儒風亭らでんによる美術講座: Vtuberがつなぐ可能性について

2023-11-23 11:54:23 | Vtuber関連

今年9月にデビューしたホロライブグループの「儒風亭らでん」ちゅう人は、とんでもねえポテンシャルを秘めとるで!という話は何回かしてきたが、その紹介文はなんやかやと二転三転しちゅうので、それらの存在すら忘れ去ってしまう前に、生煮えフルコース(ただの迷惑)としてここに提示しておきたい。

 

 

【覚書1】

 

 

あー、それめっちゃわかるわ。何で書きたくもない絵を書かされなあかんのかって、俺は学校の美術の授業でずーっと疑問だったんよね。なぜ俺たちはそれを学ぶのか?音楽の授業とかでも思ってたけど、何でこの歌が集団で歌うべきものとして授業で採用されたんやろか(その教育的狙いって何??)?

 

 

自分が好きなものなら勝手に歌うけど、強制されるのはよーわからへんなあ・・・てな感じで不思議やったわあ。てかその視点がなければ、ただの詰め込みマシーンじゃね(・∀・)

 

そういう疑問の元に生きてきたワイにとっては、この動画でらでん女史が言ってることはよくわかりますわ。説明することもなく、自動機械みたいに情報のフォアグラにされる修行に一体いつまで耐えればええねん!なんてな。

 

まあこういうことをよう考えん歯車になった方が学校て場所は上手く生きられるのは事実だけども、そういうマインドに適応した人たちが社会に出て組織防衛と保身の権化となる様を、今俺たちはジャニーズ問題やら大手マスメディアの隠蔽構造、宝塚問題、ビッグモーターetc...とそこかしこの閉鎖的組織で目の当たりにしているんじゃあないですかねえ?

 

そう考えると、(もちろんムラ社会的メンタリティやら日本人の法意識など色々絡み合ってはいるけど)結局近代化した時の成功体験から今もって脱却できていないことが、日本の失われた30年を作り出したと言っても過言じゃない気がするぜ。

 

まー最近は、それに加えて価値観がバラバラでそうであることが肯定もされているのに、「学校」と呼ばれる近代的パノプティコン=監視つきの圧力釜にぶちこまれて同調を強要されっから、そりゃ不登校も増えます罠って話。何ら不思議なことじゃあない。   

(話が教育論とか別の方向に向かい始めたので放棄)

 

 

【覚書2】

率直に言って、Vtuberという新奇のタレントが、ハイエンドな教養を身に着けていると思っている人は少ないだろう。しかし、らでんは「そういう先入見に風穴を開けにいくため」に採用されたのだとしたら??末恐ろしいで・・・カバー社もらでんもな(これはサブカルからハイカルへの越境という一方向の問題だけでなく、ハイカルからサブカルへの越境という影響も起こりうる。ただまあ後者の閉鎖性は強いから、しばらくは良い副業+宣伝効果としての機能が重視されるんじゃないかと思ってみたり。で、それができない業界はどんどん死んでいくと)。

 

そもそもキャラクターがあまりに既存の所属ライバーと違い過ぎて目立つのはもちろん(ヤニカス宣言とか)、その圧倒的ポテンシャルは今後の可能性を無限大に広げる。Vtuber的なるものに期待される像とは、誤解を恐れずに言えば、要するに「kawaii」ではないか?それはある種の不完全さ、稚拙さであり、それらが庇護欲をくすぐる構造(よく言えばcute、悪く言えばchildish/immature)。昔でいう「萌え」に近い。

 

アイドル文化がそうだが、特に日本の場合は、圧倒的なプロフェッショナリズムよりも親しみやすい存在でこそあるが、重要視される傾向にある(カラスヤサトシの『萌え道』なんかでも、そんな風に説明されておったなあ。この辺は、「成熟した女性像を求める傾向の強い国」と「そうではない国」みたいに言えるかもしれない。それがイメージしにくいなら、例えばかつての中国の纏足などを想起)。隔絶したスキルやパフォーマンスでリスペクトを集める韓国や欧米とは売りが明らかに違う。

 

で、日本で生まれたVtuberなんて先のアイドルの特性に加え、ポップカルチャーの中のさらに新参者で、言ってしまえば「イロモノ」みたいなもんでしょ?とみなされるが、らでんはそれに対するカウンターとなりうる。ハイエンドな海外の文化人までリーチ先としてイメージ?「教養」の件。もちろん、これがただの「意識高い系」で終わるのか否かは、これからのプロデュースの仕方にかかっている。ただ、日本のインバウンド需要とか(森カリオペの東京観光大使を想起)、様々な業界の生き残りを考えれば、十二分にその知識やプレゼン力が活きる余地はある。

 

なお、2.5次元のVtuberの「親しみやすさ」は武器にもなる。ADHD黒井先生、雨声シト、もりのこどく。精神疾患のような当事者にとっては表明のしにくさ、一方で第三者にとっては取っつきにくさの両方を超える存在として機能。

 

相談窓口など公共サービスはもちろんあるが、日本は特に申請主義なので、必要な人にリーチしづらい。よって距離感の近さが重要なカギとなりうる。

(らでんの話じゃなくてVtuberの親しみやすさとマイノリティ保護みたいな話になってきたんで放棄)

 

続く・・・


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