PS2版目明し編覚書:連帯責任、環境要因など

2008-05-02 12:28:53 | ひぐらし
では、前回の予告通り目明し編の覚書をいきましょう。


○「詩音さんの指だけじゃ済まないかもしれないってとこだけ、よろしくお願いしますよ」(葛西)
このセリフは後の爪剥ぎ(連帯責任)へと繋がっていくのだが、仲間とか団結の重要性を訴える罪滅し以降と照らし合わせると、独力のように見えてもそれが実は色々な人の助けの上に成り立っており、それゆえに「完全な自己責任」なるものも存在しえない、という主張だとも考えられる(良く言えば「繋がり」、悪く言えば「しがらみ」と呼ばれるものだ)。少し強い言い方をすれば、独力でやることの独善性・視野の狭さを連帯責任という形で表現しているのである。この独力の限界性が、以降の団結のロジックへと繋がっていくことは言うまでもない。



○興宮の図書館には人が来ない
この説明はこれ以後も何度か出てくる。原作でよほど厳しく突っ込まれたのだろうか?


○詩音の北条家に対する態度
詩音が叔父から二年目の崇りの話を聞いたとき、被害者について「北条だっけ?」と言っている。この軽さはある意味恐ろしい。


○悟史とレナ
複雑な家庭ゆえに「大人」になることを要求された(子供らしさを抑圧した)という点でレナと類似する。まあ自明な部分ではあるが、一応「目明し⇒罪滅し」の伏線ということで。


○「沙都子は可哀相なのです」(梨花)
詩音が沙都子に暴力を振るうシーンのセリフだが、普通なら「沙都子は」ではなく「沙都子が」という表現を使うはず。現段階では自明だが、この「可哀相」は「病気」に変換するとしっくりくる。


○悟史の怒りの演技微妙
声質的に仕方のない部分はあるにしても、演技が露骨過ぎて悪い意味で目立っている。


○「今年は圭ちゃんが消えてしまえ」
祭具殿侵入に圭一を誘う際のモノローグだが、記憶が正しければこれは原作にはない。要するに、祭具殿侵入に圭一を誘うことによって、魅音の想い人(とは古風な表現だが)たる彼が崇りに合う必然性を付与する、という新たな意図が追加されている。


○拷問の描写
まあ予想通りというか削除されたり暗示するような描き方になっている。


○詩音の演説と彼女の胸中
詩音は、雛身沢の過去が今回の事件へと繋がったという話をしつつ、心の中でそれが欺瞞であることを強く意識している。もちろんこれは単純にウソだから(動機と関係ない)というのもあるだろうが、より一般的なレベルでは、犯罪は環境要因によってだいたい説明したり理解したりすることが可能であるという姿勢へのアンチテーゼという見方もできる。雛身沢症候群と合わせて考えるとおもしろい。


○魅音にぬいぐるみを渡しても綿流し編になる
本編中でも言われている通り、ぬいぐるみはちょっとしたきっかけに過ぎないので、これはまあ当然である。なお、ぬいぐるみを渡さなかった場合は祭具殿侵入がきっかけだと説明される。


○バッドエンドの追加
原作どおりのエンディングを見た後の話だが、実は選択次第で地下の圭一が助けられる場合と助けられない場合とに分岐する。これによって、詩音の中で色々なものがせめぎ合っており、どちらに転ぶか判らない状況だったことが明示されたと言える。それを念頭に置くと、新しく追加された「救済の必然性」も詩音のせめぎ合いを強調する描写の一環だと位置づけることができそうである。



それなりに意味のありそうな覚書は以上。次回は憑落し編。

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