ひぐらしのなく頃に 業:「業」の内容と世界構造に関しての一考察

2020-11-29 13:05:05 | ひぐらし

先日鬼騙し編と綿騙し編の共通要素から祟騙し編の展開予測を書いてみたが、「ひぐらし 業」がどのようにして生成された世界かについての考察がちょっと足りてなかったので、補足しておきたい。これは前回批判的に書いた世界の成り立ちについての自分なりの解答例にもなっている(あの記事だけだと、ただ製作者サイドを皮肉っているだけのようにも読めるのでね)。ちなみに現時点で第9話(祟騙し編)は未見である。

 

なお、あえて第9話を未見でこの記事を書く理由は、以下の通り。
「ひぐらし 業」の世界はかなりの確率で沙都子が特殊な存在となっており(そう考えられる理由はすでに前掲の記事で詳しく述べた)、かつ祟騙し編は祟殺し編の内容からすると沙都子にスポットが当たる話であると予測されるため、世界の構造についてかなり踏み込んだ要素が語られる可能性が高い。そのため、祟騙し編を見る前に、「なぜ北条沙都子は特殊な存在になったのか」ということを考えておきたい次第である。

 

さて、先日の記事では沙都子=ラムダデルタであり(富竹の死が現出しない以上、旧ひぐらしの世界構造を規定する要素の一つ、「鷹野=ラムダデルタ」はかなり怪しい)、彼女は過去に祭具殿へ侵入した経緯から、何らかの形で羽入=アウローラと結びついたのが「ひぐらし 業」の世界ではないか?と推測した。

 

そもそも、「ひぐらしのなく頃に 業」の「業」とは一般的に「前世の罪」ぐらいの意味で使われるわけだが、沙都子に関してのそれは、沙都子が以前祭具殿に侵入した際にオヤシロ様のご神体を傷つけてしまったこと(を罪だと考えている)にあると私は推測した。

 

しかしよくよく考えてみるに、これだけでは片手落ちとも思える。というのもそれだと、旧ひぐらしのテーマ性とはほとんど無関係と言ってよく、まさしくただの「思考遊び」に過ぎないからだ。そう意識した上で改めて北条沙都子の「業」なるものを考えてみると、

1.両親を殺したこと

2.悟史に頼りきった結果、彼が凶行に手を染め失踪せざるをえない状況に追い込んだこと

が浮上する(これはオヤシロ様の件と同じで、実際に罪であるか否かではなく、「彼女自身が罪と考えている」ことが重要。このブログで扱った作品としては、その赦しも含めて、傑作「灰羽連盟」の「罪憑き」にやや近いところがあると言えようか)。

 

それを元に「ひぐらし 業」の世界が現出する経緯を推測すると次のようなところか。北条沙都子は、祭囃し編を経て平穏な世界を生きていた。しかし、何らかのきっかけで自分自身が両親を川に突き落とし殺してしまったことを知る。それが元々あった悟史への罪の意識、そしてオヤシロ様への罪の意識と結びつき、彼女をしてラムダデルタたらしめ、梨花が惨劇を乗り超えたにもかかわらず、ループ世界を再び現出させてしまった・・・

 

このようにして生まれた「偽りの世界」だからこそ、旧ひぐらしとは様々な差異が見られるし、またその理由もある程度予測できる。

(A)鷹野はラムダデルタではない
富竹の死という時報が存在せず、マニュアル34号の発動(つまり大災害という名の大虐殺)は予定調和になっていない。ただし大まかな設定は同じであるため、山狗は存在している。

 

(B)園崎家地下祭具殿の拷問器具が「しばらく使用されていない」
悟史に絡む詩音の「けじめ」が行われていない可能性あり。この結果詩音と悟史の結びつきが弱い(or存在しない)。なお、この場合でも重症化しているはずの悟史は入江診療所に匿われた可能性が高いが、澪尽し編のように彼の扱いがクローズアップされるのかどうかは現状何とも言えない。

 

(C)加害者と被害者の「リバーシブル」&加害者の性質の「解釈違い」
これは梨花を罠にはめるためにあるような世界構造だが、これと綿騙し編で梨花が行方不明になった際に沙都子がどこか冷静というか突き放した発言の仕方をしているのをあわせて考えると、実は沙都子の梨花に対する不信感や憎悪が増幅されたことにより、このような世界線が現出しているのではないか?とも考えられる

仮にこの予測が正しいとすると、沙都子は古手梨花がいわゆる「女王感染者」=症候群に強く関係しており、かつ彼女が沙都子の両親の死因をおおまかに知りながら(祭囃し編では、梨花が沙都子の両親が死んだ状況を聞いて真相に思い至ってしまったという描写がある)、それを彼女に言わなかったことが不信・憎悪の契機だったように思われる(梨花の秘密やそれにまつわる組織の暗躍を知っているとすると、仮に「ひぐらし 業」の世界では沙都子が山狗すら動かせる状況だとして、その理由の一端も説明がつく)。

そしてこう考えると、沙都子の梨花に対する信頼という意味で、OPテーマの”I belive what you said”にも深く関係してくるわけである。一般的な話としてもちろんそうだが、特に沙都子の症候群を踏まえれば、梨花が彼女に両親のことを話さないのはむしろ必然的なことと言っていい。しかし、何らかの形で沙都子に両親の死の真相が知らされた結果、その当然の配慮は「悪質な隠蔽」として彼女には写り、それが梨花=女王感染者=元凶的存在であることと相まって完全な不信・憎悪へと反転したのではないか、ということである。

ちなみにこう考えると、「家族が原因で症候群発症→凶行に到る」という鬼騙し編・綿騙し編とも共通することになるし(なお、祟騙し編は前に予測した通り鉄平で沙都子の症候群発症→鉄平を彼女が殺す展開であると考えている)、それはEDテーマでの描写とも一致すると言えるだろう。

 

(D)前原圭一があれほどの重症を負いながら死なない
(C)の予測も踏まえると、この世界は梨花への憎悪を元に梨花をループに閉じ込めること(それによって永遠に信頼と裏切りを味あわせ、肉体的・精神的に痛めつける)を目的として成立しているのであり、よって他のキャラクターの死は割とどうでもいい要素になっていることが原因なのではないか(鬼騙し編・綿騙し編を見る限り、沙都子に圭一を救おうという積極的意思は見えづらい)?

 

というわけであれこれ妄想を書き散らしてみた(笑)。ともあれ、この憶測がある程度的を射ているならば、この「ひぐらし 業」の世界における勝利条件は、「沙都子の罪の意識の解除」ということになるだろう。また、近しい人への信頼が救いとなる(北条沙都子の古手梨花に対する信頼回復)、という点においては、旧ひぐらしのテーマとも合致するものであるように思うがどうだろうか?

 

 

[以下、ちょっとした補足や突っ込み]

 

・両親や悟史への罪の意識からきているならば、なぜ世界は昭和55年でも昭和57年でもないのか?

→全くわからん。まあ強いて言えば羽入の力はすでに消えかかっているので、ループできるとしても昭和58年の綿流し直前くらいから、という説明になるのではないか。

 

・罪と「赦し」

旧ひぐらしのwhy or why notの一番には“judge me to be guilty of so many incurable sins”、二番には、”So what is forgiveness you are willing to withhold?”と出てくる

 

・「業」

「奈落の花」の2番では、「廻るカルマ」という輪廻を意識した表現が出てくる


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