今日は仕事を終え、22時30分に帰ってくる。それから準備運動(腹筋とか腕立て伏せ)をしてから5kmジョギングをする。
久しぶりにDaysを書こうと思っていたので、今日は5kmコース。
この2週間くらいは雨が多かったこともあって、仕事帰りにメンバーとご飯を食べに行くことが多かった。新入社員に大分慣れたかどうか訊いたり、地方に異動する部下が転勤前に好きな人に告白をしていくのだと決意している話を聞いたり、部下の女の子の彼氏が就職でようやく近くに戻ってきて遠距離が終了したという話、それからディズニーランド好きの人たちのなぜ好きなのかという話などを聞いた。他愛もなく、楽しくて、たぶんどこでも交わされているような話。
よく映画を見ていると、ウィットに富んだ会話が出てくる。思わずすごいと思ってしまうような巧みなトーク。肩の力が抜けてくだけているのだけれど、軽妙に真実を言い当てているかのような数々の言葉。でも実際にはなかなか(日本だからということも多少はあるかもしれないけれど)そういう会話にはお目にかかれない。それこそ小説なんかの会話文に直したら、読み進めるのが苦痛になってくるようなどうでもいいようなことの繰り返しだ。
けれども、それがたぶん会話と言うものなのだろうし、現実ということなのだと思う。昔ある映画監督が「映画は特急電車のようなものだ……」というようなことを語っていたけれど、それも時間の限られた映画では、実際の会話の中から絵にならない、ストーリーに合わない部分をすべてそぎ落とし、魅力的なところだけ抽出することが需要だという意味で言っていたのだと思う。他愛のない会話(鈍行の駅)には停車せず、ウィットに富んだ会話(特急の駅)にだけ停車するのが映画なのだ。たぶん。
でも、鈍行電車も、特急が停まる同じ駅には停まる。だから、現実でもときどきウィットに富んだ、あるいは「なるほど!」といろいろな謎が溶けるかのような言葉に出会うことがある。
それだから日常も面白いよなと思うのだ。
今日「なるほど!」と思ったのは、なんとなく運勢が悪いと思ったら、運動をしたほうがいいよという話で、なぜなら運動という言葉自体が運を動かすという意味もあるからだよという話。
言葉にすると随分と陳腐でありきたりだけれど、無難なポジティブシンキングの言葉のようだけれど、正直な話いままでそんなふうに考えたことはなかった。
でも確かに運動という言葉は運を動かすというふうに開くことができ、一応それなりのペースでジョギングをしている身から言うと、精神衛生上も随分とよいことだと思っている。実際に運がよくなったかどうかなんてわからないし眉唾物だけれど、それでも心が気持ちよくいられるということだけで運が言うことはできると思う。
この言葉があるから運動を続けようと意識したわけじゃない。けれど、これからジョギングが飽きたとか嫌になったなと思ったときには、たぶんこの言葉を思い出すのだろうなと思う。
身体を動かして、汗をかいて、お風呂に入って、心と身体のバランスをとること。
自分のことながら単純だなあと思うけれど、単純で素直なことは美徳なのだ、たぶん。
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お知らせ
部下の告白は、はたしてどのような結果になるのでしょうか?(興味津々)