ひぐらし鬼隠し編再考:昔の魅音はなぜ部活で勝てなかったのか

2007-11-07 01:56:28 | ひぐらし
<昔の罰ゲームの意味>
◎最初部活に勝てなかった魅音
レナは、最初のうちは魅音が全然部活に勝てず、「自分で言い出した罰ゲーム、ほとんど自分でやって」ことを圭一に話しているが、魅音が部活に勝てなかった理由としては、以下の4つの可能性が推定される。

①詩音が入れ替わっていたから
②単に昔は弱くて成長しただけ(これは圭一の推測でもある)
③精神的なもの=悟史たちへの罪悪感で力が出ない 
(目明し編スタッフロールの魅音に対するコメントも参照)
④自罰行為


まず①だが、詩音が魅音より上手だという位置づけを考えれば、可能性は極めて低い。では②、③、④のどれだろうか?ここで注目したいのは、「自分で言い出した罰ゲーム」という表現がわざわざ使われているところだ。この言い草だと魅音が部活の罰ゲームの内容を決めていたと考えられる。ならば極端な話、罰ゲームなど初めから設定しなければよいのだ(自分がそれによって罰せられるのが明白な法律を制定する王が一体どこにいるだろう?)。仮に最初はいけると思って罰ゲームをするにしても、さすがに途中で止めるのが普通だ。自分に利するところがまるでないからである。にもかかわらず、自分で罰ゲームを設定し、そして罰ゲームをやり続ける…この不自然なサイクルが生じる理由を考えてみると、実は罰ゲームは誰かにやらせるためのものではなく、自分でやるためのものではなかったか?自分でやるための罰ゲームと言うとまるでマゾヒスティックな願望のようだが、部活のメンバーに(当時ギリギリまで追いつめられつつあった)北条悟史と沙都子が含まれていたことを考えると、実はこれが魅音なりの自罰行為だったのではないかという結論に行き当たる。悟史や沙都子が追いつめられていたのは確かに鉄平と玉枝の所業ではあるが、そのような状況を作り出した要因の一つは明らかに園崎家の方針である。その村八分的状況は本文に書いてある通りなのでくだくだしくは述べないが、温厚な悟史が魅音に食って掛かるくらいに彼らを追いつめるものであった。悟史を好きな魅音はその状況を何とかしようと思うだろう。しかし魅音には、たとえ次期頭首とはいえ、北条家を助けることはできない。それが「園崎天皇」の方針だからである。そんな板ばさみの中で彼女が取った行動が、追いつめられた悟史や沙都子を巻き込んでの部活、そしてその中での自罰行為であったのではないだろうか(※)。要するに、勝てない部活であえて罰ゲームを設定し、かつそれを行い続けたのは、魅音なりの自罰行為(上記で言えば④)であったと考えられるのである。

そして罰ゲームの目的が自罰行為であるとすれば、部活の目的は勝つことではなく負けることである。以上のことから、魅音は最初部活に「勝てなかった」のではなく勝とうとしなかったのだと言えるだろう。


魅音が今でも板ばさみに苦しんでいることは皆編などによく描かれているが、一番心に響くのは、祟編で暴走する沙都子を見て唇を噛んで泣く魅音の姿だと私は思う。


<大石に連れて行かれる喫茶店>
PS2版もの鬼編も原作と同じく大石に興宮の店へ連れて行かれるのだが、それは少なくともエンジェルモートではない。このことは、
********************************************************
「同じ行くならエンジェルモートの方が上だろうけど…確か魅音の親戚が経営してるんだよな。いつ知り合いと会うかわからない場所に大石さんと連れ立っていくわけにもいかないだろ?
********************************************************
という発言(及び背景CG)より明らかである。なぜそれが問題なのか?実は原作の祟編のお疲れ様会においては、圭一が大石と行った場所はいかにもエンジェルモートであるかのように説明されている(「制服のかわいい店云々」という説明だが、原作でそれに該当するのはエンジェルモートしかない)。そうすると、PS2版ではあえてエンジェルモートを変更したと考えるのが自然だが、それはどのような事情によるのだろうか?一つは、圭一の体調などを考えると、エンジェルモートという店のチョイスがそもそもおかしい、という判断ではないかと思われる(もう少し落ち着いた雰囲気の店を選ぶだろう)。まあ大石自身はあの店が好きそうな気もするが、あれだけ剣呑な話をするのにはやはり相応しくない場所だし、そこを選ぶ大石は一体何を考えてるんだ!?という突っ込みが出てくるのは必須だ。ところで、かつてはその不自然さが何らかの狙いに基づいているのではないか、と考えたこともある。狙いとはつまり、

「圭一を園崎グループの店に連れて行って怪しげな話をすることで、園崎家が圭一にアクションを起こすのを期待した」


というものである。いかにもえげつないやり口のように思われるかもしれないが、綿編で大石が圭一とレナを利用したことからすればむしろ自然な解釈だと言えるだろう。

このような解釈を頭に置くと、上で引用した圭一のモノローグが大きな意味を持ってくる。見比べてもらえばわかる通り、彼の言葉は上記の解釈を真っ向から否定する内容なのだ。もし、エンジェルモートがああいう話をするのに相応しい落ち着いた場所ではない、という批判に対して場所を変えただけなら、圭一のいかにも説明的なモノローグは不要である(背景が違うので十分わかる)。しかしそれがあるということは、大石はあえて圭一をさらし者にしようとしたわけではないのだ、という作者のメッセージではないかと思うのだがどうだろうか。


※2
「PS2版では共通OPでエンジェルモートに行っているから、物語の整合性を考えて昼食の場所がエンジェルモートではなくなったのではないか?」と言う人がいるかもしれない。しかし鬼編に到る展開においては、(私の記憶が正しければ)エンジェルモートが園崎家の経営であるという記述は見られない。要するに、圭一がエンジェルモートの位置づけを知らなかったという展開にしても全く不自然ではないのだ。ゆえに、原作通りエンジェルモートで話をすること自体は十分に可能なのである。にもかからわず、圭一の多分に説明的なモノローグまでつけてエンジェルモートに行かない必然性を提示しているからこそ、エンジェルモートから場所を変えた意味をよく考える必要があるのではないかと思うのだ。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ひぐらし鬼隠し編再考~盥回... | トップ | ひぐらし鬼隠し編再考3~謎... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ひぐらし」カテゴリの最新記事