メンヘラと墓まで行く覚悟はあるのかい?

2023-11-04 16:12:35 | 生活

 

昨日はメンヘラのホス狂いと夜職の関係の深さについて触れたが、件の動画の中でメンヘラの認知の歪みについて詳しく説明されていたので、そこに捕捉をしておきたい(というかその部分こそ、メンヘラのヤバさを甘く見ている人必見の内容だと思うので、優秀な切り抜き師の仕事求む・・・)。

 

ここで書かれているのは、生育環境などによる自己肯定感の低さと、そこから来る承認欲求の枯渇、そしてそれゆえ常に高いレベルで言語的・身体的に承認をされていないと(かつそれを継続的に確認しないと)、不安や思い込みで暴走し、傷害などの犯罪行為にまで到ってしまう、という話である(しばしば本人にもコントロール不可能であったり、それが間違っていると認識していても嗜癖化してつい繰り返してしまうところが何とも難しい)。

 

ならば同棲や結婚などでそのサイクルが深刻化しないよう環境を整えればいいではないかと思うかもしれないが、その幸せな状態に自己肯定感の低さとのギャップを感じられて不安や違和感が募り、最終的にそれを自ら壊してしまう自爆機能まで付いているというのだから、とてつもなく厄介だ。そしてそれは、根治することは基本的になく、症状が和らぐ緩解があるだけだという(こう言ったのは、冒頭動画で対談した二人ではなく、紫藤ナナだが)。

 

つまりあえて厳しい表現を用いれば、「メンヘラと付き合うなら墓まで一緒にいく覚悟が必要」ってことである(そんな話をしてたのは彼女なぉただったか?)。よくペットなどについて、餌付けする人たちに対して「最後まで面倒を見る覚悟があるの?」って批判があるが、要は一時的にカワイイと思って飼い始めると、色々大変なことがわかってきて、自分には面倒みきれんしもうええわ!と捨ててしまう人たちがいっぱいいるけど(可愛さ余って憎さ百倍って言葉もある)、その後のペットのこと考えてんのか?・・・という話だ(だから「〇〇を飼うのはお勧めしない理由」なんて動画がわざわざ上がってたりするわけで)。

 

メンヘラについても、ヘラっているのが外側から見えればかわいく思えたとして、いざ自分が四六時中(それこそ寝ている間も)監視やガチ詰めされる側になった状況のことを想定しているだろうか(赤ちゃんは静かな時は可愛く見えても、毎晩夜泣きされると大変ですよと)?あるいは自分がちゃんとあれこれケアしているのに、それを感情の起伏という名のちゃぶ台返しで全て無かったことにされたら、その精神的疲弊はいかばかりだろうか?あくまで都合がいい時に都合がいい部分しか見えない(見ようとしない)から何となく大丈夫に思えるだけで、いざ生活全体が侵食される段になると、相手のケアはもちろんのこと、自分自身が健全な心身を維持することすら困難になっていくのであり、それでも何とか永遠の微調整をしながらその人と関係性を維持してしけるんですかね?と考えたら、その困難さに慄然とするのではないだろうか。

 

ともあれ、こういった動画を通じてメンヘラの「生態」への解像度が上がり、それへの対応理解が進んでいけばよいと思う(もちろんメンヘラというのは学術用語ではないので、正式には「愛着障害」といった言葉に置き替えていくべきなのだろうが)。

 

例えば、メンヘラは思ったことが「結論」で、その結論にあわせて「事実が再認識・再構築されていく」という話がされている。いかにも「話が通じない相手」という印象を受けるが、とはいえこういう認知の歪みは誰にでもあるもので、まず『認知バイアス 心に潜むふしぎな働き』などで人間一般の現象として知見を深めることが重要だろう(これはメンヘラという存在をアイコン化・悪魔化せず、自分たちと陸続きの存在として理解する動機付けを持つきっかけともなる点で重要だ。なぜかと言うと、いくら同情するかしないかの前に問題の構造を把握するべきだと言っても、対象をただ愚かなだけと思うならば、それについて知ることすら煩わしいと思うのが人間だからである。例えばナチズムがそれなりの支持を得た理由を社会的背景とともに理解することが、同じことを繰り返さないのに重要であるのと同様に、メンヘラの問題についても、そのような認知がなぜ形成されるのかを知り、出発点が違うだけで構造的には自分たちと類似していることを知る機会がなければ、そもそも理解を深めようとする契機すらないまま問題を放置することになる、という話である。なお、この認知バイアスの話は、特に多様化・複雑化が進む中で、他者と話が通じないのはある種当然のことだと認識する=過度な期待をしない態度を持つきっかけにもなることを付言しておきたい)。

 

ただ、メンヘラの場合は認知の歪み方が極端なので、社会生活を送っていくのに支障をきたすレベルとなっており、愛着が満たされないとしばしば豹変して攻撃的な言動・行動をするようになる(その基準が外的に推し量るのが難しいことは、前掲の紫藤ナナとかなえ先生の対談で出てきた「連れ立って歩いていた彼氏がふっと別の女性に目を向けた瞬間に足が止まり、突如ハラハラと泣き出す」なんていう話を想起すれば、思い半ばに過ぎるというものだ)。

 

そしてその具体的事例を知っていくと、例えば『男性による性暴力被害』に関連して述べたように、「男性=加害者」、「女性=被害者」という二項図式から脱却し、女性によるDVとその被害者救済、女性ストーカーの被害とその対処といった具体的な取り組みの理解促進・内容向上にも寄与するのではないだろうか。

 

またあるいは、「根治」という観点で言えば、しばしば取り上げられる生育環境、特に親の虐待やネグレクト(愛情欠如)の問題にも踏み込まないわけにはいかないだろう。子どもの尊厳を破壊する親は、子ども自身はもちろんのこと、その子供に関わる周囲の人間の不幸をも量産する原因となっているという意味で、その罪は大きい(もちろんそれは、何でも甘やかせばいいという話ではない)。

 

とはいえ、そうして親自身に目を向けてくると、今度は親そのものもケアが必要な存在であるらしいことがわかってくることもしばしばだ。その状況を無視してただ法律で縛っても、ある種自動的に攻撃性を子供に発揮する親を止めるのは困難だろう・・・

 

という具合に一つ一つ考えていくと、心に巨大な穴が空いた人たちが社会には相当数いて、容易には解決困難な問題となっていると言える。そして現在では、それを食い物にしたりする存在として、宗教団体やらホスト業界やらが問題になっていると言える(もちろん、受け皿になっている側面もあるので、一概に言えないのが難しいところだが)。

 

すると、政治家としてはわかりやすい=点数が稼ぎやすいこともあって、その取り締まりを大々的に始めたというのは必然的なことと言えるが、とはいえニーズを持っている人たちがそれなりの数存在し続ける以上、出口の部分=宗教団体やホスト業界だけ「浄化」したところで、第二・第三の団体が出てくることは目に見えているのだ(もちろん違法な行為の取り締まりや、グレーな構造の監視自体は必須というのは前提にして)。

 

その意味で言えば、対症療法的なもぐら叩きではなく、問題構造についての社会的認知を進めた上で、根治に向けた様々な取り組みを地道に広げていくしかないだろう。

 

・・・と書きつつ、今の社会であれば、その煩わしさに嫌気が差して、薬物によるコントロールとAIによるケアでええやん、という方向に世の中いきそうだなあとも思う今日この頃である(なお、これが先に進んでいくと『1984』的世界になりますよと)。


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