「ただよび」さらに進化!:現代文に大物講師参入

2020-06-26 11:37:35 | 日記

一昨日の記事の流れで書こうと思っていた題材があったが・・・

 

 

 

 

 

な、なんだってー!!「ただよび」に現代文の宗慶二(人名は敬称略。以下同じ)が参入、だと!?数か月前に森田と対談している動画が複数個上がっていたが、なるほど様々な伏線と根回しの末に満を持して登場ってわけですな。

 

自分が高校生だったのは相当昔なため、東進にいた頃受けていたのは出口汪の授業で宗慶二の授業は見たことがなかったが、インタビューを聞くだけでも相当話が上手い印象を受けた。読解で10分強という縛りは相当難しいだろうが、どういうコンテンツが出てくるのか期待したいところである。

 

というわけで、(主に高校の)教育における古文と漢文の件を書いた手前もあるので、それ繋がりで現代文とその周辺について私見を述べてみたいと思う。

 

まず、「ただよび」で行われる授業内容にもよるが、とりあえず私が思ったのは「あ~、これで学校の授業と有料の塾・予備校の価値がまた下がったな」ということである。そもそも、自分は高校の現代文の授業にロクな思い出がない。はっきり言って現代日本語の文章をただダラダラ読まされているだけで、背景知識の体系的説明もなければ、論理的読解のメソッドもない。

 

一言で言えば「鑑賞会」でお茶を濁しているだけ、という印象しか持ったことがなく、自分の人生の中で役に立ったという認識は皆無である(注)。

 

ただ、これは高校の現代文の教師に知識が無いとか教え方が下手だということを必ずしも意味しない。そもそも指導要領がそうなっているわけだし、およそ50分程度の限られた時間で問題演習や体系的解説を盛り込むのは困難という事情もあるだろう(まあアクティブラーニングをやるって方法もあるだろうけど、大体決まった人間しか発言しないし、グループ発表にしてもリーダーが決まったらあとは受け身のお客さんになるケースが多いという記事も読んだことがあるし、お膳立てが難しいところだ)。

 

また、公立校で言えば、ZOOMなど映像授業の導入で横並びの制約のために結局は後手後手の対応しかできなかったように、システム的な問題は軽視できないのである(つまり個人や一部を批判すればよいというものではなく、それが問題の深刻さに拍車をかけている)。

 

まあそういうわけで、鈍足の極みである公教育(一般的に、システム面で教育は変化するのが最も遅い分野と言われている)は所詮そんなもんだと割り切って、オルタナティブを活用できる状態を作っておくのが、賢明なサヴァイブ術だと言えよう。

 

そもそも、(特に入試における)現代文とは極めて厄介な分野である。普通に「現代日本語だから読めばわかる」かのように捉えられながら、実態としては「論理的に読む」方法(例:二項対立、抽象と具体、相同表現の意識)を適切に理解し時間制約の中で再現するのは早々簡単なことではないし(新井紀子の本とかにも出てくるが、そもそも論理的に読めない大人がスゲー沢山いるくらいだからね)、「近代化とはどういう現象か?」、「それはどのように評価されてきたか?」であるとか、「グローバリゼーションのメリット・デメリットは?」といった背景知識を全く知らずに入試現代文を読もうとすると、それこそ自力の抽象化・一般化能力だけで本番にて出たとこ勝負をすることになるので、まさしくセンス(これまでの読書量などにも相当影響される)であったり、内容による得意・不得意で決まるアドホックな教科となってしまいかねない。

 

その割に結構配点が高かったりするので、本番まで間に合わず無事死亡、というケースも少なくないのではないだろうか。そういう観点からすると、無料でわかりやすい講義形式で読解の説明を聞けるのは、非常に大きな助けとなりうるのではないだろうか(あとは、市販の定評のある問題集で再現する練習を繰り返せばよい)。

 

というわけで、苦境に立たされている今年の受験生たちにこの現代文の授業が天恵とならんことを願ってやまない。

 

(注)

正確に言うと一個だけあったわ。センター試験後の学校の現代文の授業で繰り返し「奇跡の生還」を報道することの気味の悪さを論じた文章を取り扱ったのだが、それを入試本番の小論文が「不快なものを病的に避ける傾向について具体例を挙げながら論ぜよ」という題材だったので、それを流用させてもらったことがある(まあ今風に言う「感動ポルノ」を鏡像として利用し、そこから病的なノイズ排除について述べた、という感じか。これは2008年の記事でもすでに言及している。ちなみにこのテーマは『無痛文明論』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』といった本にも繋がる話だし、新反動主義や加速主義、VRの件にも関わってくると私は考えている)。

まあとはいえ、学校の授業では文章のテーマを一般化して体系的に説明していたわけでもないので、これは自分個人で文章の問題意識を咀嚼&一般化して他に使用した事例であり、やっぱそんな役に立ってないかなw


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