ひぐらし憑落し編の意味:不完全な団結と団結の害悪

2008-04-27 14:19:30 | ひぐらし
さて、前回の目明し編の記事に引き続き、ひぐらしPS版オリジナルの憑落し編について書こうと思う。なお、完全にネタバレの内容となるので、どうしても自分でプレイしたい人は、読まないことをおすすめする。




憑落とし編においては、沙都子を取り戻すためにいきなり圭一・詩音で鉄平の家に押しかけて一悶着やらかしたり、レナの動機が弱かったり、最後は論理のカケラもない決め付け(特に魅音殺し)の数々の挙句に殺しあうといったことが行われる。その感想を一言で表すと、「グチャグチャ」であり、いくらなんでも話が粗すぎる。この辺の細かい話は別の機会に書く予定だが、そのあまりの酷さは憑落し編が一種の「捨石」であることを示している(君が望む永遠をプレイしたことがある人はこの記事も参照)。以下、憑落し編が目明し編、罪滅し編の間に挿入されていることに注目して、その役割について考えてみよう。


今までのひぐらしは、「仲間」の誰か一人が暴走するという構図は存在したが、圭一たちが集団で凶行に及ぶことはなかった。罪滅ぼし編の集団妄想に関するTIPSや祭囃し編序盤の住民達の怒り狂う姿、そして現場監督の殺害状況を思えば、これは奇妙なことである。それゆえ、憑落とし編では圭一たちが集団で暴走する姿を描いたのだろう。  


とはいえ、この集団妄想は、そのものの描写よりむしろ、罪滅ぼし編・皆殺し編へ繋がるものとして、いわば
「不完全な団結」と「団結の害悪」
を提示することが目的だと私は考えている。「不完全な団結」とは、魅音や梨花がそれに加わらなかったことを指しているが、目明し編の単独行動から罪滅ぼし編における仲間の団結ではいささか飛躍が過ぎる(と感じる人もいる)ということで、媒介するものとして「不完全な団結」を描いたのだと推測される。


もう一つの「団結の害悪」とは、団結したことによって事態がかえって悪い方向、もしくはより大きな悲劇へ向かったということを指している。ひぐらし自身は、殺人を避けるべきものとして明確に打ち出しているから、鉄平を殺すという団結の目的がそもそも間違っていることになる。間違った目的に向かって団結するとどうなるか…その答えは疑心暗鬼の末の凄惨な殺し合いであった。あるいはもっと図式的な話をすれば、憑落し編の追加によって(憑)「鉄平の殺害で団結」⇒(罪)「鉄平の死体処理で団結」⇒(皆)「鉄平を平和的方法で排除するための団結」という階梯が成立したのだが、特に憑落し編と皆殺し編を比較するなら、誤った目的には単独のときよりも大きな惨劇、一方正しい目的での団結には奇跡が伴うという構図が確立されたのであった。つまりは、憑落し編が追加されたによって、団結するとしても目的次第ではより悲惨な事態を生むのであり、団結すること自体が重要ではない、という主張がより明確になったと言える。


以上のことから、憑落とし編単体は非常に粗雑な印象を受けるが、他の話との関係を考えれば、
1.「不完全な団結」という点で目明し編と罪滅ぼし編を繋ぐ
2.「団結の害悪」すなわち団結のネガ部分を示すことによって罪滅ぼし編・皆殺し編のそれを浮き立たせる
という非常に重要な役割を果たしたと結論できるだろう。


最後に。
穿った見方をすれば、憑落し編のカタストロフには、団結や奇跡に関して否定的な人の批判を封じる、ないし和らげる意図があるのではないか。あれだけの惨劇(殺し合い)を見せておけば、罪滅ぼし編や皆殺し編に対して「そんなうまくいくわけないだろ」と思う人も批判しづらくなるし、事によっては「ああなるくらいなら団結・奇跡大歓迎だ」という方向に持っていけるかもしれない、ということだ。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2020-11-30 02:09:38
昔の記事に対してコメント失礼します。
数年前ひぐらしに嵌っていた当時、私は憑落し編(及び澪尽し編、盥回し編等)の違和感は「原作者ではないライターが描いたCS追加ストーリーであるため」としか受け取らなかったので、このような読み取り方もあったのだな…と興味深く読ませていただきました。
数年越しの気付きでした…(それはそうとして、原作者であればああいう描き方はしないだろうなあともやはり思いますが)。ありがとうございます。
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描写のクオリティと、作中における役割について (ムッカー)
2020-12-01 00:41:41
コメントありがとうございます。こんな拙い昔の記事を褒めていただき恐縮です。

コメント主さんが持たれた違和感がどのようなものか詳細には書かれていませんが、仮にそれが「話が練られていない」という意味であるならば、その原因の一端が「原作者ではないライターが描いたCS追加ストーリーであるため」という予測は妥当だと思います。

例えば澪尽し編で鷹野が鉄平に対して吐き捨ているように言う「嫌なことを思い出させやがって!」というセリフが典型のように、原作者とはテイストが違うと言うか、まあ率直に言って「安っぽい」セリフや表現が結構見られるのは事実ですし。

この記事では、それはそれで前提としつつ、憑落し編が全体の中でどのような機能を果たしているかを考えたものになります。

その機能とは、繰り返しになりますが、「様々な所で展開の粗が目立つけど、この話は目明し編と罪滅し編をつなげて最後の大団円を納得させるための布石・捨て石としての話」であり、それを踏まえると様々質に問題のある描写もまあこんなもんだろうな・・・と多少は納得できる、ということですね。

ちなみに何で自分が本文で触れていないのかもう覚えていないのですが、この憑落し編は山狗が皆殺し編で登場する時のガッカリ感というブーイング対策という側面が大きいとも考えています。

公式掲示板をタイムリーに見ていたのでよくわかりますが、山狗のように集団でかつ狙撃まで行える組織が存在していたことがわかると、「もう何でもありじゃねーか」という反発が一定程度起こるのは必然でした。しかも、罪滅し編ではレナが症候群を悪化させて宇宙人がどうこう言い始めたのを圭一が諫める場面があるのですが、推測できるに足る根拠を十分に提示もせずに特殊部隊みたいなのが暗躍してるのを推理するのが正解ってのも、レナの誇大妄想と大同小異だなあと私自身思ったものです(これは羽入の問題点とあわせて記事にしていますが。まあもっとも、私は憑落し編のシナリオが描かれたタイミングを知らないので、もしかすると予め皆殺し編の反発を見越してこういうシナリオを組み込んだのかもしれません)。

そういう反応が出ている中で、唯一あからさまなくらいに特殊部隊のような組織が登場して犯行に及ぶのが憑落し編であるので(暇潰し編でも登場はしますが、あれを園崎家グループでないと断定するには根拠として弱い)、まあそれを踏まえて罪滅し編を見れば、レナは巨大な組織の存在を宇宙人というミスリードした方向に読み取ってしまう話で、皆殺し編ではそれが人間によるものであったことがわかる話、という流れになるのでしょう。

まあ作者は綿流し編に展開上必要不可欠とは言い難い731部隊の話を出しているくらいですから、ある程度そういうテーマ性を意識している方なのではないかと思います。

その観点で言うと、南京大虐殺やホロコースト、カチンの森の虐殺といったことが歴史的には起こっており、かつそれを否定する歴史修正主義のうねりが見られるようになっていた2000年代前半、山狗の暗躍や国家的虐殺行為とその隠蔽といったテーマは、むしろアクチュアルなものとして意識されて然るべきだ、という意識がどこかにあったのかもしれませんね(まあその結果大いに紛糾してしまい、「うみねこ」では「現実と関係あるわけがない」というテロップを入れるくらいに「羹に懲りて鱠を吹く」状態になったのかもしれませんが)。

少し話が脱線してしまいましたが、以上が「祭囃し編といういささか無理のありすぎる大団円を受け手に納得させるためのクッションとして、憑落し編を新たに組み込むことにしたのではないか」という話の補足でした。
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