灰羽連盟のキャラ造詣:クラモリの描かれ方

2010-12-30 17:23:49 | 灰羽連盟

前回の「灰羽連盟のキャラ造詣:話師&クラモリ」では、話師が「敬虔」なキャラだと視聴者に受け取られなかったと私が推測する理由について述べた。そこで重視したのは親密性(affinity)だが、クラモリについてはもう少し複雑な要素があるように見受けられるので以下簡単に説明する。

 

クラモリという人物の描写を切り取ってみよう。そこには皆が奇異の目で見るレキへに対する分け隔てのない不変の愛情、あるいは決して強くない身を押してもなおレキのために薬を取りに行く献身さ・自己犠牲の精神・・・それらは、「敬虔」よりは「聖母」という言葉が相応しい感すらある。では彼女は「敬虔」な、あるいは遠い存在として視聴者に意識されただろうか?私の答えは否である。以下、その根拠について書いていこう。

 

敬虔なるキャラの不在」でも書いたように、オールドホームや廃工場の灰羽たちは「敬虔」という言葉からは程遠いが、それによってすでに灰羽のイメージが固まっており、それは断片的な描写で覆されなかったのではないか。またクラモリの「巣立ち」は、彼女の行動単体にフォーカスすれば「敬虔さ→救い」というふうに見れなくはないが、レキの視点が強調されていることもあって、「巣立ち」がむしろ喪失の痛み・悲しみとしてクローズアップされているため、(通時的な)視聴者には後者の方が印象に残ると思われる。また、クウという屈託のない最年少の灰羽が先に「巣立」ったという事実が、「敬虔さ→救い」なるイメージの成立を妨げるだろう。とまあ以上のようなことは指摘できるが、これらは二次的な要因にすぎない。おそらくもっとも本質的なのは、先の話と矛盾するようだが、クラモリの描かれ方自体が「敬虔」な印象を与えないものになっているからだ。

 

例えばクラモリがレキとともに寺院で話師と対面するシーンがあるが、そこで彼女は思わず声を発してしまう。真剣さゆえにとも言えるが、すぐに気付いて口に手を当てる姿はお茶目でかわいらしいwしかし決定的に重要なのは、最初から最後まで灰羽同士の関係が対等なものとして描かれていることだと思われる。一見当たり前のように見えるが、オールドホームだけでもかなり年齢差があることを考えれば、ラッカやレキたちはもちろんのこと、たとえ年少組のダイとレキの会話であってもそこには対等の関係が見られ、かつそれに疑問を抱く者が一人もいないのは極めて特徴的だと言える(ミドリの突っ込みがあるとはいえ、ヒョウコとダイがスケボーで遊ぶ様子は象徴的だ)。これは雰囲気や設定といった抽象的な話ではなく、立ち居振る舞いはもちろんのこと、敬語や「さん」付けが例外的にしか使われていないという演出が大きく関係している(例外についても一応言っておくと、ラッカとクラモリは話師に敬語を使っている。しかし、レキがタメ口でしゃべっているため、接し方の一つとして中和されているように見える。またラッカは最初ヒョウコに「さん」付けをしている)。

 

このような形で序列・上下関係のなさを印象付けているが、クラモリの場合も同じことが当てはまる。会話シーン自体が極めて少ないが、ゲストルームでのやり取りは次のようなものである。

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レキ「いいのかな?ここ私には広すぎるかも」

クラモリ「じゃあ、ここゲストルームって事にしない?それで、レキはここに住んで新しく来た灰羽の世話をするの。それがレキの仕事」

レキ「・・・いいの?」

ネム「いいんじゃない?手が空いている時は子供たちの世話をしてもいいし」

レキ「私、頑張るよ」

クラモリ「レキも、もう一人前だね」
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ここでは、ネムという第三者が介在することによってレキとクラモリの「母―子」的な関係が中和されているのも大きいが、クラモリが自分の考えを押し付けるのではなく、提案として相手に決定権を委ねている点も注目すべきだろう。このようなやり取りからクラモリにフランクさを感じ取ることはできても、距離感あるいは高遠さを読み取ることは難しいのではないかと思う。 

 

まとめよう。クラモリは、その行動だけ取り出して抽象化すれば、確かに「敬虔」と評価できるような側面を持っている。しかしながら、通時的な視聴者の印象を意識して彼女の行動が描かれた状況に注目すれば、すでに灰羽の確立された親近感・生活臭といったイメージがあり、また彼女自身の言動もそれに外れるものではないため、そのあり様は超越的・高遠といった印象には結びつかず、親密さゆえの献身・愛情として視聴者には受け取られたのではないかと思うのである。

 

さらに前回の話師の件も絡めると、両者ともスタンスは違うにせよ、相手に寄りそった上でその救いを願う存在として描かれていると言える。またそういうわけで、二人のあり様は「灰羽=敬虔」といった図式には決して結びつかず、灰羽の実存にまつわる苦悩が風景化・無害化することにもならなかったと考えられるのである。


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