先月の給料は、年末年始に働いていたこともあって結構な額になった。しかし取り立てて買うべきものなどないから、ほとんどは口座に眠ったままになるだろう。社会人になると金を使う暇が無いとは聞いていたが、それとは違う要因、つまり自分の物欲の欠落には我ながら驚いていたりする(私にとって、家や車、服といったものは、少なくとも今のところほとんど意味をなさないのだ)。
そんなことを考えていたら、家族という消費システムの偉大さに気付かされた。というのも、家族が増えたら六畳+三畳くらいの空間でも満足せず一軒屋を求めるだろうし、車なども移動・旅行などのため必要性が高まる。こういったものに加え、冠婚葬祭の費用や子供の養育費など様々な出費が必要となり、親は望まずとも働き続けることを余儀なくされる。つまり家族には、家、車、養育費などに伴う出費が必然的に付随し、それを賄うために働き続けるというサイクルが出来上がるのだ。生涯にわたる消費と勤労を約束する秀逸なシステム、それが「家族」という単位の社会・経済的な有用性である。
ただこれを見て、「独身でも消費はするものだし、『独身貴族』という言葉もあるように独身だからこそ家族という単位より多額の消費をすることもあるのではないか」と反論する人がいるかもしれない。なるほど確かに、自分一人ならそれだけ多くの金を自由にできるわけで、その結果家族がいる(=縛りのある)状態よりも多額の出費をすることは往々にしてあるだろう(給料は全て貯蓄して奥さんから小遣いを数万もらうだけ、などというやり方は今日でも耳にすることだし)。ただ、ここで思い出してほしいのは、独身だと個人差が大きいということだ。つまり自分の好きなように金を使う結果、色々なものに金をつぎ込む人と私のように物欲の乏しい人間で大きな差が生まれるのだ(「独身貴族」という言葉には「気まま」というニュアンスも含まれているが、「金をどれだけ使うかは自己裁量」という意味合いもあると思う)。
この点で家族という消費システムは非常に優れている。というのも、先に述べたように家族は家や車、養育費といった出費を必要とするのだが、それは必要に迫られてという部分が少なからずあるためだ。それゆえ、家族を持つと自らは物欲が乏しい人間でも今述べたような出費をせざるをえないようになる。もっと言えば、(例えば今の私のような)独身の状態では使われずに眠っている金が、家族を持った結果家や車、養育費という形で社会に還元されることになり、経済の活性化を生み出すのである。要するに、家族という単位は(もちろん差はあれど)ある程度の消費の枠組みを保障し、その結果勤労の必要性も生み出す(※)。そういったサイクルを作り出すゆえにこそ、家族は「有用な消費システム」と評価することができるのである。
※
ついでに言っておけば、家族がいても浪費する人は浪費する。重要なのは、独身の時には金を使わない人間も家族を構成すると(必要上)金を使うようになるという事実である。
そんなことを考えていたら、家族という消費システムの偉大さに気付かされた。というのも、家族が増えたら六畳+三畳くらいの空間でも満足せず一軒屋を求めるだろうし、車なども移動・旅行などのため必要性が高まる。こういったものに加え、冠婚葬祭の費用や子供の養育費など様々な出費が必要となり、親は望まずとも働き続けることを余儀なくされる。つまり家族には、家、車、養育費などに伴う出費が必然的に付随し、それを賄うために働き続けるというサイクルが出来上がるのだ。生涯にわたる消費と勤労を約束する秀逸なシステム、それが「家族」という単位の社会・経済的な有用性である。
ただこれを見て、「独身でも消費はするものだし、『独身貴族』という言葉もあるように独身だからこそ家族という単位より多額の消費をすることもあるのではないか」と反論する人がいるかもしれない。なるほど確かに、自分一人ならそれだけ多くの金を自由にできるわけで、その結果家族がいる(=縛りのある)状態よりも多額の出費をすることは往々にしてあるだろう(給料は全て貯蓄して奥さんから小遣いを数万もらうだけ、などというやり方は今日でも耳にすることだし)。ただ、ここで思い出してほしいのは、独身だと個人差が大きいということだ。つまり自分の好きなように金を使う結果、色々なものに金をつぎ込む人と私のように物欲の乏しい人間で大きな差が生まれるのだ(「独身貴族」という言葉には「気まま」というニュアンスも含まれているが、「金をどれだけ使うかは自己裁量」という意味合いもあると思う)。
この点で家族という消費システムは非常に優れている。というのも、先に述べたように家族は家や車、養育費といった出費を必要とするのだが、それは必要に迫られてという部分が少なからずあるためだ。それゆえ、家族を持つと自らは物欲が乏しい人間でも今述べたような出費をせざるをえないようになる。もっと言えば、(例えば今の私のような)独身の状態では使われずに眠っている金が、家族を持った結果家や車、養育費という形で社会に還元されることになり、経済の活性化を生み出すのである。要するに、家族という単位は(もちろん差はあれど)ある程度の消費の枠組みを保障し、その結果勤労の必要性も生み出す(※)。そういったサイクルを作り出すゆえにこそ、家族は「有用な消費システム」と評価することができるのである。
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ついでに言っておけば、家族がいても浪費する人は浪費する。重要なのは、独身の時には金を使わない人間も家族を構成すると(必要上)金を使うようになるという事実である。
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