研修でアメリカに行っていたときの話。
その研修には上海の部署で働いている仲のよい同期も来ていたのだけれど、班が違い自由時間がそれほどあるわけでもないのでなかなか話をする機会がなかった。夜に部屋に来て喋ったりもしたのだけれど、とりあえず一緒に朝ごはんを食べようという話になった。
僕らがそのとき泊まっていたホテルの近くには地元の人が行くようなコーヒーショップがあって、そこの朝食がリーズナブルでとても美味しかったのだ。
それで毎朝7時にホテルのロビーで待ち合わせて、てくてくと5分ほど歩き、その小さな田舎のコーヒーショップといった雰囲気の店に向かっていった。
日によって他のメンバーが加わることもあったけれど、たいてい2人だった。前の晩に課題をしたり、あるいは課題を放って飲んでいたりというメンバーには、なかなか朝起きるのが辛かったのだ(もちろん、僕も辛かったけれど)。それでもせっかくの機会だし、ちょっと無理しないと話したりすることもなかなかできないしと、お互い眠たい目を擦りながらてくてくと歩いた。朝の街はまだ少しだけ涼しくて、歩いてみると起きてみてよかったなと思ったりもした。
大きな道路に、ゆったりとした舗道。舗道沿いに延びている芝生には、スプリンクラーから放出される水が降り注いでいる。信号がゆっくりと変わり、なだらかな坂道になっている道路の先からは、ときどきありえないくらい大きなトラックがやってきていたりする。
自分たちが映画で観たことのあるようなアメリカ郊外の景色を歩いていると思うと、ほんの少しだけ不思議な感じがした。
店には地元のおじいさんやおばあさんが来ていることが多く、時間のせいもあってそれほど混んではいなかった。僕らは席に通されて、それぞれのメニューを頼む。パンケーキかワッフルのどちらかを選び、スクランブルエッグか目玉焼きかを選ぶ、最後にベーコンかソーセージかを選ぶ。コーヒーとオレンジジュースは選ぶのではなくて両方ついてくる。そんな朝食をもぐもぐと話をしながら食べた。お互いの仕事のことであったり、他の同期の話であったり、昨日の研修中の面白い出来事の話であったり。興味があったので、中国での暮らしについていろいろと尋ねる。おもしろく興味深い話と、笑って聞いてられないような話を聞く。言葉を重ねる。ウェイトレスが繰り返しやってきては、コーヒーのおかわりを入れてくれる。
だいたい40分くらい店にいて、再びてくてくと歩いてホテルに戻る。朝の講義が8時50分からはじまるので、一度部屋に戻って準備をしなければならない。研修はカリキュラムを順調に消化して、僕らは朝ごはんを繰り返し食べる。
研修の後半で別の街の別のホテルに場所を移したときにも、一度朝ごはんを食べた。宿泊していたホテルのビュッフェ。
その日は、同期に加えてやはりかつて日本で少しだけかぶっていた同僚(現在タイの部署にいる)も一緒に来ていた。
タイの話を聞く。いくつかの質問をされ、いくつかの言葉を返す。横浜にいたときに2人で飲みに行ったこともあり、アメリカで朝ごはんを食べているなんてと不思議に思う。
オレンジジュースを飲む。
それからコーヒーを飲む。
研修のそれらの朝はもうすでに遠い話になってしまっているけれど、それでも記憶はささやかなイメージとともにぼんやりと残っている。
研修ではいろいろなことがあったけれど、すぐに思い出すことができるのは、意外とこういったことだったりする。コーヒーショップまでの朝の5分間の道のりや、店内のどこかアットホームで大味なインテリア、朝からこんなにと驚いてしまうようなボリュームと甘さのパンケーキ。そして、細部はすっかり忘れてしまった他愛のない会話。
そういったことがたぶん大切なことなのだろうとぼんやりと思う。他愛のないことこそが、なんでもないようなことこそが、力のないボディーブローのように、感情の塊をゆっくりと叩く。力がないので感情が大きく揺さぶられることもない。それでも微かには揺れる。その微かな揺れを感じ取ることができるような時間の過ごし方を、日々の感じ方を、できているのであればそれでいいのだと思う。それはたぶんささやかな幸福のようなもので、その揺れをちゃんと感じることができているのだろうかと繰り返し思う。
いつかそれを感じなくなるかもしれない。気がついていて気がつかない振りをしてしまうのかもしれない。
それはとても致命的なことのような気がするので、将来の自分が忘れてしまったときのために、こうやって文章に残しておこうと思う。
これもまた、力のないボディーブローの小さな一撃だ。
たぶん、きっと。
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お知らせ
来週の半ばから夏の連休です。飛行機にはしばらく乗りたくないので、山奥のいい感じの温泉の予約を取りました(楽しみ)。
何もしないでぼんやりしたり、のんびりと山道を散歩したり、おいしいご飯を食べたりの、2泊3日の一人旅の予定です。週間天気予報は雨ですが、それはそれで情緒があるということにしておきます。