カレー屋を営むネパール人たちのルーツ:あるいは情報の過視化と人材の流動性について

2024-08-26 12:21:40 | 感想など

 

 

 

旅をして風光明媚な景色(最近で言えばメタセコイヤ並木)を見ていると、「こんな素敵な場所に住んでみたい」という思いが一瞬湧いてこないでもない。しかしすぐさま、「それは今の自分に足りない要素をここに見出して魅力を感じているだけであって、住んだらその瞬間にそのデメリットに直面し、今度は都会に住むメリットのことを思い、それを強く求めるようになるのだろう」と考え直すのである(まあこの辺は自分も地方出身であり、その実態をある程度知っている面も大きいだろうが)。要は「無いものねだり」「隣の芝生は青く見える」ということで、時折言うように「ユートピアはどこにもない」のである(これをはき違えると、田舎での開業や田舎での老後で地獄を見ることになる)。

 

さて、今回は日本にカレー屋として働きに来ることの多いネパール人とそのルーツに関する特集だが、それがネパールのバグルンという場所であり、その現状(町の構造や寂れ方)などについて解説されている。

 

その中で興味深かったのは、ネパールの雄大な自然を元に、「こんな素晴らしい環境があるならなぜそこに住み続けないのか?」という室橋に対し、「だってここにいたらiPhoneを買えないじゃないか」と地元の人間が言っていたというのがリアルでおもしろかった(基本小規模な農業を営むくらいしか生業がないため、それを買えるほどのカネを手にすることがどれだけ難しいことか!という話だが、こういう志向とそれによる人材流出・地方空洞化は、日本についても当てはまることだ)。

 

これは先日触れたブータンの幸福度はなぜ下がったのか?という話につながり、背景には情報の「過」視化や相対的剝奪感があるが、ネパールの場合はそもそも旅行者が多くてネットが普及する以前も外からの情報がそれなりに入ってきていたという話は興味深かった。

 

その情報を見るにつけ、改めて日本の経済的衰退に絡めて時折言われる「江戸時代への回帰」みたいな話は改めてありえないと確信する。それが可能だったのは、各藩が自立的で関所が置かれ、人・物・情報の移動がシャットアウトされていたことで、流動性の低いムラ共同体が成立していたという点が大きい(だから飢饉対策でも差異が生じ、餓死が多い藩・少ない藩の違いが生まれたりもした)。

 

そして「嫌になったら出ていけばいい・追い出せばいい」とはならないからこそ、「困った時はお互い様」の感覚が心の習慣としても合理的適応という点でも涵養されるし、またその閉鎖性が幅広い共通前提を生み出すことにより、ハイコンテクストな言語文化(「阿吽の呼吸」・「空気を読む」)が合理的なものとして普及・存続することになったのだろう。

 

裏を返せば、こうした背景があってこそ江戸時代の(特に都市部ではない)社会は成立していたのであり、その文脈を無視して、ただ現代の社会が衰退すれば過去に回帰するがごとき言説は愚の骨頂である。あるいはもし、そのようにして流動性を低めて「鎖国」的な世界に日本を戻すことが幸福に繫がると考えているのであれば、それに必要なのは「人・物・情報の流動阻止」であり、それがどのようにして可能になるかは(というか現代の民主主義社会でそもそも実現可能なのかは)、以下のような北朝鮮の状況を話した動画を見てよく考えた方がよいだろう、と述べつつこの稿を終えたい。

 

 

 

 


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