そこまでして同じであろうとする、あるいは同じであることを要求する精神性の由来を明らかにする必要がある。でなければ、改良することも解体することも難しいだろう。
今のままでは戦略的でも選択的でもなく、単に強迫的である。それはまさに「宗教」と呼ぶにふさわしい。しかも「宗教」とは思われていないだけに余計タチが悪い。
そしてそのような社会には、他者を他者として認め理解しようとする感性は芽吹かない。仮にそのような反応が見られたとしても、それはズブズブの寛容さであるか、もしくは相手を「かわいそう」だと思うことを理解能力だと勘違いしただけの埋没にすぎない。
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