ビースターズ 第10話:それは残念な「去勢」か、はたまた全て計算づくか

2019-12-18 13:55:00 | ポプテピピック
久々に誤爆をかましたムッカーですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?

一体どうして人間は分身ができないのか、否四分身くらいできないのかと思う日々であります。

まあそれはともかく、ビースターズ10話を見ました(一週遅れ)。

正直な感想は、「うーん、ヌルいな」。

さすがに多少ネタバレしていいと思う(じゃないとちゃんと書けない)ので漫画版の話をすると、このシシ組の下りはその前のルイとビルのリーダー室でのやり取りが伏線として効いていると自分は考えている。というのも、それまで食殺の話や裏市の話こそ出てくるが、武器にあたるものは登場していなかったからだ。

しかし、ビルに脅迫されたまさにそのシーンで、ルイは銃を静かに取り出し、こともなげにビルを脅迫し返す。演劇的なやり取りの多いビースターズの中でも特に劇的かつ白眉の場面だが、これによってリアリティのレイアー(言い換えれば読者の印象)は完全に変わったと私は考えている。

これに類するのは「魔法少女まどか☆マギガ」のいわゆる「マミる」シーンだが、要はこれによって受け手は、「この作品はこの後どんな展開になるのか予想もつかない」と足元を常にグラつかされる(それっぽく言えばイリンクス=眩暈の)中で作品に触れることになる。

そこでジュノとルイの舞台でのやり取りがきて、停電事件があり、ルイの過去が語られる。こうしてリアリティをグラつかされる展開は、単なる演出ではなく、まさにビースターズの世界(ひいては我々の現実)を表層的にしか理解していなかったことを強く私たちに訴えかけてくるわけだ。

このような中で誘拐事件が起こり、またそれがもみ消されようとすることに違和感は全くないし、またルイがその身(日常)を銃で守っていたことから、彼ですら屈さざるをえないシシ組の危険性というものは容易に理解できるし、またそこに向かったレゴシに対する「あいつはもう帰ってこないかもしれない」というルイのセリフに、クリシェ以上の説得力を感じずにはいられないわけである。

ゆえにシシ組本部で銃が持ち出された時、受け手は単なるありがちなガジェットではなく、それが文字通り死を意味する器械だと認識することになる。このような展開ゆえに、シシ組本部での戦いはディズニー風に言えば「お姫様の救出劇」ではなく、まさに生死をかけた戦いの緊張感を持ちうるのであった。

この点、アニメ版の展開は確かに原作と戦いの場所が変わったりなど、リアリティの意識とスピード感の重視には意が用いられているのは理解するが、先に述べた眩暈がない以上、銃の発射が一度もないことと相まって、いかにもそれっぽいものを描いているだけに過ぎないと私には感じられる(それは例えて言うなら、時代劇の全く血が出ないチャンバラシーン&悪代官の成敗の流れのようなものだ)。なるほど凡百の作品ならそれでもよかろうが、これまで散々身体性のリアリティやそれとの葛藤を描こうとしてきた本作において、いかにも「手ぬるい」印象を拭えない、ということである。

問題はそれだけではない。先に述べたルイの銃器に関わる描写は、彼のこれからの行動にそれなりのリアリティを持たせる(=ただの優等生でないことはあらかじめわかっていた)役割も果たしていた。その意味では、ここからの展開の必然性をどう読者に納得させていくのか、そのあたりは今後注視していくべきところだろう。

ルイとビルのやり取りを抜いたのは、「ビルの立ち位置を原作とは変える」、「そもそも学校に銃器を持ち込むという部分のリアリティはどうか?」、「学校での銃乱射事件なども起こっているし、リスクを考慮してここの描写は抜くべきだ」なとなど製作側の意図は様々斟酌できるが、この描写を抜いた影響は決して小さくないと私は考える。

それも含め、今後の展開をどのように工夫するかに期待したい。

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