お題目で出生率は変わるのか?

2017-01-18 12:14:35 | 生活

1.あなたは国のためにと考えて子どもを(実際に)作りましたか?

2.あなたには「国のために(実際)~人子供を作った」という知り合いがいますか?

3.2の項目に当てはまる人がいたら、それは何人ですか?

 

と考えた時、私自身はもちろんのこと、老若男女思い当たる人が一人もいない(祖父母は10人やら8人兄弟だったりするが、それはたとえば富国強兵に寄与するとか、日本人の増産に寄与するとかそういう動機づけに基づいた結果だとはついぞ聞いたことがない)。言い換えれば、それぞれが成り行きであったり、「~人子どもが欲しい」という個人的欲求であったり、母体の問題や単純に妊娠しないといった身体的要因であったり、これ以上は生活が立ち行かないという金銭的要因などに基づいて出産・育児を行っているわけだ。このような身近な人たちの様子に加えて、今まで読んだ本のいずれでも国のために実際子供を~人作ったという話は読んだことがないし、テレビやらネットの動画やらでもそういう発言に出会ったことがない(逆に、たとえばインドや中国などで、成人後の結婚やら自分の生活の面倒を見させたいという狙いで女児の出産が忌避され、男子が優先された結果、男女比がいびつになって結婚相手がおらずあぶれる男子が多数出て問題になっている、つまり個人的な事情で出産をコントロールした結果社会に大きな影響を与えているといった話は聞いたことがある)。

 

以上管見の限り、「国を維持するために出産を!」というお題目を唱える声は結構聞こえてくるのだけど、実際それで出産しましたなどという事例にはついぞお目にかかったことがない。とするなら、まあ「国のために産んだ」という発言自体が世の人から引かれる可能性を考慮して意図的に避けている可能性もゼロではない・・・ぐらいのことは考えるとしてもだ、さっき言ったようなお題目を唱える人は自分や身近な人を事例に考えて、果たしてそれが他人から言われた時実際自分の行動にどれだけ説得力があるのか考えて行動しているのか?と不思議に思う。単に理想を唱えるだけなら子供でもできるわけで、本当に変えねばならないと思っているなら、それこそ個人的な欲求、つまり社会システムをいじるしか方法がないのではないか(まあ発言者がはじめっから苛立ちをただ言葉にして表出=自慰行為をすることが目的なら話は別だが、だとしたらそれは公のことを語っているようでいて全く公共的な態度とは言い難いよね)。

 

というわけで、俺は精神論を唱えてても永遠に無理だと思うんだよなあ。まあ女性の社会進出を抑えて彼女らを経済的奴隷状態にすることで無理やり家庭に入らざるを得ない→出産・育児の促進とか発想する人間が出てくるかもしれないが、そんな政策をマジでやったら諸外国からの反発がえらいことになるのと、先のインドや中国のように女児の出産制限で男子あぶれるという「合成の誤謬」が起こって結局上手くいかないとかなりそうだし(つまり、「鎖国」みたいなことやっても無駄じゃない?ってこと)。

 

てなわけで、繰り返しになるが、本当に出生率を何とかしたいなら相当真剣に社会設計を考えないと無理で、お題目を叫んでも全く無意味なのではないだろうか?

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