の僕と比べると実際の身長以上の差がそこには横たわっているように見えた。それは高く越えられない壁のように、いつも僕の前に立ちはだかっていた。
 彼女はとても姿勢がよい。虫歯がない。話すときに人の目をちゃんと見つめる。親の育て方がいいのだ。テーブルマナーだって完璧だし、英語だって喋ることができる。僕はと言えば中肉中背で少しだけ猫背気味で、歯並びはあんまりよくない。けれども両親を早くに亡くし祖父母に育てられたので、昔の人みたいとよく言われる。趣味は落語を聞くことだし、新茶の匂いが大好きで、初代から現在までのすべての黄門様の役者の名前をそらんじることができる。

 彼女とは合コンで知り合った。僕は合コンというものがとても苦手で、それは興味があるのだけれど自分にはどこか場違いだと思えてしまう居心地の悪さが原因で、結局のところ僕は自分に自信がないのだと思う。だから落ち着かないし、それなりの願望も期待もあるので勇気を振り絞って参加するのだけれど、それでも途中からなんとなく話題に入っていくことができずにおいしい料理に一人で舌鼓をうっていたりする。それはもちろんむなしいことなのだけれど、しょうがないとも思っている。集団の中にいると、ある種の役割分担のようなものが生まれてくるのだ。
ただ、これは意外な盲点なのだけれど、合コンのときの店は頑張っていることが多いので、概して料理がおいしいのだ。だから合コンに出てうまく空気にのれないときには(そういうときばかりではあるのだけれど)僕はいつも料理をちゃんと食べる。だからその夜も僕は一人で盛り上がる会話をよそにおいしいごはんを食べにきていたみたいだった。この湯葉はおいしいやとか、知床鶏のから揚げの衣の揚げ方はうまいな、ばあちゃんに教えてあげようというように(そうそう、僕はばあちゃんの一番弟子でもあるので料理も得意なのだ)。
 若い頃は伊達男で鳴らしたというじいちゃんは、生前よくお前はふがいないなあと豪快に笑っていた。そんなにびくびくしてたら恋人の一人もできやしないぞと。まあ、しょうがないよと僕は思う。じいちゃんの遺伝子はたぶんどこかでいねむりをしているのだ。まるでウサギと亀のレースのウサギみたいに。あまりにも当時(昭和初期に)走りすぎたのでいまはどこかで休んでいて、平成になってもまだ眠り続けているのだ。まったく。
「おいしそうに、食べているんですね」
 ふいに声がかけられて、顔をあげるとそこには彼女がいた。薄いピンク色の繊細な感じのコンビネーションニットを着ていた彼女は、うとうと病にかかっているみたいな、呆然とした僕に微笑みかける。
「え、あ……」
「さっきから、ずっと食べてばっかりなんですね」
「あ、いや、これ、すごく美味しいんで」
「そうですよね。おいしいですよね」
 彼女はそうやって微笑むと、目の前の不思議な形をしたお皿に載っていたマグロのカルパッチョを一口食べた。僕も慌てて同じものを食べる。
「食べるの好きなんですか?」
「はい」
「私もそうなんです。特にこの湯葉は最高です」
「僕もそう思ってました。これは味付けが薄くてすごくすごく――」
 思わず力が入ってそう言いかけて、彼女がじっと見ているので動きが止まってしまう。あらためて見ると、彼女はとても綺麗だった。最初の自己紹介のときから、背が高くてモデルみたいだと思っていたのだ。そしてもちろん他の男たちが人気アーティストのライブのチケットを取ろうとしているみたいに彼女に話しかけ続けていたから、そのときまで一度も話せていなかったのだ。
「すごく――繊細な感じの味がします」
「そうですね」
 そのときに、トイレに立っていた同僚が彼女の隣の席に戻ってきて、また彼女に話しかけ始めた。彼女はその同僚の言葉に耳を傾け、会話が再開された。同僚の言葉はバッティングセンターのピッチングマシーンみたいに、途切れることなく彼女へ向けて放たれていた。
 見回すと、周囲のほかのメンバーたちも楽しそうに会話に花を咲かせていた。そしてよく考えてみると、その夜の合コンは男が5人で女の子が4人だったのだ。女の子の1人が急に用事ができてこれなくなったらしい。もともと僕は人数あわせで呼ばれていたので、最初から確かに浮いていたのだった。
「……」僕は隣に座っていた同僚の一人に小声で帰ることを伝え、飲み代を支払った。そして、トイレに立つふりをして、そのまま帰ることにした。そうやって帰ることは何度かあった。いたたまれなくなってしまうのだ。
 その小洒落た創作居酒屋は、トイレまでが格好よかった。フロストガラスの洗面台に、蛇口は一瞬どこを回すのだろうと考えてしまうような不思議な形をしていた。僕は鏡に映った自分の顔を見ながら、小さくため息をつく。ヨン様をずっとずっと地味にしたみたいと一度言われたことがある。ヨン様はあんなに人気があるのに、ずっとずっと地味な感じだと、人気なんてまったくない。それにしても、なんでずっとという言葉を、二度も繰り返して言われなければならないのだろう?
 カバンを脇の間に挟んでハンカチで手を拭きながらトイレを出ると、そこには彼女が立っていた。僕は驚いて思わずカバンを落としてしまった。
彼女は長い髪をかきあげながらカバンを拾ってくれて、それを僕に渡してくれる。
「――かわいいハンカチですね」
「え、いや、あ。ばあちゃん――祖母にもらったんです」
 僕は唐草模様のハンカチを慌ててスーツのポケットにしまいながら、そう言った。
「帰るんですか?」
「はい。ええと、ほら、男の方が多いし」
「じゃあ、また男の人が多くなっちゃいますね」
「え?」
 彼女はそう言うと、くるりと身を返して出口の方に向かっていった。
「それは……どういう」
「私も帰るんです。明日は仕事で早いので」
「あ、そうですか。そうですよね」
 僕らは一緒に店を出た。その店は飲食店ばかりの雑居ビルの五階にあったから、一緒にエレベーターに乗り込むことになった。エレベーターは上の階の店から出てきた人たちでいっぱいで、僕は彼女と思いがけず近付いて立つことになった。花のような、とてもいい匂いがした。そして、僕は彼女を見上げていた。
 エレベーターが1階について、僕らは駅までの道を一緒に歩いた。女の人と一緒に歩いたことなんてものすごく久しぶりだった。大学時代に仲のよい女の子がいたけれど、その子にはいつも恋人がいた。だからその恋人に悪くて、よく話しかけてもらったのだけれどなんとなく疎遠にしてしまった。女の友人ということもよくわからなかったのだ。
「ええと……」
「大草です」
「大草さんは、合コンとかよく行くんですか」
 彼女がそう訊いてきた。
「たまに誘ってもらったときには行きます。でもいつもなんだか疲れちゃうんです。ただ、今日みたいに料理がおいしいことは多いから、それはいいことのひとつです」
「あ、確かに。それはありますね」
「ええと」
「野村です」
「野村さんは?」
「たまに人数あわせで呼ばれます。でもあんまり好きじゃないんです。ほら、合コンってなんか無理があるじゃないですか。限られた時間で必死になるようなところが。60分1本勝負みたいって笑っちゃいますよね」
「確かに」
「だからできるだけすぐ帰るようにしてるんです」
「みんな残念がってますよ。きっと」
 野村さんはまっすぐに歩いていた。姿勢のよい人だと思った。そして並んで歩きながら、心の中で、駅までの道が魔法か何かで伸びてしまえばいいのにと思っていた。けれども実際にはそんなことは起こらず、あっという間に駅についてしまった。むしろ間違って魔法が効いてしまって、道が縮んでしまったかのようだった。もし僕が魔法使いなら、きっと落ちこぼれだ。
「大草さんは何線ですか?」
「地下鉄です」
「私はJRなので」
「あ、はい」
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
 そして僕らは新宿駅で別れた。彼女が去って行った後、なんとなく後姿を目で追っていた。きれいな人だったなと、もう一度そう思った。

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【Fragments】ストック④

2006年03月26日 | Days

 ストック④:Tiny Tiny Tiny


 北条君はきっと少し変わっている。
 一学年に三クラスしかない小さな中学校。私たちは二年生になってはじめて同じクラスになった。背が高くて、野球部でもないのに坊主頭の北条君はとても目立って、学校の集まりのときには頭ひとつ抜け出た北条君を探すとクラスの場所がわかるともっぱらの評判だった。
「俺は灯台じゃないんだぞ」
 そんなふうに北条君は言い、「いいじゃん、灯台」とか友達にからかわれたりしている。
 北条君は休みの日にはいつもギターを弾いているのだそうだ。ジミー・ペイジが彼のアイドルで、身長190センチのクールなギタリストになるのが彼の夢なのだ。
私が北条君のことでよく覚えているのは、「成長痛」についての話だ。私たちは一緒に保健委員をしていて、面倒が嫌いな人が最後にしぶしぶ立候補するような委員会は当然活気のある意見なんか出るはずもなく、それでも私は北条君とのどこかまったりとした時間が好きだった。普段は教室でも接点はなかったけれど、委員会のあるときだけは放課後一緒に残った。
「なあ水上」窮屈そうに机に座っている北条君は、私の方をそんなふうに見る。そんな北条君を見るたびに、私は子供の頃に読んだガリバー旅行記を思い出した。
「なに? どうしたの?」
「お前、成長痛ってわかる?」
「成長痛? なにそれ?」
「いやほら、俺くらい大きくなるとね、夜眠っている間に身体がさらに成長しようとするわけ。そのときはもうすげー痛いの。だってほら、身体って夜に伸びるからさ」
「えぇーっ?」
 私は驚いて聞き返した。当時の私の身長はとても低くて、150センチが切実な目標だった。だから180センチをすでに超えていた北条君の悩みについてはまったくなにもわからなかったし、そもそもそんなこと信じられなかった。
「……そんなに痛いの?」
「ああ痛いよ。ひつぜつにつくしがたいっていうの?」
 難しい言葉を無理して使おうとしてどもっていたけれど、北条君は結構真面目な顔をしてそう言った。
「また、ウソばっかり……」
「嘘じゃないって、マジでほんと痛いの」
「どんな痛みなの?」
「そうだな。ほら、あれ。生みの親と育ての親が両手から引っ張って、子供が痛いって言ったときに思わず手を離した方が本当の親だっていうくらい痛いよ……あれ?」
 北条君は自分でも何を言っているのかわからなくなったみたいで、ちょっと照れていた。「まあ、うまくたとえられなかったけど、とにかく痛いんだよ。すごく」
「ふぅん」
 そのときが、たぶん最初に北条君を意識したときだったのだと思う。北条君の照れた表情が、どうしてかとても印象に残ったのだ。中学生なのだ。誰かが気になるきっかけなんて本当にどこにでもそんなふうに溢れている。
 それからは、二週に一度の保健委員の仕事がとても楽しみになった。クラスは男女のグループがそんなに仲のよいほうではなかったから、普段はただ見ているだけで愉しかった。

 見るということについては、北条君はとても見つけやすかった。何しろ、学校で一番背が高かったのだ。だから遠くにいてもよくわかったし、文字通り頭ひとつ抜け出ているのを見つけたりしたときには、私は密かに微笑んでいた。
 私の恋は、親友の美津子と佳苗しか知らなかった。美津子は「北条かぁ。あいつはほんとガキじゃん」と言い、佳苗は「でも結衣にはちょうどいいんじゃない?」と面白がっていた。私はクラスで一番身長が低くて、きっとおそらくクラスで一番子供だったのだ。
「でこぼこカップルとか、いいかもね」
「結衣の好きなマンガみたいだしさ」
 私は本当にそうだなと思っていた。小学校のときから少女マンガを読んでいて、その中ではクラスで一番背の高い男の子と、一番背が低い女の子が恋に落ちるような本当に話があった。そして、私はそんなステレオタイプな相手を好きになってしまうなんて、やっぱりそういうマンガの読みすぎなんだろうかとか結構思ってみたりしていた。

 でも、見ているだけで満足だった。正直な話、保健委員の二人きりのときにはちゃんと喋れても、それ以外の時にはなんだかうまく喋れなかった。緊張してしまうのだ。それに、普段は私は小さすぎて北条君の視界に入っていないみたいだった。でもそれでもよかったのだ。それこそマンガによく出てくる台詞のように、恋に恋していたというような感じだったのだと思う。


「あっ」
 思わず声をあげてしまった。
 それは、三学期の試験の最終日。大吹雪の日のことだった。帰り際先生に捕まってしまい帰りが随分と遅れてしまった私は、この時間は下校のスクールバスがもうないんだよなと結構しょげていた。
 すると、バス停に見慣れた(本当に見ることに関してはすぐにわかる)北条君が立っていたのだ。グレーのロングコート(お兄さんのお下がりだと前に話していた。お兄さんも背が高いらしい)のポケットに両手を突っ込みながら、寒そうにしていた。
「おー。水上かよ」
 私が見ていたせいか、北条君が気がついて声をかけてくれた。iPodの白いイヤホンをはずして私の前に立って笑いかけてくる。
「どうしたの北条君。友達と一緒に帰らなかったの?」
「ちょっと具合悪くてさ、保健室で寝てたんだ。そうしたらこんな時間になってた」
「大丈夫?」
「ああ。直った」
 案外けろりとそう言うので、単純だなあと好ましく思っていた。美津子に言わせれば、北条は平気でランニングシャツで野山を駆け回って、ヤモリとかを片手で掴んでも平気そうに見えるのだそうだ。つまりは野生児ということだ。
 でも、私たちが住んでいる田舎の町は、中学校ですらバスで通わなければならないくらい田舎なので、ヤモリでもイモリでも手づかみできる男子は(もちろん女子も)多かったのだけれど。
「水上は、なんでまだ学校に残ってんの?」
「あ……うん、川嶋先生のところにいたんだ。日直だったから資料を整理するのを手伝えって」
「ゴリのとこ?」
「うん、ゴリ……じゃなくて、川嶋先生」
「ゴリでいいよゴリで。俺が許す。あれだろ、『ちょっとちょっと水上さん。先生を手伝ってくれませんか?』とか言ってたんだろ」
「うん……ちょっとってやっぱり二回繰り返してた」
「なんでなんだろうな。不思議だ」
 北条君はそう言って川嶋先生の声真似をする。それがあんまりにも特徴を掴んでいて私は吹き出してしまう。
「北条君物真似うまいね」
「ま、ゴリの真似ができてもあんまりいいことないけどな」
 北条君はグレーの大きな傘を肩と首の間に軸を挟むような感じで持っていた。坊主頭には紺色のニット帽を被っている。その帽子がまたなんだか妙に似合っていて、私は結構気に入っていた。
「水上って、傘もちっちゃいのな。子供用?」
「ひっどーい。違うよ。女の子用だよ」
「へえ」北条君はそう言うと一度大きなくしゃみをする。「それにしても、すげー雪だな」
「うん。そうだね」
「実はさ」
「うん?」
「バスはすでに20分遅れてるんだ」
「ええっ?」
 そう言えば、すぐに北条君と話し始めたので、私はバスの時間を調べていなかった。試験の時期は午前で学校が終わるので、普段の時間とは違っていた。私は慌てて時刻表の前に立つ。
「15分のやつがきてないの?」
「ああ。何を隠そう、俺はここに5分からずっといる」
 ちょっと誇らしげに北条君が言う。
 私は腕時計を見た。すでに35分を少し過ぎていて、雪はどんどん世界を覆い続けている。確かに冬場のバスのダイヤほどあてにならないものはない。北国のくせに毎年そうで、バス通学組は朝だって一時間目の途中にようやく学校に着いたりする(もちろん、みんなそれを喜んでいたんだけど)。
「まだ遅れるのかな?」
「この吹雪だし、この時間のはスクールバスじゃないから今江町からくるだろ。こりゃ相当遅れるな」
「えー」
「ん? 用事でもあんの」
「いや、せっかくテストの最終日で早く帰れると思ったのに」
「ははっ。ゴリにはこき使われ、バスも来ない。散々だな」
 北条君は屈託なく笑う。一瞬本当にそうよねと言いそうになるが、でもそのおかげで北条君とこうやって長く話していられるのだと思うとちょっとだけこれもそんなに悪くないかなと思った。
「でもまあ、さすがにそろそろ来るだろ。水上のいままでの最長遅れは何分?」
「一回50分遅れっていうのがあったよ」
「マジで。もしそうだったらあと30分も待たなくちゃならないのか」
「そんなに待てないよ。凍えちゃうよ」
「そーだな」
 ふと、私はそれほど雪を感じていないことに気がついた。北条君が私の前に立ってくれて、壁のようになっていたのだ。それを北条君が意識してやってくれているのか、それともたまたまなのかはわからなかったけれど、それでもちょっとだけ感動した。少なくとも、この出来事を反芻してしばらく時間を潰すことができそうなくらいだ。
「寒くない?」
「これで寒くないって言ったら変わり者だよ」
「……そうだね」
 私はバス回しの先を見る。緩やかな坂道の途中にたてられている歴史のある中学校。冬になるとグラウンドは雪に埋まり、体育会系の部活のメンバーは狭い体育館にわずかなスペースを確保する。試験が終わり、ようやく本格的な練習を再開したそんな部活の掛け声が吹雪の音に紛れて聞こえてきていた。学校しかないところだから先生と生徒以外誰も通らないし、中途半端な時間のせいか、白い世界に私たち二人しかいないみたいだった。
 きっとこんなことってもうないんだろうな。
 私はぼんやりとそう思っていた。好きな人と、まるで一緒に帰っているみたいなシチュエーション。はたから見れば恋人同士みたいに見えるのかなとぼんやりと思う。
「お。きたきた」
 北条君が声をあげる。私も顔をあげる(と言っても、北条君と話している間ずっと顔をあげていたのだけれど)。
「やっときたね」
「そんなふうに言うと、まるで水上も三十分くらい待ったみたいだ。水上は五分も待ってないだろ」
「いいじゃない」
「まあね」
 私たちはバスに乗り込む。バスはがらがらに空いていた。老女が一人シルバーシートで眠っていた。暖房が効きすぎていて、手すりが一様に揺れていた。北条君は当たり前のように一人掛けの席に座り、私は立っているのもおかしいと思い、通路の反対側のひとつ後ろの席に腰を下ろした。声をかければ届く距離。座ってから失敗したかもと思う。斜め後ろより斜め前に座った方がよかったんじゃないかと思ったのだ。
 ぷしゅうという小さな音を立ててドアがしまった。

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夕方

2006年03月22日 | Days

 夕方が好きだと思う。
 今日の午後5時過ぎに車を運転していた。小雨が降っていて、ワイパーが定期的にフロントガラスの雨を拭っていく。高速道路の近くにあるバイパスには等間隔に電灯が続いていて、その明かりは夢の中の思い出せない残像のように淡くオレンジ色に輝いている。道路は二股に分かれ、青色の看板がそれぞれの行き先を示している。いつもその二股では右側の道路を選ぶ。左側には下りたことがない。人生には、そんなふうに選択しない道がたくさんあるのだろうなとなんとなく思う。感傷的になっているのだ。夕方に車を運転するとたまにそうなってしまう。深い意味もなく、浅い意味もなく。

 渋滞ではないけれど車の数は多い。誰もが微妙な間隔を置くためにアクセルやブレーキを調節していて、車の距離と人間の距離のことを考える。車同士が近づき過ぎてしまうとぶつかって事故になるように、人も近付きすぎると事故になってしまうのかもしれないとかそういうこと。もちろん、そんなことはただの漠然とした考えでしかなくて、たとえば今日の夜には何を食べようと思うのと同じような重さでしかない。なんとなく頭に浮かぶ他愛もないことだ。

 カーブやアップダウンを繰り返す道路は、やがて長いトンネルへ入る。それまでライトをつけていなかった車も、次々とライトをつけはじめる。夕方の間、ドライバーの多くはいつライトをつけるか否かを逡巡しているように見える。そういうところにもたぶん性格のようなものが出ていて、それはもしかすると自分では自覚していないものなのかもしれない。
 トンネルの中では、ハンドルを握る手に力が入る。毎日のように通っている道路でもやっぱりそうしてしまう。それはもちろん運転があまり得意ではないからなのかもしれないけれど、車に乗るようになってから実家に帰るたびに言われていた「車の運転には気をつけなさいよ」という言葉が刷り込まれているからなのかもしれない。それでも、それは悪い習慣じゃないのだと思う。そのおかげで少なくともいままで無事故無違反だし、ゴールド免許だってもらっている。

 トンネルの出口が目の前に見えたときに、夕方はその最後の瞬間を迎えているように見えた。夜との境目の、最後の僅かな瞬間。もちろん、夕方の最後の瞬間なんて正確にはわからないけれど、トンネルの出口の先はまさにそのような状態になっていて、トンネルを出たときにはもう夜になってしまうのだというような感じがした。それでなんとなくスピードを上げようとアクセルを踏もうとして、けれども前の車がすぐ前にいて、その足を踏みとどめる。
 車がトンネルを抜ける。けれどももうそこは夜の道路で、なんとなくミラーを見る。雨のために、背後の様子は曖昧にしか見えない。トンネルを走っている間に、なんだかどこか別の場所に出てしまったかのような気がする。一瞬、よくわからなくなる。いろいろなことが、よくわからなくなってしまう。
 それでも、習慣というのは優れたもので、気がつくと左折のウインカーを出して、バイパスから降りる道を選んでいる。たくさんの車の波に、当たり前のように馴染んでいる。
 たくさんの車のテールランプが、雨越しに滲んで見える。

 結局、境目の時間に惹かれてしまうのだと思う。
 それなりに年をとって、自分の好みや惹かれてしまう物事がそれなりに把握できるようになってきて、随分前にそう思うようになった。夜から朝、あるいは夕方から夜、そういった端境の時間にどうしても惹かれてしまうのだ。新しく生まれつつある何かに惹かれるのか、失われゆきつつあるものに慕情を感じるのか、永劫に繰り返される変化であるにも関わらず毎回異なっている変化に郷愁を感じるのか、それはよくわからなくても胸の奥が鈍く痛む。
 もちろん、普段はそんなことを考えない。ただ、ときどきふいにそんなことを一瞬のうちに感じさせられる瞬間があって、そんなときにはいつも無防備になってしまう。普段は働いていてなかなか外を見ることができないので、今日みたいに夕方に車に乗っていると、そんなふうに思わされることが多い。普段なかなか触れられないので、随分と新鮮に響くのだ。

 たとえば毎日、とぼんやりと思う。毎朝夜から朝への移り変わりに身を置き、夕方から夜へと移り変わる様を見ていられたら、それはきっととても贅沢な生活なのだろう。けれども実際には社会的な生活の中で、なかなかその程度のことさえ難しくなってしまっている。だからこそ、たまにそういう瞬間を実感できたときのことを、ちゃんと大切にしたいとは思う。お金を払って映画を観たって、感動できないこともあるのだ。当たり前の日々の中で、時間の移り変わりに、空気の揺らぎに感動することができたのならば、それはとても贅沢なことなのだ。

 子供の頃、あるいは学生の頃にはたくさん時間があった。当時はそれなりに忙しくしていたように思うのだけれど、それでもいま思い返せば、やっぱり時間はたくさんあった。そしてたくさんの時間があった分、早朝も夕方ももっと融通のきく時間だった。いまはそういうわけにはいかないから、境目の時間に身を置くことができたときにはちゃんと感動を受け容れることができればいいのに、と思う。
 そんなことを贅沢に思うようになるなんて、昔の自分に教えたらきっと驚くだろうけど。


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 お知らせ

 最近は忙しいので毎日少しずつエッセイを再読しているのですが、今日は『夢のような幸福』(三浦しをん)を再読し終えました。

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So young

2006年03月21日 | Days

 今日はアルバイトの男の子に「絶対にいいっすよ」と言われたNe-Yoを23時前に帰宅してからiTunes Music Storeでアルバム購入。
 確かにとてもいい感じ。いかにもな男性のR&Bという感じで、キャッチーでセクシー。ストライクゾーンど真ん中ではないけれど、充分にストライク。
「若いコには人気あるんすよねー」とか紹介されたのはまあよいとして。
「おいおい俺は年寄りかい」というようなトークをしていたのだけれど、実際20代前半にとってみたら大人側なのだろうなと思う。
 他にも、店では春休み限定の短期アルバイトも雇っているのだけれど、この間高校を卒業したばかりの18歳なんかが当たり前に面接にくるのだ。髪を結構染めていて、「その髪だとちょっとだめだな」とか言うと、「高校を卒業してやっと染めたばかりなので……染め直すのは……」と辞退する子がいたり。若いなあと思ってしまう。
 もちろん、自分が年をとったということもあるとは思うのだけれど。


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 お知らせ

 明日の祝日も忙しそうです。稼ぎ時。

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『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』

2006年03月16日 | Book

『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』再読。文・村上春樹、絵・安西水丸。朝日新聞社。

 最近エッセイ集の再読をよくしている。『人生激情』や『ゆっくりとさよならをとなえる』がそうなのだけれど、一度読んだことのある、好きな作家の、大体どういうトーンなのかが事前に分かるエッセイ集を朝や夜のちょっとした時間に、少しずつ読み進めているのだ。ここまで書いてみていまは結構忙しいのだろうなと自分で思う。忙しいときには得てしてそうしてしまうことが多かったからだ。未知のものよりは、既知のものに触れようとしてしまうこと。意識的にせよ無意識的にせよ、変に消耗したくないのだとどこかで思っているのかもしれない。もちろん、他の本(未知の本)も読んではいるけれど、それでもその一方でバランスを取るためになのか、昔からのなじみの作家(しかもエッセイ集)に立ち返ってしまう。

 この本もそんな流れの中で再び手にした一冊。僕は村上春樹がとても好きで、個人的に特別な位置を占めているのだけれど、小説だけではなくエッセイ集もとても好きで繰り返し読んでいる。『やがて哀しき外国語』も読み返しているし、以前の村上朝日堂だってそうだ。小説のシリアスさとはまた別ののほほんとした味わいがあって、エッセイを読むことは村上春樹的に言う小確幸だよなと思う。

 再読してみて、もちろん既知の内容ばかりなのだけれど、楽しんで読むことができた。個人的に笑ったのが「この前どこかで「『マディソン郡の橋』を読ませていただきました」って言われたけど、すいません、あれムラカミが書いた本じゃないんすよ。(261ページ)」というところ。
 そして、『マディソン郡の橋』か……と思う。『村上朝日堂~』が発行されたのは1997年6月1日で、僕が手に入れたのは6月15日の第二刷発行版。連載自体は1995年から1996年で、『マディソン郡の橋』の本の出版が1993年で、映画が1995年なので、確かに時期的にかぶっている。本の中で、この作品名を見つけて随分と昔のことのように思えてしまった。もう10年くらい経つのだなと。

 学生のときにあまりにもベストセラーになっていたので読んだのだけれど、いまいち入り込むことができなかったのをいまでも覚えている。年代的に相容れないものがあったのかもしれないし、世界をまたにかける孤独でタフなカメラマン的なマッチョな人物像になじめなかったのかもしれない。あるいはただ単にウォラー的なセンスのようなものに浸かれなかったのかもしれない。いずれにしても、それなのに僕は映画まで観に行って(当時としてはめずらしいシネマコンプレックスで観た)、イーストウッドの手にかかるとあの小説がこうなるのかと思った記憶がある。最後の方の町の交差点のシーンだけは、なんとなくいまでも思い返すことができる。10年位前に観た映画でそんなふうにシーンを思い出せるのだから、ある種の印象は残っているのだと思う。

 当時はまだ若くて、ものすごくたくさん売れたのだから、もちろんよい作品なのだろうというようなことにあまり疑いを抱いていなかったのだ。
 もちろん、まだ10年しか経っていないし、いまなら随分と成長したとか言うつもりもないのだけれど、それでも年をとってきてそれなりの自分なりの基準のようなものができてきた部分はある。世間的に大ブームでも、相容れないものは相容れないし、なんとなく好みの作品というものをある程度はわかるようになっている。人生で手に触れることのできる作品には限りはあるのだし、ある程度の基準のようなものはちゃんと持ちたいなと(徹底はしていないけれど)どこかでは思っている。けれども若い頃というのは、そういうものがまだぐにゃぐにゃと固まっていなかったのだ。少なくとも、いまになって考えてみるとそう思う。もちろんそれはとても必要な時期であるとも思うのだけれど、思い入れや過度の繊細さのようなものがたくさんあって、大変だったかもなあと思う。

 でも、大体がそれまでの遍歴の積み重ねなので、そういう時期は本当に必要だったのだと思う。たとえば、ある作家を、あるいはある映画監督を好きになるときに、そこにはある種の思い入れが必要になってくる。そして、そういう思い入れは若いときの方が持ちやすい。たとえば僕がいまアーヴィングの作品をはじめて読んで、あるいはキェシェロフスキの作品をはじめて観たとしたら、もちろん感動はするけれど、いまの自分の中での特別な位置とは違うところにあるのじゃないかと思えるのだ。そういうのって運だし、タイミングだし、ものすごく幸福なことなのだと思う。個人的に(あくまでも個人的に)たぶん一番いいタイミングで出会うことができた作家や監督。感受性のようなものがどうしたって過敏になっている時期に、バットが真芯でボールを捉えたときのように、ジャストミートした作家や作品たち。

 そういうのってとても個人的なことだ。人によってその対象は違うし、バイクやサッカー選手や、ロックにそのような思い入れをこめる人もたくさんいるだろう。いずれにしても、そういう思い入れのある何かがあるということは、ありがたいことだよなと思う。


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 お知らせ

 この本を読み返して、このエッセイ集を読んでから映画のエンドロールを最後まで見なくてもいいんだと思うようになったことを思い出しました。
 元旦にはじめる日記は続かないというような言葉を忘れられないように、村上春樹のエッセイにもかなり影響を受けているのだなあと思います。

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