「帰って来たヨッパライ」の時代:遵法意識、死生観、イムジン河

2024-06-15 11:35:49 | 音楽関係

 

 

格闘ゲーム絡みで昔聞いた音楽のことを思い出していた際に、なぜか頭に浮かんだ曲が、「帰って来たヨッパライ」(1967年発表)だった。

 

この歌を初めて耳にしたのは小学生の頃だったと思うが、雛祭りの不謹慎替え歌にハマるような年齢(?)ということもあって、まず甲高い歌声に驚き、そして歌詞を聞いてゲラゲラ笑った記憶がある。

 

なおそのアナロジーを疑う人のために例示すると、前者は「灯りをつけましょ爆弾に~ ドカンと一発禿げ頭~(・∀・)」で、後者は「オラは死んじまっただ~ 天国行っただ~(・∀・)」という具合である。これでもまだ疑問ありマスか(強引)?

 

ともあれ、明るい曲調と歌声で死を明るく笑いのめし、天国や神サマもネタにするってのが、いかにも1967年という高度経済成長期の世情を表している感じで興味深い(これは、早回し録音による底抜けの明るさ+東北弁&関西弁でネタに振り切った演出が大いに成功した結果と思われる)。

 

ちなみに、二番で自分が死んだ理由を酔っ払い運転(後の歌詞からすると、田んぼ落下の自損事故)だと説明する段において、

オラは死んじまっただ(-_-)

オラは死んじまっただ(-_-;)

オラは死んじまっただ(T_T)

天国行っただ(・∀・)

という具合にちゃんとグラデーションがあって、「事故って死んじまった、マジかよ~」と嘆きながらも、「まあでも天国行けたしいっか(・∀・)!」という明るさ・軽さに転調する。

 

なお、天国での振る舞いや神サマからの叱責からして、「オラ」はどう考えても信心深いタイプとして表現されていないのだが、それにもかかわらずそのまま特に理由も不明なまま天国に行くあたり、死後の審判とか何それ美味いの的な底抜けのオプティミズムが感じられる訳だが、これが今のご時世なら、飲酒運転に対する厳しい眼差しもあって、「飲酒運転した人間が仮に被害者を出さなかったとしても天国に行って好き放題やるとは何事だ」ぐらいのクレームは普通に出そうなものだ(実際、動画のコメントでもそういう推測は散見される)。

 

まあこのあたりは、飲酒運転に関する当時のゆる~い認識を表しているとも言えそうで、そういう当時の世情と遵法意識の変化という意味でも興味深い(念のため言っておくが、本曲は1968年にオリコンチャート初のミリオンシングルを記録しており、この歌からある程度の世情を分析するのはそれなりに妥当性がある)。

 

そして、言わば快楽主義の「何も考えていない人間」として描かれる「オラ」が天国に行っている点については、日本人の宗教意識を考える上でも参考になるように思える。堅苦しく言えば、平安時代の天台宗土着以降に広まっていく「一切衆生悉有仏性」的発想が血肉化するとこうなる…みたいな話はできるかもしれない。とはいえ、何か特定の発想に基づいてるという見方は不適切だろう(宗教観を開陳する歌じゃないし、ほとんどの人間はそういう意識で聞いてないと思われるため)。

 

そう注意した上で歌詞を見てみると、死そのものを嘆く場面はあるにせよ、神サマを面倒臭いとは思っても畏れる場面は一度もないし、まして天国を追われるのに『失楽園』的な悲嘆など一ミリもない。つまり、「一度はおいで」と勧めるが、永住のために固執するほどの価値はなく、言わば魅力的な観光地のごとき交換可能な存在にすぎませんよと。まあそもそも、関西弁で説教垂れる神サマ(笑)って話で、もはや死語の世界もナニワ金融道か何かのように思えてくるwその意味で、そういう宗教的世界にコミットしてないし、これからもする気がないという、いわば「明るくて消極的な距離感と拒絶」のようなものが感じられるとさえ言えるだろう。

 

現代において日本人の多数が自身を無宗教と認識するようになった背景を考える時、教団への懐疑(旧体制への批判的眼差し)とか唯物論(共産主義)なんて肩肘はったもの以上に、今述べた態度、すなわち「何となく、特に必要とは思わないから関わらない」という空気感がその柱となっている点には注意が必要だと思われる。

 

なぜなら「何とはなし」である以上、言語化・表面化しづらく、ゆえに研究で扱うのが難しいからだ。ゆえにこそ、『日本人無宗教説』で扱われるように、識者と呼ばれるような人たちが手前勝手な妄想を、さももっともらしく熱弁するという現象が繰り返されていく訳だが、そういう領域を形にするために、『データブック 現代日本人の宗教』などに掲載された意識調査があるわけだけし、また自分のブログで「九段の母」や今回の「帰って来たヨッパライ」のような作品分析や言説分析を試みている理由もそこにある、と言っておきたい。

 

なお、後年になって、一緒に収録されている「悲しくてやりきれない」が、元々は朝鮮分断と望郷の念を謡った「イムジン河」であり、それが朝鮮総連の抗議など諸般の事情で差し替えられたことを知った。なるほど死後の世界を笑うことよりも、現実の政治問題を背景とした歌を世に出す方がよほど難しかったのかという話だが、今でも『聖☆おにいさん』のような作品は発表できる一方、政治風刺には厳しい世情を思う時(まあ保身のための自主規制も多分にあるわけだが)、日本社会は大して変わってねーなと思った次第。

 

以上。


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