ジャニーズ問題とマスメディアの隠蔽構造を悪魔化しないために

2023-09-22 16:43:08 | 感想など

 

 

 

 

ジャニーズ問題・大手マスメディアの隠蔽・スポンサー企業の対応が連日報道されるようになって久しいが、一人一人の証言レベルはともかく、全体の構造としてどのような利害と共犯関係によってこの巨大犯罪が繰り広げられたのかについてはいまだ述べられていない段階である。その意味で、videonewsの動画でも紹介した松谷創一郎による説明が極めて簡にして要を得ているので、参考に掲載した次第だ。

 

つまり、ジャニーズが自分に不利益となる行動をしそうな時の「脅し」方、大手マスメディアのセクショナリズムとクロスオーナーシップによる企業内部での忖度、売上が低下する中でわかりやすく数字を出してくれるジャニーズに飛びつきベッタリとなる諸企業・・・といった具合に。

 

詳細は動画を見ていただくのが一番よいが、このような構造に対し、最も本質を突いた発言は、松谷の「日本人は未来を見ていない」「システムの中でどうポジション取りするかしか考えてない」というものだろう。つまり、ネットの普及によるYou Tube、spotifyなどを通じた世界への発信がリアルタイムでできるというプラットフォームの変化を活用しようとせず、いつまでもCD販売と顧客単価増というドメスティックな世界での食い合い(=猿山でのポジション争い)をしている閉塞した志向性であり、ましてコンテンツというものが、「文化帝国主義」とも言われるようなインテリジェンスにすら関わる影響力を持つという視点を官民とも持っておらず、官に到っては、クールジャパンなどと言いながら、ただ海外に箱モノを作って人が入らない伽藍の塔が形成されるといった愚行に手を染めている状況なのである(もう何度も指摘されていることだが、個々の頭脳はともかく、省益が絡んだ状態での官僚というものは基本無能どころか有害ですらあるのはもはや自明なので、とにかく余計なことをせず、未来ある取り組みへの助力に専念せよ、と言いたい)。

 

なお、変化への適応事例として、音楽関係であればYOASOBIやAdo、あるいは先日指摘したホロライブの音楽グループReGLOSSを通じた氾濫するコンテンツの中で新規に食い込んでいくサバイブ術を挙げることができる(ただ、コンテンツの中身ではなくとにかく「推す」しているアーティストだから買うというのは違うのではないか、というのは使いもしないグッズを応援のために買う気はない自分としては非常に頷ける話だった)。また音楽に限らずとも、多井隆晴による麻雀界とVtuberを繋げる動き(こうしてそれぞれの需要層を広げていこうとする取り組み)などを挙げることができるだろう。

 

また、コンテンツについて言えば、それをただ作るだけでなく、「外」に向けての広告を真剣にやれという話は重要だろう。「良いものを作れば自然に人が知り買ってくれるはずだ」というのは全き幻想である。それはYou Tubeだけでもどれだけの動画が一日あたりアップロードされているのかを考えれば十分で、もはやコンテンツは人間の処理できる許容量を遥かに超えており、そこにどう食い込んで(受け手にリーチして)いくかを真剣に、戦略的にやるべきなのである(なお、海外への広告・アピールという点に関して「自意識過剰」と評価されているが、その原因を端的に言えば島国根性であろう。要は閉鎖空間の中で他人に自身を魅力的にプレゼンする訓練の機会が少ないため、当然上手くもならないし、また国際比較からも明らかなように自己肯定感が低いため、その反動でアピールが地に足がついてない「イキり」になってしまうのだと思われる)。

 

また、コンテンツ自体については、海外を意識するからと言って例えばハリウッドの劣化コピーを作るような手法は下の下である。なぜならそれはすでに世界で氾濫しているからであり、松谷が「スーパードメスティック」という言葉で表現したように、むしろ日本だからこそできる尖ったものを作るべきなのだ(寒い内輪ノリはむしろ避けるべきだが)・・・と書いていて、町山智浩が「片腕マシンガール」みたいなものを作らないと、わざわざ邦画出す意味はないという趣旨の発言をしていたのを思い出した。こういう話をするといかにも「オタク」な作品ばかりが思い浮かばれるかもしれないが、例えば「万引き家族」のように、日本の日常生活を舞台としてながら、そこに家族の変質や格差といった普遍的なバックグラウンドがあるというタイプの作品も世界で需要されやすい形式の一つだろう。

 

 

【なぜ今回の問題が日本社会の一般的病理であるのか】

また違った視点で見れば、「なぜ日本人は近視眼的になるのか」「新しいゲームを始めるという発想がなく、既存のゲームの中で適応することばかり考えるのか」については、「そういう教育・社会にどっぷり浸かってきたから」というのが最も端的な答えになるだろう(「由らしむべし、知らしむべからず」といった言葉を想起したい)。これについてはおもしろいコピペがあって、趣旨としては「高校までは散々周囲に合わせろと言われる。しかし大学生や社会人になると、突然君の個性を発揮しなさいと言われてファ!?と困惑することになる」というものだ。

 

まあ早い話、学校教育が兵隊を要請するような近代的パノプティコン式の画一的人間形成から本質的に脱却できず、にもかかわらず社会ではクリエイティブな人間が求められている(ことになっているw)というギャップが続いている訳だが、思考が形成される時期に20年弱もモグラ叩きを続ければ、そりゃあ新しいゲームを始めようなんて人間はほとんど死滅し、いかに出る杭として打たれないようにポジション取りをするかしか考えなくなるだろうって話だ。

 

これが「日本にジョブズが出てこない理由」の一つであり、今回のジャニーズ問題とその隠蔽にも見え隠れする部分最適化の小役人(あえて言えば「凡庸な悪」)だらけになるのは、ある種当然のことと言える(メンバーシップ型雇用もこれを後押しするだろう)。そして今述べた背景を踏まえれば、何度か話題に上げている「ファスト教養」「ゼロリスク」といった今の若い人たちに特徴的と言われるマインド形成も極めて必然的なことと言えるだろう(だから、それぞれに様々問題があるとは思っても、それをただ批判していればいいという問題ではないというスタンスで私は記述するのである。またその仕組みや世相を作ったのは上の世代たちであり、「近頃の若い奴は・・・」みたいな物言いをする人間は、大抵その事実を完全に忘れているのである)。

 

ちなみに若い世代にますます「日本人は未来を見ていない」「システムの中でどうポジション取りするかしか考えてない」傾向がますます明晰に観察されるのだとすれば、日本が今後も短期的・全面的には変わらないのは当然のことと言えよう。これこそ、私が「日本が変化するのに早くても半世紀はかかる」と予測する理由であり、技術を導入すれば・仕組みを変えさえすれば、劇的に変化するはずだという発想は、頭がいい人が陥りがちな幻想だと言えるだろう(それは前述のネット環境の整備・拡充にもかかわらず、国内のCD販売に固執したジャニーズやそれと共犯関係になった周辺企業を見れば思い半ばに過ぎるというものだろう。要するに、「変化のモチベーションがないところに変化の契機だけ与えてもムダ」ということである→「『働く人が少ない?じゃあ老人を死ぬまで働かせればいいじゃない!』という社会」。ちなみに私が「コンサマトリー」や「清貧」といった言葉とそれを肯定するような見解に強烈な違和感・欺瞞を覚えるのは、コンサマトリー的傾向→保守的傾向となり、こういった不安からのしがみ付きを惹起する事例が数多く観察されるからである)。

 

もちろん、そうでない人も中にはいるだろう。しかし、余裕を失って「貧すれば鈍する」状態となっていくこの国においては、新しいゲームを始めようとするモチベーションを持った組織はどんどん減り、それが目先の利益でしかないとわかっていてもジャニーズと手を組むことで変化の契機を掴み損ね、ますます干上がっていく(いった)企業群のような状態になっていくと思われる。であるならば、その中で変える努力をするより、海外に出た方が早いのではないか、というのが私の正直な感想である。まあこれだと海外=ユートピアみたいな発想に繋がりかねないのでもっと正確に言うと、一つのシステムにしがみつかなくていいように、「所属をマルチ化していつでも批判者となれるし、腐敗・停滞した組織はいつでも捨てることが可能な状態にする」というのがいいだろうか。

 

ともあれ、今回のジャニーズ問題や大手マスメディアの隠蔽に絡めて私が「失われた30年」を結び付けて記事を書いたのもこういう理由であり、またそれだけ日本に蔓延っている構造であるがゆえに、その分析・共有が不可欠であるし、それがそう簡単に無くなるなどとは思わない方がよいという厳しい見通しになる、と述べつつこの稿を終えたい。


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