さて、「願望、交換可能、未規定性」と「交換可能、アノミー、再帰的思考」を書いたので、特に前者の追加事項を掲載しておきたい。え、二回も誤爆しといて今さら何、って?はてさて何のことやらボクにはわからないのですよヽ(。∀゜)ノちなみに追加事項を並べただけなので、順番はぐちゃぐちゃでありんす。
[ムンク展のコト]
デ・ニーロやアイドルの内面とかどーでもいいと失礼に見えるのは承知の上で言う→交換可能という現状(ファイト・クラブのセミナー通い。あれを自覚的にやってんならいいんだけどねえ)
そうしたいからそうするだけ→何の根拠もなし→ローティ(そのことに気づくのは、個人的な経験から言えば、感動や絶望などではなく、むしろあっけらかんとした感じ。まさに憑き物が落ちる感覚。電灯のスイッチオンオフに似る=ちょっとした所作でものの見方が180度かわる)
快楽主義的なコト(=快楽追求の肯定)を言うのに、一方で共存の話をして矛盾していると思うひとがいるかもしれんが、むしろ完全に一本の線でつながるとは思わんか?
※「空の境界」伽藍の洞→何もないということでもあり、何でも入れられるということでもある。
[自然法]
なぜ人を殺してはいけないのか?社契と倫理(戦争とかの例外)
「殺したくない」から殺さないだけのことbut殺したいと思ったら殺してもいいか?NO
そもそもアプリオリに(理由なく)殺人がダメなら、「正当防衛」もないわけでしょ。相手がルールを破った(殺そうとした)から殺すのもしょうがいない?ほら、契約とか規範の問題じゃん。
「目には目を、歯には歯を」
残酷な復讐の取り決めと思うかもしれないが、アレは復讐の連鎖の歯止め(のための社会契約)
「誰もが生まれてきた意味がある」などというもの言いは、「自分の前世はイエス=キリストである」という程度には無根拠な話。それって中二病的妄想なんだが、なぜそう思わんのかね?一人でする妄想は中二病だが、多数でやれば「真理」ってことかねえ?
[機能的側面] ※正統性
そう思ってくれた[=人々が「基本的人権」を自明のものとして考えてくる]方が社会がうまく回る部分もある、ということは全く別物。上からの視点では秩序の維持[に役立つ]、下からの視点では批判のロジックの構築[に役立つ]。「何でもあり」を防ぐ智慧(cf.王権神授説と社会契約説)
けどその一方で、「『俺は』生まれてきた意味がある」という独りよがりな信念を抱くことって、精神論としてはとても意味のあることだと思うのよねん。
だから、「誰もが生まれてきた意味があるんだよ。Don't you think so?」っていう他者への問いかけは、論理性云々の埒外で肯定されても良いものだと思いたいな。Don't you think so?
「自分の生に意味があってほしい」ということと、「実際自分の生に意味がある」ということは全く別のことである。そして、「だったら意味があると思った方が人生楽しめるし合理的じゃね?」という態度もまた違ったものである。
つまり、どーせわかんねーんだったら「生まれてきた意味がある」と思って生きた方が合理的だ、てことね。
「南行徳」の書いてる内容がそういう意味合いであるのなら、同感ですわ。ただ、じゃあなんでわざわざ「意味がない」と書くのかと言えば、「本来意味があるはずなのにない」とばかりにこの社会の実りのなさに対してルサンチマンを溜め込むのと、一度それが単なる願望にすぎないという未規定性の感覚を経てからそう思うことの効果・合理性を理解して意識的に振舞うのは全く違うからなんだな(まあ擬制のことを扱っている点で方向性はちょいと違うけど、「スポーツマンシップの三段階」とかも同様)。その他色々あるが、まあそれは必要があれば書きますわ。
あと、メール返信してなくてスンマソン。4月中旬くらいまで桶はムリです(´・ω・`)