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君望:孝之の苦悩を理解するための視点

2006-03-21 22:40:48 | 君が望む永遠
どうしても状況の極限ぷりが理解できない人、鳴海孝之の行動に強い反感を持っている人に提示する視点。単純にどっちの女を選ぶかではなく、各個人に抱えているものがあり、またそれぞれに対して孝之が持っている感情がある。それは単に愛情だけでなく、孤独、罪悪感といった複雑なものである。そのことを念頭に置いて話を進めたい。ちなみに孝之の中で遙が「一度死んでいる」こと、その恐怖と不安定な病状から遙に対して率直な対応ができにくくなっていることも重要である。


(命題)
船が投げ出され、あなたが愛する二人の人(例えば父親と母親、妻と娘)
が溺れ死にそうになっている。あなたはどちらを助けるか?


どちらを助けようか迷ったとして、彼を攻めることはできるのか?それぞれを助けたい様々な理由が思い出されたり、いったん助けようとして思い直したりすることもあるだろう。しかし、いくら彼が考え抜いた末に片方を助けたところで、一人を「見殺し」にしてしまったことには変わりはない。彼はその罪悪感に苛まれ続けるだろう。そして将来的に予想される罪悪感が、彼を迷わせるのである(注)。

さて、上の問題だと二者択一しかありえなそうに思えるが、問題を抜きにして二人の窮地を目にした場合、二人とも助けようとすることを当然考えるだろう(前者は孝之にルートが見えている、後者はルートが見えずに模索している、と言い換えてもいい)。そして、三人とも溺れ死ぬことになったりするわけだ(これが例えば水月バッドエンドに当たるわけだ)。問題を出されているような(つまり選べる答えが規定されている)場合なら、これはルールを無視した報いとして非難されるべきものだろう。しかしそうではない場合、溺れ死んだからといって彼の愚かさを非難するのは簡単だが、ある意味では結果論に過ぎない。というのも、それぞれへの愛情は両方助けたいという気持ちを否応なく高めるし、また極限状態での焦燥が事態の把握を困難にするからである。

「どっちの人間を死地から救うか」という例は、何も状況の深刻さを理解するための視点として提示したのではない。こういう見方をすればこそ、香月医師の言葉がより生きてくるのだ。そこでは、「ここで誤った道を示したら、一生を誤った方向に行ってしまう」「でも真実を打ち明ければ、何年かかかるかもしれないけど彼女は立ち直れる」「人生はまだこれから」「時が癒してくれる」といった人生訓のようなものが語られる。言葉の内容そのものは、どこかで聞いたことのあるようなものだ。しかし、直面している問題が「どっちの人間を死地から救うか」というほど重大なものと認識し、そのために自縄自縛になっている人間にとって、それが実のところ「(辛くても)やり直しのきくこと=死ではない」と気づかされるのは非常に大きいのである。あの場面の香月の言葉の状況的必然性、それによる孝之たちの衝撃をより正確に理解するためにも、上で提示した思考の枠組みは有効性があると思う。

ちなみにこの視点は、この枠組みと香月の言葉は天川蛍のシナリオとも深く関わっている。それについては別途述べたい。

(注)
ここで、入院してる遙はともかく水月はそこまで言えないんじゃないか、という反論があるかもしれない。実は、孝之も同じような考えで動いているのだ。だから、基本的に遙の方に揺れ動きやすくなっている。遙の方が危機的状況にあるという認識と三年前と同じように振舞わなければならないという縛りが、孝之の遙に対する気持ちを目覚めさせ、遙に強く縛り付ける要因と言えるだろう(もちろん罪悪感や義務感もある)。しかし、水月も上の基準で計られる資格があるのは前述のとおり(過去ログ「速瀬水月の苦悩」など)。それがはっきりと顕在化したのが遙ルート終盤の水月崩壊であった。

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