Sun Set Blog

日々と読書と思うコト。

Breakfast

2005年06月30日 | Days

 研修でアメリカに行っていたときの話。
 その研修には上海の部署で働いている仲のよい同期も来ていたのだけれど、班が違い自由時間がそれほどあるわけでもないのでなかなか話をする機会がなかった。夜に部屋に来て喋ったりもしたのだけれど、とりあえず一緒に朝ごはんを食べようという話になった。
 僕らがそのとき泊まっていたホテルの近くには地元の人が行くようなコーヒーショップがあって、そこの朝食がリーズナブルでとても美味しかったのだ。
 それで毎朝7時にホテルのロビーで待ち合わせて、てくてくと5分ほど歩き、その小さな田舎のコーヒーショップといった雰囲気の店に向かっていった。
 日によって他のメンバーが加わることもあったけれど、たいてい2人だった。前の晩に課題をしたり、あるいは課題を放って飲んでいたりというメンバーには、なかなか朝起きるのが辛かったのだ(もちろん、僕も辛かったけれど)。それでもせっかくの機会だし、ちょっと無理しないと話したりすることもなかなかできないしと、お互い眠たい目を擦りながらてくてくと歩いた。朝の街はまだ少しだけ涼しくて、歩いてみると起きてみてよかったなと思ったりもした。

 大きな道路に、ゆったりとした舗道。舗道沿いに延びている芝生には、スプリンクラーから放出される水が降り注いでいる。信号がゆっくりと変わり、なだらかな坂道になっている道路の先からは、ときどきありえないくらい大きなトラックがやってきていたりする。
 自分たちが映画で観たことのあるようなアメリカ郊外の景色を歩いていると思うと、ほんの少しだけ不思議な感じがした。

 店には地元のおじいさんやおばあさんが来ていることが多く、時間のせいもあってそれほど混んではいなかった。僕らは席に通されて、それぞれのメニューを頼む。パンケーキかワッフルのどちらかを選び、スクランブルエッグか目玉焼きかを選ぶ、最後にベーコンかソーセージかを選ぶ。コーヒーとオレンジジュースは選ぶのではなくて両方ついてくる。そんな朝食をもぐもぐと話をしながら食べた。お互いの仕事のことであったり、他の同期の話であったり、昨日の研修中の面白い出来事の話であったり。興味があったので、中国での暮らしについていろいろと尋ねる。おもしろく興味深い話と、笑って聞いてられないような話を聞く。言葉を重ねる。ウェイトレスが繰り返しやってきては、コーヒーのおかわりを入れてくれる。

 だいたい40分くらい店にいて、再びてくてくと歩いてホテルに戻る。朝の講義が8時50分からはじまるので、一度部屋に戻って準備をしなければならない。研修はカリキュラムを順調に消化して、僕らは朝ごはんを繰り返し食べる。

 研修の後半で別の街の別のホテルに場所を移したときにも、一度朝ごはんを食べた。宿泊していたホテルのビュッフェ。
 その日は、同期に加えてやはりかつて日本で少しだけかぶっていた同僚(現在タイの部署にいる)も一緒に来ていた。
 タイの話を聞く。いくつかの質問をされ、いくつかの言葉を返す。横浜にいたときに2人で飲みに行ったこともあり、アメリカで朝ごはんを食べているなんてと不思議に思う。
 オレンジジュースを飲む。
 それからコーヒーを飲む。

 研修のそれらの朝はもうすでに遠い話になってしまっているけれど、それでも記憶はささやかなイメージとともにぼんやりと残っている。
 研修ではいろいろなことがあったけれど、すぐに思い出すことができるのは、意外とこういったことだったりする。コーヒーショップまでの朝の5分間の道のりや、店内のどこかアットホームで大味なインテリア、朝からこんなにと驚いてしまうようなボリュームと甘さのパンケーキ。そして、細部はすっかり忘れてしまった他愛のない会話。
 そういったことがたぶん大切なことなのだろうとぼんやりと思う。他愛のないことこそが、なんでもないようなことこそが、力のないボディーブローのように、感情の塊をゆっくりと叩く。力がないので感情が大きく揺さぶられることもない。それでも微かには揺れる。その微かな揺れを感じ取ることができるような時間の過ごし方を、日々の感じ方を、できているのであればそれでいいのだと思う。それはたぶんささやかな幸福のようなもので、その揺れをちゃんと感じることができているのだろうかと繰り返し思う。
 いつかそれを感じなくなるかもしれない。気がついていて気がつかない振りをしてしまうのかもしれない。
 それはとても致命的なことのような気がするので、将来の自分が忘れてしまったときのために、こうやって文章に残しておこうと思う。
 これもまた、力のないボディーブローの小さな一撃だ。
 たぶん、きっと。


―――――――――

 お知らせ

 来週の半ばから夏の連休です。飛行機にはしばらく乗りたくないので、山奥のいい感じの温泉の予約を取りました(楽しみ)。
 何もしないでぼんやりしたり、のんびりと山道を散歩したり、おいしいご飯を食べたりの、2泊3日の一人旅の予定です。週間天気予報は雨ですが、それはそれで情緒があるということにしておきます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミュージックバトン

2005年06月30日 | Days

 のろのろさんのblogを読んでいたら、ミュージカルバトンが渡されているのに気がついておどろく。
 そしてバトンを渡す人がいないのでとりあえずここで止めてしまうのだけれど、それでもせっかくいただいたので書いてみる。

【Total volume of music files on my computer(コンピューターに入っている音楽ファイルの容量)】

 10.25GB(2709曲)

 持っているCDの半分も入れていなくて、ただ気に入っている曲が入っているCDを気が向くたびに取り込んでいる。


【Song playing right now(今聴いている曲)】

 Amerie「1 Thing」。
 今年の夏のヒット曲。キャッチーでノリがよくて、車の中でかけるのにも最適。部屋でも聴いているけど。


【The last CD I bought(最後に買ったCD)】

 Nivea「complicated」
 アメリカのR&Bシンガーの2ndアルバム。R.kellyがプロデュースしている曲があると、ついつい買ってしまう。全体的には微妙なアルバム……


【Five songs(tunes)I listen to a lot,or that mean a lot to me(よく聴く、または特別な思い入れのある5曲)】

・Debarge「Time will reveal」
 随分と昔のグループ。けれどもよい曲に時間は関係ないのだと思わされてしまう。このグループで一番有名な曲はいまだにCMなどでたまに使われている「I like it」だと思うのだけれど、個人的にはこの曲が一番好き。

・Todd Rundgren「Can we still be friends」
 これももうかなり昔の曲なのに、感傷的なメロディーと歌詞はいまでも違和感がないと思う。

・Gabrielle「If you love me」
 前奏がとても魅力的。サビもとても魅力的。休日に、のんびりと紅茶でも飲みながら聴くような曲。

・Janet Jackson「Where are you now」
 よい曲がありすぎてなかなか選べないのだけれど、はじめて買ったアルバムで一番好きだった曲。

・Chara「ミルク」
 Charaはもうずっと好きでアルバムもすべて持っているのだけれど、「いや」とこの曲がたぶん一番好き。

【Five people to whom I’m passing the baton(バトンを渡す5人)】

 渡す相手がいないので、ここでとりあえず終わり。
 Blogをやっている割に自己完結的なので、広がってないなあ。


―――――――――

 お知らせ

 5曲に絞るのは大変ですね。20曲くらいならさくさくと挙げられるのですが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『宇宙戦争』

2005年06月30日 | Movie

 今日、品川プリンスシネマで『宇宙戦争』を観てきた。一般館が満席だったので、プレミアム館で。
 プレミアム館というのはゆったりサイズの大きなシートが用意された映画館で、楽に映画鑑賞できるのだけれど値段は楽ではなく、料金は2500円もする。最近そういったプレミアム席を設ける映画館が増えているけれど、全席プレミアム席の映画館というのはなかなかないように思う。場所柄、大人用の映画館ということなのだろうか。
 でも実際、椅子はとても柔らかくゆったりとしていて、楽な姿勢で映画を観ることができた。

 さて、『宇宙戦争』(ネタバレがあるのでこれから観に行くという方は読まないことをお勧めします)。世界同日公開ということで水曜日に初日を迎えることになっていたのだけれど、レディースデーと重なっていたためかやたら女の人の比率が高かった。
『スターウォーズ エピソード3』と並んでこの夏最大の話題作といったところで、個人的にはかなり期待していた。H.G.ウェルズの原作をスピルバーグが監督し、トム・クルーズが主役を演じるのだから『マイノリティ・リポート』のことはまあ横においておいて、きっと面白いに違いないと思っていたのだ。
 それに、『アイアムサム』で代え難い存在感を示していたダコタ・ファニングがトム・クルーズの娘を演じているのだ。これはもう期待が高まってしまうのを避けることはできないというものだ。

 観終わった感想としては、「最後まで逃げ続けるんだ……」というもの。宇宙人が地球を征服しようと圧倒的な力で侵略を開始し、軍隊の攻撃も歯が立たず、人類はなすすべもなくただ逃げ惑うしかない。そのような極限状態の中で、一組の家族の視点から物語を追い続けたところが新しいと言えば新しい感じだった。『インデペンデンス・デイ』なんかでもそうだったけれど、この手の映画の場合は様々な登場人物のエピソードが交互に語られ、世界的なスケールの中で、人類が反撃を決めるといった流れが多いように思えるからだ。この作品ではそうではなく、この手の映画には必ず登場しそうな合衆国大統領も出てこないし、軍のお偉いさんも、反撃の鍵を握る方法を生み出す科学者も描かれていない。ただボストンにいる母親の元に娘と息子を届けようと奮闘する父親だけが描かれる。

 大災厄の中での非常にパーソナルなストーリーというわけだ。
 もちろん、それはそれでとても魅力的だ。感情移入の度合いが違ってくる。主人公は港のクレーン技師で、特殊な才能を持っているわけでもなく、世界を救うヒーローになるわけでもない。ただ必死に極限状態の中で愛する家族を守ろうとするだけだ。しかも逃げ続ける過程で次々と敵の攻撃にさらされていく。その危機の連続に、思わず手を握ってしまう。なんでもないただの僕らが同じような状況に遭遇して、必死になっているかのように思うことができるのだ。
 主人公が持っているのは、家族を守るという強い意思と、生き残るために必死に知恵を絞り、勇気を振り絞ることだけだ。

 最後には、侵略者たちは目的を達することなく倒れていく。その原因も地球人の反撃が成功するわけではなくむしろかなり意外なものだ。そして逃げて逃げて逃げ続けた果てに、父親は目的を果たすことができる。多くのことは語られない。ただし、家族への愛情を自覚するようになったトム・クルーズは、映画の中盤では前半とまったく表情が変わっている。意志の強さのようなものがここまで人の顔を変えるのかというように。演技がうまいというのは、こういうことなのかなと思わされてしまうくらいに。

 宇宙人に攻め込まれた地球人が一致団結して彼らを追い返す、といったことは期待しないで観ると充分楽しめるように思う。ただし、そういうものを期待すると、ちょっと肩透かしをくらうかも。
 とにかく、一市民としては実際にあのような極限状態になった場合、必死に逃げて生き残ろうとすることしかできない、というところが描かれていたのはリアルだった。
 あまり先入観やこういう映画なのだろうなという思い込みを持たずに観ると、いいように思う。

 ☆☆★(満点は☆5つ)。


―――――――――

 お知らせ

 ダコタ・ファニングはまだ小さいのに大人びた表情をしていてすごいですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水のたくさんあるところ

2005年06月29日 | Days


 2泊3日の出張に出かけていた。
 今日は休日だったのだけれど、千葉に住んでいる知人と一緒に品川で『宇宙戦争』を観て、新しくできた水族館のAQUA STADIUMに出掛けてきた。湿度が高く、蒸し暑い一日。汗をかいたり涼しい気持ちになったりして夕方の新幹線で戻ってくる。
 水族館は、夜10時まで営業している都市型のもので、小洒落たファッションビルの中に水族館を入れてみましたといった感じ。最近の流行なのか水のトンネルがあって、その下から見上げるとグリーンソーフィッシュやマダラトビエイの腹の部分を見ることができる。また、ペンギン大陸と名付けられたコーナーでは水槽が地上と水中両方を見ることができるようになっていて、イワトビペンギンやキングペンギンが地上をよたよたと歩いてそこから水中に飛び込み、気持ちよさそうに泳ぐところを見ることができたりする。また、イルカプールやアシカプールがあって、それぞれ時間が決まっていてショーを見ることもできる(たぶんこのショーが一番の見物)。

 とにかくもう、すごい人だった。開業してまだそれほど経ってないということだったのだけれど、そのせいなのか暑さのせいなのか、狭い通路は人を避けながらでないと歩けないくらいの混み具合だった。一瞬、魚ではなく人間を見に来たのかなと思えてしまうくらい。
 しかも、ちょうどよさそうな時間にはじまると思っていたアシカのショーも、30分ほど前には立ち見も含めて満席になっていたし、イルカのショーまではまだ1時間以上あった。
 ということで、結局、ショーはどちらも見ずに帰ってきたのだけれど、どちらかのショーを見ないと入場料(1800円)は元が取れた感じはしないのかもしれない。

 印象的だったのは、たくさんの人が携帯電話のカメラやデジタルカメラを水槽に向けていたこと(薄暗い通路のいたるところでかすかなフラッシュが焚かれていた)。
 マンボウが何かを我慢しているみたいに全然動かずに一箇所に留まっていたこと。
 タカアシガニ(世界最大のカニ)を見て、おいしいのかなと思ってしまったこと。
 生き物があまり得意ではないこともあって、水族館にはあまり積極的な興味はなかったのだけれど、それでも実際見てみるとやっぱり楽しいだなとは思えた。
 時間さえ許せば、イルカのショーを見てみたかった。


―――――――――

 先日、親戚を通じて知り合いになった横浜に住んでいるブラジル人の夫婦(夫は僕の5歳年上、奥さんは1歳年下)とご飯を食べた。3歳になる小さな子供(3歳なりの日本語とポルトガル語を話すことができる)も一緒にいて、その男の子がもう元気で元気でラテンの血というものはやはりこんなに小さな頃から息づいているのだな……と妙なところで感心してしまった。居酒屋に入って何が食べたいとメニューを見せると、「ス・シー!」と元気よく答えてそれがとても面白かった。「ス・シー!」って実際に声に出して言ってみると本当に大好物を食べたいんだ! というふうに聞こえるのだ。本当に、今度から使ってみようかなと思ってしまうくらい食べることが大好きというような言い方だった。「カ・レー!」とか、「ラーメ・ンー!」とか、実際には言えないけど言ってみたいなと思ってしまうくらいには。

 秋くらいにもしかしたら横浜あたりに異動になってしまうかもしれないので、もしそうなったらもっと頻繁に会ってご飯を食べさせてもらう約束をする(8年位前にはじめてあったときにも美味しい手料理をごちそうしてもらったのだ)。当時2人はまだ結婚はしていなくて恋人同士だったのだけれど、久しぶりに会ってもとても仲がよいことに驚いてしまう。それはやっぱり国民性の違いなのか、それとも遠い異国で出会った絆の深さがそうさせるのか、それとも相性なのか、愛情なのか、いずれにしてもこういう夫婦っていいよなと素直に思えてしまう。
 ちなみに、夫の方は外資系のIT企業でシニアネットワークアドミニストレータをしているのだけれど(名刺にそう書いてある)、それだけ読んでも何の仕事なのかよくわからないので訊ねてみたのだけれど、話を聞いてもよくわからないのがなかなかに難しいなと思ってみたり。


―――――――――

 お知らせ

 久しぶりにボーリングもしました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『飛ぶ夢をしばらく見ない』+『遠くの声を捜して』

2005年06月29日 | Book

 出張中に山田太一の昔の小説を2冊読んだ。『飛ぶ夢をしばらく見ない』と『遠くの声を捜して』の2冊。以前の出張のときに移動中に読んだ『異人たちとの夏』がとてもよかったので、また出張の時には山田太一を読もうと思っていたのだ。
『飛ぶ夢をしばらく見ない』は文庫本の裏側を見るとこう書いている。

 右足骨折で入院中の、人生に疲れ果てた中年男が、病室の衝立越しに出逢った女と不思議な一夜を過ごす。それからしばらくして彼女と再会したとき、驚くべき奇跡が起こっていた――。孤独を知り尽くした中年の男と、時間の流れに逆行して生きる女との激しい愛の日々。しかし二人で同じ夢を見ることはできない……。男と女の切ない愛と孤独を、ファンタジックに描いた感動の長編小説。

 映画化もされていたので、知っている人も多いかもしれない。つまり、この小説の「彼女」はなぜか若返っていくのだ。その理由はわからない。ただ、現実に再会するたびに驚くべき速さで、若返っていく。理由のわからない不思議な現象が進行していく中で、最後にどうなってしまうのかが予測されるが故に2人はより激しく求め合う。

『遠くの声を捜して』の方にはこう書いてある。

 このめくるめく淫蕩な感覚はなんなのだ――深い感情のかなたから、それはやって来た。不意打ちだった。アナタハ、ダレ、ナノ。結婚間近の二十九歳の青年を突然襲った正体不明の女の声。テレパシーのように届く声は、いったい誰なのか。日常を激しく揺さぶられながら覚醒していく青年は、ついに声の女と出会う時を迎えた……。独自の愛の世界を描いた山田ファンタジー三部作完結編。

 こちらの方も不思議な設定の物語だ。やはりある種の孤独を抱えている青年の心の中に、ある日突然、不思議な声が聞こえるようになるのだ。その謎の女は、誰かに声が届くことを祈り続けていたのだという。最初は気味悪がっていた青年は、やがてその声に心を開き、向かい合うようになっていく……

 どちらの作品も、現代の都市伝説とでも言うべき不思議な設定の物語になっている。主人公が孤独を抱えているところも共通している。不思議な設定の部分以外の箇所はいたってリアルで、それだけに(文中にもそんな描写があったけれど)この広い世界の中では、これらの本の中で語られているような出来事が、表面には出てこなくても実際に数多く起こっているかもしれないと思えてしまう。
 どちらの作品もどこか感傷的で、ある種の悲哀に満ちている。それはいまにも雨が降り出しそうな水気をたっぷりと含んだ遅い午後の雨雲のように、ギリギリのところで何かに耐えているようにも見える。そして、哀しみのようなものが共鳴して、理由の説明つかない奇跡を引き起こしていくのだ。その先にあるものが避け難い喪失であるにしても、一瞬でも心から繋がった(あるいは愛し合った)という充足感が胸に溢れればそれであとはどうでもいいのだと信じているみたいだ。あるいは、それさえあればどんな覚悟でもできるとでもいうように。

 個人的には、『飛ぶ夢をしばらく見ない』の方が強く印象に残った。
 とても切ない話。


―――――――――

 お知らせ

『異人たちとの夏』もオススメです。読んだことのない方はぜひ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『デカローグ』

2005年06月25日 | Movie

 Amazon.co.jpを見ていたら、『デカローグ』のDVD5枚組セットが掲載されていた。
 発売予定日は7/23で、ただいま予約受付中。定価が19950円のところ、20%オフの15960円となっている。
 すぐに「1-Clickで予約注文をする」のボタンをクリックしてしまっていた。
 いつか出るだろうとは思っていて、ただなかなかリリースされなくてそのことを忘れてさえいたのだけれど、ようやく発売されることになったのはやっぱり嬉しいことだ。
 この作品は、『トリコロール』や『ふたりのベロニカ』などの監督クシシェトフ・キェシェロフスキが、「十戒」をモチーフに様々な人々の人生の姿を映し出したテレビ作品の連作だ。その完成度の高さからテレビに留まらず劇場公開もされ、カンヌやヴェネチアで賞も受賞している。
 特典は、キェシェロフスキのインタビュー映像。それもとても楽しみだ。
『キェシェロフスキの世界』(河出書房新奢)という本にはかなり示唆に富むキェシェロフスキの言葉が綴られているのだけれど、確固とした哲学に基づいて、言葉を慎重に選ぶキェシェロフスキは、インタビューについてもやはり同様に魅力的なのだろうと思う。
 もちろん、本質的には作品の素晴らしさこそが重要なことで、それについてはお墨付きだ。僕は映画館やビデオで『デカローグ』をすべて観ているけれど、ああいったリアルに寓話的に世界を切り取っているような作品群はいままであまり観たことがない。最後に見たのは結構前の話になるので、DVDが届いた後、もう一度見直すのがいまから楽しみだ。
 いま観たときにどんなふうに思うのかも、個人的に楽しみなことだ。


―――――――――

 お知らせ

 Amazonっていつの間にやら様々なジャンルの商品を販売していて驚いてしまいます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『電車男』

2005年06月24日 | Movie

 昨日は『電車男』を観て来た。職場の女の子2人と3人で。レイトショーで、シネマコンプレックスの大きなスクリーン。平日のレイトショーにしては混んでいて、100万人も動員しただけはあるなと思っていた。
 正直、どうなのだろうなとは思っていた。原作は読んでいなくて、あまり期待もしていなかった。ただ、ちょうど時間が合う映画の中では一番観たいなと思うタイトルだったので、ほとんど先入観を持たないで観始めた。あるいは、期待をしすぎないで観始めた。
 それがよかったのかもしれない。よい話だったと思う。よい映画というのとは違うかもしれないけれど、よい話。これが脚色はあるにしても基本的には実話なのだと思うとすごいよなと思う。たぶん、たくさんの人がそう思っているのだろうけど。

 一緒に観に行った女の子は「エルメスみたいなのはまずいないよ」と話していた。「(いい意味で)いい子すぎる」とも。正直、そう思う。もちろん、どこかにはいるのだろうけど、デフォルメされているにしても、確かにすごくいい子で、魅力的。リアルタイムで2チャンネルで追いかけていた人たちも、エピソードのたびにアップされるエルメスの言動がいい子だったからこそ、そして電車男が不器用で誠実な感じであったからこそ、より応援しようという気持ちになっていたのだろうし。

 電話をかけるのにものすごい勇気がいるとか、デートの場所を真剣にシュミレーションしたりだとか、告白するための勇気がないだとか、たぶん誰にも覚えのあるような過程を、一生懸命に辿っていく姿に感情移入をしてしまうところがポイントなのだと思う。こんなことはもちろん書き尽くされているのだろうけど、やっぱり最初の電車男の勇気がすべてのはじまりで、それから見知らぬネット上の人たちが興味半分で、途中からは多分に真剣に応援し見守っていたのだから、ネット時代にこそ生まれたエピソードなのだろうなと思う。現実は小説よりも奇なりと言うけれど、あらためて考えるとおもしろい話だよなと思う。

 主演の山田孝之はかなり演技が上手で、オタクできょどっている感じと、優しい感じがとてもよく出ていた(メガネを外してオタクの格好からイメージチェンジしたら美少年になっているというのはマンガみたいだけれど、どちらもうまくはまっていた)。エルメス役の中谷美紀はやっぱりとても綺麗で、品のよさと人柄のよさがよく出ていた。脚色はあるにしても純粋な2人の物語だというところが、どこか安心させるような、あるいは惹き付けられるような感じだった。
 また、この映画(やおそらくは原作)に触れた人たちは、もっといろいろなことに素直になりたいなと思えるようになるのかもしれない。

 思いがけず、面白かった。

 ☆☆☆★


―――――――――

 お知らせ

 テレビドラマ版に主演の2人も出ていたそうです(最近「原作→映画→ドラマ」というパターンが多いですね)。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遠くて美しい場所

2005年06月23日 | Days

 なんとなく、見てみたいなと思っている場所がいくつかある。
 絶対に、というわけではなく、もし機会があれば見てみたいなというくらいの重さで、訪れてみたい場所だ。
 たいていそれはメジャーな観光地であったり、旧跡であったりする。
 グランドキャニオンも、僕にとってはそういう場所のひとつで、たとえば自分の長期休暇を使って見に行きたいというような場所ではなかった。
 けれども今回、研修の最終日にのみ日中自由になる時間があって、その時間を利用して行ってくることにした。ラスベガスからセスナ機を利用してグランドキャニオン空港に降り立ち、そこからバスで2つのビューポイントをめぐるちょっとしたツアー。料金は250ドル。ちょっと高いような気もするけれど、なかなかない機会だしと参加することにした(ちなみに、夜は課題さえ終われば自由時間だったのだけれど、ずっと観てみたかった『O』を見ることができたのは嬉しかった)。

 一緒に研修に行っていた同期の仲のよいメンバー5人でツアーに参加。驚きの段取りの悪さで出発時間は遅れに遅れ、結局ラスベガス郊外にある小さな飛行場に着いてからセスナ機に乗り込むことができたのは、3時間ほど後のことだった。様々な場所で待たされることには大分慣れているつもりだったけれど、それでもさすがにそれは新記録。けれども遅れたことで夕日を見ることができそうな感じではあったので、それはまあよかったかもしれないと思っていた。

 セスナ機に乗り込む前の手続きの中で、各人の体重を測るという過程があった。これは、セスナ機が小さいので(定員30人くらい?)、左右のバランスをある程度均一に保つためにやっているのだということだった。つまり、大きな人ばかりが右側に集中すると、飛行中に傾いてしまうということなのかもしれない。なるほどなあと思いつつ、出発を待っていた。
 セスナに乗り込む直前には、なぜかパイロットと記念撮影をさせられてしまう。帰ってきたときにその写真は現像されていて、ちゃっかり15ドルくらいで販売されているのだ。旅の思い出を買いませんかというように。商魂たくましいなと思うけれど、買う人は買っていた(僕は買わなかったけれど。飾りようもないし)。ジェットコースターに乗っているときに撮られる写真みたいなものかもしれない。誰が買うのだろうといつも不思議なのだけれど。

 セスナでは窓側の席に座ることができ、窓からラスベガスの街や、その果ての砂漠、そして湖や広がる森といっためまぐるしく変化する光景を見ることができた。街が整然とした計画に基づいて作られているのだろうことや、湖の複雑な地形、そして世界の果てまでが森なんじゃないかと思えてしまうような緑の絨毯を見ていると、世界は広いということを改めて実感させられていた。そんな光景はそれまでほとんど見たことがないものだったからだ。

 そして、こういう場所でもし子供時代を過ごしていたらと酔い止めの薬の影響で眠たい頭で考えていた。セスナは殺人的に揺れるよという話があって薬をちゃんと飲んでいたのだけれど、その薬があまりにも強力に効いていた。せっかくの景色だからちゃんと見ていたいという希望すら、気がつくと打ち砕かれて窓に頭を預けて眠ってしまうくらいの破壊力。途中、周囲を見回すと、一緒に参加していた酔い止めを飲んだメンバーは全員眠っていた。
 それでも、途中何度か落ちながらも何とか頑張って窓の外に広がる景色を見ていた。
 思いがけず、印象的で忘れられない感じの光景だった。

 グランドキャニオン空港はネバダ州で2番目に大きい空港とのことなのだけれど、その言葉がとても信じられないような小ぢんまりとしたところだった。まるでログハウスのような小さなターミナルに、ちょっと木を切り倒してみましたというようなささやかな滑走路。のどかな、人里離れた山奥の町に寄り添う、あまりにも小ぢんまりとした空港だった。
 ガイドの人は、それでもこの空港に大統領機が降り立つこともあるのだと説明していた。

 空港からはバスになる。日本人とアメリカ人とフランス人のツアー客を乗せたバスは山間の町を走る。
 途中、ドライブインっぽい感じのレストランや、ちょっとした宿泊施設の横を通る。ほんの少しだけ家もあって、こんな場所でも町が(あるいは村が)あり、人の暮らしがあるのだと思うとなんとなく感動してしまう。たくしましいなと思う。
 ゲートで運転手が通行料を払っていた。グランドキャニオン国立公園に入るためには通行料が必要で、その料金が状態の保全などに活用されているらしい。自然の場所であっても維持は必要ということなのだろう。

 バスを降りて、ビューポイントのひとつに向かう。ちょっとした階段を抜けると、そこにはもう写真などで見ていたグランドキャニオンの絶景が広がっていた。
 日々の暮らしの中で、声を失ってしまうということはそんなにあることじゃないと思うけれど、そのときには文字通り声を失ってしまった。
 目の前に広がる光景は、圧倒的な存在感で押し迫ってきた。もしかしたら、楽しみにはしていたけれど、心のどこかでは写真でも見たことがあるしと思っているところがあったのかもしれない。既視感のあるものを追認するというくらいの気持ちでいたのかもしれない。
 けれども、現実の光景はそういった予測をはるかに超えていて圧倒的だった。
 だから、僕らは一瞬声を失った後に、「すげー」というようにようやく声を絞り出していた。
 想像以上という言葉が何人からもあがる。
 確かにそれは想像以上だった。何万年もかけて作られた自然の姿は、大きな畏怖の感情を揺り動かすには充分すぎるほどだったのだ。

 集合時間だけ決められていてあとは自由に見ていいことになっていた。
 僕らは展望台に入り、記念撮影をし、ガイドの話を聞いたり、貴重種となっているアメリカンイーグルを見たり、はるか下方に見える細く蛇行する道を見ていたりした。
 その間、何枚も写真を撮っていた。自分の目でしっかりと見ようという気持ちと、この景色の上澄みの部分だけでも残しておきたいという気持ちの両方が慌しく訪れていたのだ。だからなんだかいっぱいいっぱいだった。もう慌しくて大変だった。
 幾重にも連なる断層。視界の先にある渓谷までは、実際の距離で20キロ以上あるのだという説明があった。
 下のほうへ降りていくこともできるのだけれど、指をさしたあたりまでは1日でもいけないということ、乗り物としては馬とロバの間に生まれたラバが用いられているということ、旅人を運んだラバはその後で5日間もへたり込んで動くことができないということ、そういったことを聞きながら、その間も視線はグランドキャニオンに釘付けだった。

 美しい場所というのは厳しさを併せ持っているのだということを、普段は全然実感できていない。昔の人はちゃんと肌でわかっていたのかもしれないけれど、たとえば僕は日々の暮らしの中でそういうことにはかなり無頓着だ。
 そういったことを感じさせられた。たぶんそこにいた人の多くが、自然と比して人間がいかにもちっぽけなものだというようなことを、実感していたのではないかと思う。

 バスは2つ目のビューポイントへ向かう。
 途中、本物のラバ牧場を通り過ぎたり、小さな列車の駅を通り過ぎたりする。こんなところにまで線路が通っているなんてとちょっと感動する。小さな駅、やっぱりささやかなホーム。日本とは違う時間軸で動いているように見える場所。

 2つ目のビューポイントはいかにもグランドキャニオンという景色から、ほんの少しななめにずれたような、ちょっとした穴場的な場所だった。観光客の姿もずっと少なくなり(それでもまあそれなりにはいたけれど)、僕らもさっきよりは落ち着いて、崖の途中に座り込んでゆっくりと景色を眺めたりする。
 その間に遠くの空が少しだけオレンジ色に染まっていき、夕方になりつつあった。雲が結構あったのできれいな夕景というわけにはいかなかったけれど、それでも魅力的な時間だった。ガイドが眼下にある川と、その川にかかっている吊り橋の説明をしてくれる。インディアンたちが架けた吊り橋が、画用紙に間違ってつけてしまった線のような頼りなさで、眼下に小さく見えている。はるか昔に、どうやってあんな場所に橋を作ることができたのだろうと思う。
 風は涼しく、僕らは写真を撮る回数も減って、「いいね」と言い合いながら景色を見ていた。誰かが日本だったら絶対に柵があるよなと言った。さっきの場所もそうだったのだけれど、グランドキャニオンには柵がなかった。つまり、ちょっと勇気のある人なら崖の淵までいくことができたし、少し下の方まで降りてみることもできた。実際、アメリカ人男性が自分の勇気を誇示するかのように、かなり下の方にある出っ張りのところまで降りていた。そしてそこでガッツポーズをしていた。見ていて怖くなってしまうような場所で。
 そしてこういうところも国民性の違いなのだろうなと思った。落ちたとしても、それは自己責任の範疇ということ。

 やがて集合時間が訪れ、名残惜しい気持ちで振り替えつつバスに向かう。バスは再び空港を目指し、セスナ機が飛び立つのを待つ。
 ちょうど空港で待っているときに日が沈もうとしていた。外に出て何枚か写真を撮った。
 滑走路の先に広がる森がゆっくりとオレンジ色に溶けていく。
 プロペラの回転する音が聴こえている。

 帰りは結構アバウトで、なんとなくセスナ機に乗らされ、座席も適当に座りなさいというような感じだった。行きに体重を量ったのはいったいなんだったのだと思うような感じ。僕はまた窓際に座り、すっかり闇になった景色を見ていた。
 そうしたら急に眠たくって、次に目を覚ましたのはラスベガスに到着する直前だった。

 いいものを見ることができたと思う。
 忘れがたい景色だったと思う。
 参加して、よかったと思う。


―――――――――

 お知らせ

 最近はAmerieの「1 Thing」を繰り返し聴いています。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Days after a long time

2005年06月20日 | Days

 6月初旬の水曜日、横浜にある日産スタジアムに「ユベントス対横浜マリノス」の親善試合を観に行ってきた。
 スクデッドを獲得したチームを生で見ることができるという嬉しさに加え、バロンドール受賞者のネドベドのプレイをこの目で見ることができるなんてという二重の喜びが加わった興味深い試合だった。
 しかも、親善試合の時期がワールドカップ予選の時期と重なっており主力組は親善試合どころじゃないはずなのに、イタリア代表に選出されなかったデル・ピエロが参加したり、ちょうど予選試合がなかったフランス代表のトレゼゲまで帯同していたりと、嬉しい誤算があったりもした。好きな選手の一人のブラシが見られなかったのは残念だったけれど、ティラムもカポもいたしそれはまあ贅沢すぎるというものなのだろう。

 試合はデル・ピエロのゴールで1対0とユベントスが勝利し、いかにもスポンサーが喜びそうな幕切れだった。展開的にはもう3点くらい入っていてもおかしくはなかったのだけれど、運もなくボールは枠を外れていった。
 いままで、それほどたくさんのサッカーの試合を生で観ているわけではないけれど(10試合にいくかいかないかくらい)、それでもユベントスの動きは明らかにレベルが違った。特に前半の動きはすばらしく、親善試合にも関わらず全力でいくという言葉には嘘はなかったのだというレベルのパフォーマンスだった。4人で観戦していたのだけれど、惜しいプレイのたびに口々に叫んでいて、かなり燃えたというのが正直なところ。熱いチーム。素晴らしい選手たち。きっとなんでもそうだと思うのだけれど、やっぱり高いレベルのプロの姿には、感情を揺り動かす何かがあるのだと思う。

 僕らはアウェイ側のSS席にいたのだけれど、周囲の観客たちのネドベドに対する期待の高さには聞き耳を立てながらも心の中で頷いてしまった。「ネドベドのプレイが生で見れるなんてー」と感極まった口調で話しているユニフォーム姿の男や、「誰を見に来たと思ってんの、きゃーっネドベド!」と叫ぶ女の子、ジュニア用のネドベドのユニフォームを着ている小学生、とにかくもう周囲の観客たちのネドベドに対する期待の高さはすごかった。試合前の選手紹介のときもサブのよく知らない選手のときはお約束程度の歓声なのに、ネドベドの時にはもうほとんど全員がフルパワーといった感じの拍手を炸裂させた興奮状態になっていたし。
 ゲーム中も、ネドベドがボールを持つたびに歓声が挙がり、素晴らしいプレイを見せてくれたときなんて発狂しそうな感じだった。でも本当にグレートプレーヤーというのはいるものなのだと思わせる一瞬の動きがあって、いちいち胸がしめつけられたりもした。

 後半はちょっとラフプレイ気味な試合になってしまい荒れた感じだったのだけれど、それでももっと観ていたいと思わせられるチーム、試合だった。

 試合後、遠方まで帰らなくてはならない僕らは、ヒーローインタビューが終わってから、慌てて小机駅まで向かう。電車を3回も乗り換えて、0時過ぎにようやく最寄り駅まで着くことになっていたからだ。駆けながら携帯サイトで最適のルートを確認し、東急線に乗ったり埼京線に乗ったり。1時頃部屋に帰ってきてから、深夜放映されることになっているその夜の試合をもう一度見て審判の判断の詳細を確認したりもして。

 面白い試合だった。そして、世界的にも最高峰のプレーヤーの一人のプレイを生で見ることができて幸せだったと思う。


―――――――――

 しばらく更新の間隔があいてしまっていた。
 その間も、僕は変わりなく元気で、それなりに忙しく、それなりに慌しい日々を過ごしていた。
 仕事をして(忙しかった)、本を読んで(いまさらながらで読んだ佐藤正午の『Y』はよかった。ウェルチの『わが経営』も普通に面白かった)、映画を見て(『バタフライ・エフェクト』は予想外の掘り出し物で、豊島園まで出掛けて観て来た『ウィンブルドン』は予想通りの佳作だった)、フットサルをして(僕以外はみな20代)、上にも書いたようにユベントスの試合を生で観て、何度か飲み会に参加し、焼き肉に行き(一緒に行った大学生の話を聞きながら、若いなあとしみじみ思っていた)、出張に出かけ(2泊3日国内)、それから最後には会社の研修でアメリカに10日間くらい行っていた。そして、合間を見ては自分でもいろいろと文章を書いていた。
 いろいろと文章を書いていたので、Daysの方は書いていなかったということなのかなと思う。
 そして忙しさの中で、文章を書くことは続けているともっといろいろと書きたくなってしまう類の事柄だったのだということを久しぶりに思い出していた。
 毎日何がしかの文章を書くこと。あるいは自分の書いた文章を読み直して、いろいろと考えること。そういった自己完結的なサイクルを、まるで永久機関のように黙々と続けていた。その流れが個人的には愉しく、いい意味で仕事の時間との切り替えができるなと思っていた。

 そして文章を書く対象は、そのときどきの気分のようなもので、なんでもいいのだと思っている。
 ということで、今日は久しぶりのDays更新。
 こんなに長くDaysがあいたことはなかったので、病気などと思っている方がいたとしたら、ご心配おかけしました。
 日々慌しく、愉しくやっています。


―――――――――

 お知らせ

 入梅をしただけあって、蒸し暑いですね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お知らせ

2005年06月20日 | Days

 昨日は1日働いていたのですが、後半急激な睡魔(時差ボケ)に襲われていたにも関わらずメンバーに食事に誘われご飯を食べてきたため、部屋に帰ってきたら机にとっぷして眠ってしまいました(深夜の地震で一度目を覚まし、ベッドに移動)。
 日本対ギリシャ戦も見逃してしまい、劇的なゴールのニュースを今朝見てはうなだれていたりします。

 ということで、更新は今日の夜になります(言い訳がましいですね)。
 車を運転しているときにも、やばいくらいの眠気だったりして、オアシスを大音量で聴いてハンドルを握っていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする