自殺の可能性について:人は経験に学ばない

2007-08-17 02:27:18 | 抽象的話題
以前「負の感情との距離:抑圧、埋没、対象化」で自殺の可能性について述べたが、その時は普通の論述形式だったので、今回は対話形式で書いてみようと思う。なお、実際の会話を記録したもので無いことを断っておく。

(登場人物) ギーガ=G ボゲードン=B

G
最近中年の自殺が多いって言われるよね。こういうのを見ていると自分もいつかは自殺する可能性があるとは思わないかい?

B
まさか。俺は自殺なんかしないよ。

G
それは今の自分の願望を言っているだけじゃないのかい?

B
俺はポジティブな性格なの。辛い状況に追い込まれても死ぬことだけはしないよ。

G
なるほど、そしてその傾向がこれからも続くってわけだね?

B
そうそう。

G
ところでお前の小学校の頃の夢は何だった?

B
はぁ?…サッカー選手になることだったけど…

G
でも今はサッカー選手じゃないよな。

B
そりゃあ小学生の夢だかんね。世間を知ったら現実路線を行くなんて誰でもやることでしょ。

G
なるほど、ところで小学校の時に嫌いだった食べ物はあるかい?

B
またよくわからん質問を…寿司が嫌いだったよ。一度戻したことがあってね。嫌な経験をすると嫌いになるもんだ。

G
今は?

B
大分時間が経ったからか嫌いじゃなくなったね。こないだ寿司を食べたくなって自分から店に行ったよ。

G
その変化はなぜだと思う?

B
んー、多分負の経験から時間が経ったし、年を取ってあっさりしたものが食べたくなったんじゃん?

G
てことは、負の経験によって生まれた強い生理的嫌悪感でさえも、年月と身体の変化で変わりうるってことだよね。

B
そうだな。

G
ところで、中年になった時いかなる変化も訪れないものだろうか?

B
まあ結婚したり子供を持ったり、あるいは会社での立場が変わったりするだろうな。

G
社会的にはそうだな。そして身体的にはあちこちガタがきたり、無理がきかなくなる。

B
確かに。

G
とすれば、10年、20年と月日がたってお前が中年になった時、昔から今にかけて生じたような変化が訪れない、なんてどうして言えるんだい?身体に刻み込まれた生理的嫌悪感でさえ時間の経過と状況次第で変わったというのに。

B
……

G
中年の自殺の多さから何も考えないばかりか、自分が変化してきたという経験から何も学んでいないとはね。まあ自分が将来的に自殺したり犯罪を犯す可能性があると思っている人間には出会ったことがないから、もしかすると人間というものが根本的なところで経験に学べない生き物かもしれないけど。

B
そうだよ。だいいちそんな考え方してたら不安でしょうがないだろ!

G
そう、不安になるのだ。暗闇での振る舞いからわかるように人は見えないことを恐れるからね。でもお前は、自分がその不安ゆえに今の状態がいつまでも続くと思い込み、これまで変化してきたという事実から眼を背けているのだと自覚しているのかな?もしそのことを自覚した時には、「神の罰」がいかに合理的なもので、それゆえに人間が生み出したものだと知ることになるだろうよ。わからないものはわからないのだ。今と同じ状態が続くはずだとか、安易に答えを既存の枠組みに求めたりするのは実は同じ類の誤謬に思えるけどね。
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