人間が統治して1000万人の死者が出るのと、人工知能に統治を委ねて10万人しか死なないのはどちらがよいか。
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題名は本文に繋がるたとえ話ではありますが、題名についてリテラルに応答するなら、「そもそも10歳児が運転してる時点でアウトだろ」という話ではあります(笑)。とはいえ、高齢化社会と高齢者の運転ミス、あるいは先日の高速道路の危険運転と自己や薬物摂取による暴走運転などが喧伝される今日、楽をするためというよりむしろ、リスクマネージメントのために後者の需要が高まってくるのではないか、という風に私は思います。
まあもっとも、踏み間違い防止装置の導入が始まっていますから、フェータルなミスを防ぐシステムさえ入れれば、別に全自動としなくても当面の大きな問題は解消されると考えることはできます(もちろん、全自動運転は高齢化社会において高齢者たちの足代わりとして高いニーズがあることは変わりありませんが)。
また、たとえば車を用いたテロを起こす気ならそもそも自動運転のシステムをいじって対人・対物の衝突を可能にして事を起こすでしょうから、自動運転システムに変わったからといって「不幸な事故」だけが残るわけでもないでしょう。
とはいえ、このような自動化は人間がgovernanceを手放すという意味において、リスクと責任との絡みでも非常に興味深い、ということでこの記事を書かせていただいた次第です。
乱文・乱筆失礼いたしました。