テレテテンテン、決まらない( 。∀ ゜)
いや~書きたい内容が多すぎて、逆にそれぞれをまとめる時間が取れないぞなもし。さてそれじゃどうするか・・・せや、記事がまとまらないなら、まとまらない状況を記事にすればいいじゃない!との悪魔的発想(ただの開き直りとも言う)を元に、今どんな感じの話を用意しているのか列挙してみた。
〇「弥助のこと(あるいは創作とポリコレ)」
知っている人はすでによくご存じだと思うが、自分としても現況は大体掴めたので、あとは画竜点睛という感じだが、最後に確認したい動画が60分超えであるため、ちょっとすぐにまとめるのは厳しそうな状況。
〇「室町後期における将軍の王権」
これは山田康弘による新書の紹介記事だが、ちょうど北条氏はなぜ鎌倉幕府の頂点に立たなかったのか?という話でレジティマシー(正統性)の話もしたので、それに絡めて書こうと思っている。なお、この問題を抱える時には単なる感想・妄想ではなく当時の人々の王権論であったり、近い時代や他国のアナロジーだ。一例としてイギリスを挙げるなら、ノルマン朝→プランタジネット朝→ヨーク朝→ランカスター朝→テューダー朝→ステュアート朝→ハノーファー朝(後のウィンザー朝)という流れの中で、血縁という連続性がどのようになっていたかを知ることは有益だろう。
あるいは、織田信長が「藤原信長」を名乗ったこと(実際に繫がりがあるかは別問題)、また羽柴秀吉が公家の養子となったことなども想起したい。
つまりこれほどまでに血統や家格が重視されている実態を知れば、重職を牛耳っているのだからそのままトップになればいいじゃないか、なんて短絡的な発想は出てこないはずなのである。
ただもしかすると、そういう力ある→トップになれるはずだしなればいいという発想の根源を考えてみてもおもしろいと最近思っている。例えば、日本で人気がある時代は戦国と幕末だが、そこでは家格の低い者が高い者になりかわる下剋上が見られたし、あるいは幕末なら下級武士たちがむしろ大きく政局を動かす役割を果たしたことを想起することができる。
こういった特性が、人気がある理由であるとともに、そのような「戦国脳」・「幕末脳」で他の時代についても判断しがちな理由なのかもしれない、という話。
〇「全会一致か、はたまた死か?:「和を以て尊しとなす」の欺瞞」
よく日本は「和」を重んじると言われるが、それは極めて両義的・多義的なものであり、またそのような機能したのではないかという記事。そのようなマインドでいるから双方の顔を立てるために両論併記的・折衷的な作戦にし、結果として失敗するのもそうだし、そもそも全会一致にしないと先に進まない・進めないため変化を遅々として作れない、といったことにも繋がっているのではないか。
〇「橋本陽介『日本語の謎を解く』」
この本は古典教育のあり方を考える上で非常に有用なものだと考えている。ただ、古典教育に関して「原典史料に実際どの程度の人間が触れているのか?」を取り上げる方が優先かと思っているので、おそらく木田元の話などを引用しながら昨季にそちらを完成→『日本語の~』を書くことになるだろう。
〇「一揆とその変質:あるいは教義の変化と恣意性について」
これは随分長い間塩漬けにしている記事なので、8月中には確実に仕上げたい。
〇「織田信長の評価とその変遷:儒学・尊王思想・経済ナショナリズム」
これは85%ぐらい出来上がっている記事なので、あとは内容をまとめるだけの状態。
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