立場が発言を作る

2018-11-22 12:39:49 | 生活

東洋経済で専業主夫が離婚した記事を読んだ時のこと。

育児に時間が取られた夫の収入が激減したことにより、生活費の分担が当初の予定通りにはできず、妻に足りない分を借りることが多くなった。その結果、妻の発言権が強くなって「誰のお陰で食べられると思ってるの!」と言われ、稼いでない立場として何も反論できず、肩身が狭かった。

という趣旨のことが書いてあり、私としてはそもそも200万も稼ぎがあったら「専業主夫」とは呼ばんやろと突っ込んだが(注:最終的には無収入になる)、逆に言えば、全く稼いでなかったり、稼いでも100万も全然いかないといったケースだと、肩身の狭さとプレッシャーはこの比ではないだろうと感じもした。

 

ここで賢明な読者諸兄としては「じゃあいい仕事を見つけて働けばいいじゃないか」と突っ込みたくなるかもしれない。実際、この人も妻に相談の上で年収400万を超える常勤の仕事を見つけて働き始めたのだが、妻も家事・育児をやらねばならない状態となった。結局、妻から「ずっと家にいてほしい」とお願いされ、仕事は三か月で辞めることになった、とのことである。これは男女を入れ替えるとありふれた事例として非常にしっくりくるのではないだろうか。

 

さて、これで夫と妻の役割分担は晴れて決まり、家庭円満となるかと言うと、そうはならない。まず、先の育児の話と関係するが、子どもが父親にばかり懐き、母親に懐かない。長い時間一緒にいるのが父親で、母親とは短い時間しか過ごしてないからだ(自分の会社でも、勤務時間帯的にほとんど子どもと接する時間がない管理職の先輩は子どもが自分になつかない、と似たようなことを言っていた。つまりこれも立場の違いによるものでしかなく、男女で入れ替え可能な事例ということだ)。そして、家に居場所がない妻は仕事が忙しいと朝帰りするようになり、「会社に泊まり込んだ」という妻にそんな会社はおかしいと言うと、「あなたは会社で働いたことがないからわからない!」とキレられる。で、ある日それが不倫だったと夫にバレる・・・という絵に描いたような展開。

 

その証拠を突き付けると、記事を見る限り妻はあれこれ言い訳したり他に八つ当たりすることもなく事実をあっさりと認めたようだが、結局不倫相手との関係を切った後で子どもを連れ去って実家に帰ってしまったらしい(「連れ去って」という表現をわざわざ使っているところからすると、相談も何もなく突然ということだろう)。まあ妻としてはこのまま同じ生活を続けられないし、子どもは手放したくないし、かとって育児はできないので実家で面倒を見てもらうという魂胆だろう。まあこういう所業をやっているのであれば、きっと実家でも「やっぱり働いてない男はダメだ」などと自分が希望したことは棚に上げて他者を悪者とし自己正当化してるんだろうな、と想像される。

 

さて、というわけで元の記事から長々と要点をかいつまんで紹介したが、随所にあるあるな事例を見て興味を惹かれたのではないだろうか(まあ最後の実家帰りの話は、男性だとそこまで一般的でないような気がするが)。しかし男性読者であれば、基本男性の立場で行われてきたことが女性という「他者」によって行われた時、どのように見えるかを通じて、これまでは「しょうがないよね」と「まああるよね」と思えたことが、「いやちょっと待てよオイ」と感じられる=気づきにつながるのではないだろうか(ちなみにこういう他者の事例を通じて自分を振り返るというのは、ナショナリズムなど様々なものにもつながる。たとえば日本を「神の国」などと言う人がいるが、アメリカが「自分の国は特殊なのだ」「God bless America」などとのたまっているのを聞くと、その発言がどう見えるか・聞こえるかは多少のメタ認知能力があれば理解できるはずだ)。また女性としても、「男って生き物は本当にしょうもない」的なことを思っている人にとっては、いや女性も状況次第では同じことをやりますよ、という事例としてreflectionのきっかけになるのではないか(要するに性別といよりシステムや個人の問題なのである)。あるいは記事に出てくる子育て中の孤立については納得する部分もあれば、だからこそ女性は「ママ友」のネットワークを大事にするのだ、といった考えを持つかもしれない。であるならば、その時に専業主夫という存在がマイノリティであること、それによるネットワークへの入りにくさなどについても考えるべきだろう(ちなみにこのような交換可能性とマイノリティの問題を扱った傑作が、前に紹介した「ヒヤマケンタロウの妊娠」である)。

 

いや、これは非常に特殊事例だ、と考える人がいるかもしれない。なるほど今回統計データを元に話が進んでいるわけではないので、その可能性を完全に排除はできない。しかしながら、こういった男女の立場逆転がおもしろいほどに男女の言説や行動の逆転を招く事例は他にも見られる。たとえばジェーン・スーは、パートナーとの生活についての記事で、ふとした瞬間男性パートナーに自分がした発言が、専業主婦に対して男性がしているのと同じようなものであることに気づいた、と書いている。あるいは町山智浩は、アメリカに行ったばかりの頃には英語ができないため仕事がなく、妻の収入に依存していたことでどんどん家での扱いがひどくなり妻との距離も遠くなっていた、と書いている。もちろんこれらの事例が全てにあたはまるわけもなく、個人差やグラデーションはあろうが、しかしなぞったようにある一定の方向を示していることは確かで、それなりの一般性を示していると言えるのではないだろうか(まあここで読者諸兄の中には「日本の中でガンガン働く女性というのはいわば『名誉男性』的なポジションにいるから発言や行動が似通ってくるのは当たり前で、そのこと自体に問題が内包されている」と喝破する人もいるだろう)。

 

このように男女の交換可能性の認識から、自分たちが当然と思ってきたことがエゴイスティックなものだと気づく部分もあるだろうし、逆に相手の不可解な言動・行動の必然性が理解できる時もあるだろう。そしてまた、専業主夫というのが別に新しい理想でもなんでもなく、専業主婦と同じように様々な事情や苦悩があり、また結婚したカップルの1/3が離婚する中で当然破局もする(マイノリティだからって別に理想ってわけでも何でもない)、という当たり前のことを認識するのではないだろうか。 

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